断片的な走り書き6
この記事は2018.12.8、20:36に更新しました。
更新内容:ささやかな加筆修正をいたしました。
新たな文章を追加しました。
他者との関わりにおいて
きちんと前だけを見ていなさい。
目の前のあるがままの現実だけを見ていなさい。
想念越しにではなく・・・
「ガラス越しの風景」
想念とは、過去に結晶化されたエネルギーの塊のようなもの。
すなわち過去の亡霊にしか過ぎない。
あなたが人間でありたいならば
想念が過去の亡霊にしか過ぎないのなら、想念という過去の亡霊たちと戯(たわむ)れている人たちも、また亡霊たちだ。
スピリチュアル・ワークと称して、想念という過去の亡霊を見つめている人たちといえども、いまだに亡霊として存在し続けていたい人たちなのだ。
彼らは人間として生きてなどいない。
彼らは、すでに死んでいる。
あなたが人間でありたいならば、他者と過ごす時間においては、想念という過去の亡霊とではなく、目の前の生きた人間とだけ関ればいい。
一人で過ごす時においては、聖なる我が家に帰ればよい。
広い観点からすれば、悟っている人の言動や臨在、その全てが本当の教えとなる。
なぜならその全ては、嘘のない正しい場所から来ているのだから・・・
逆も、また真なり。
人間としての欠点や弱点をも含めた人間としてのありのままの姿を見せることも私の指導の一部なのである。
やがて目覚めが進んできた生徒にとって、「あぁ、そういえば木幡もあんなだったな。だから私も、このままでいいんだ。」と気づくことができるからである。
欠点や弱点の制御くらい、やろうと思えば、訳ないことなのだが・・・
しかし私は、自身の言動に気づいていながらも、人間としての欠点や弱点をも含めた人間としてのありのままの姿をあえて見せているのである。
それを、あなたがどのようなレベルで受け取って理解しているかにも気づいている。
相手によっては、「しょせん木幡もバカな俗物だ・・・」などと思われていることもわかっている。
私はいつものバカ面を浮かべて、そのことにも気づいている素振りは、微塵も見せないが・・・
そのような時にこそ、相手の本性が見えてくるのである。
私のことをバカだと思い始めているので、無防備の丸裸になるからだ。
そうやって教え子たちは、ふるいにかけられていく。
私は、いくつもの次元において同時に気づいている。
そしてただ「私」だけが、「私」は「木幡等」ではないということにも気づいている。
悪というものがあるわけではない。
すべては無知に由来する低次の自己愛、すなわち肉体/精神と自己同一化した自己意識にとっての善に基づく精神活動の結果なのである。
心理的、感情的、感覚的という意味においての、不快を排除しようとすること。
外的な対処において、そうすることは自然なことである。
しかし内的にそのような対処に夢中になってしまうと、あなたは想念に囚われ、低次の自己、すなわちエゴとしての私を強化することとなる。
その想いに基づく言動のすべてが、さらにエゴとしての私のエサとなる。
あなたは全一的な「私」から、部分的な「私」へと成り下がってしまい、想念の世界で溺(おぼ)れ死ぬこととなってしまう。
プラスチックの宝石
「本当の私」に比べたら、「本質的に価値のないあらゆるもの」を手放すことができないあなたのために、聖なるものの流入や一なるものからの引き込みという聖なる愛の働きによって、プラスチックの宝石のコレクションの数々をあなたが手放せるようにしてくれているわけでしょ?
「あなた」が「本当のあなた」と一つになるために・・・
目覚めていない状態、すなわち聖なるものとのつながりのない状態では、自分から手放すことなど絶対にできないのだから。
それらの宝石が、実はプラスチックでできているガラクタでしかないことに気がついていないのだから・・・
真なる自己の目覚めの過程においては、生きていくために必要な最低限の仕事と聖なるものだけがあれば、それで十分なのです。
本当に大切なものなど、そんなにあるものではありません。
真なる自己の目覚めの進展過程とは、この上なく美しいものです。
もしもあなたが目覚めの過程を苦しいものだとお感じならば、それはあなたが目覚めの過程から、眠りの過程へ、すなわち想念の世界と後戻りしていることを意味します。
なぜなら目覚めの過程そのものには、心理的な苦しみなどが入り込む余地がないからです。
意識として本質的に進化することはないにもかかわらず、いくつかの神秘体験やエネルギー体験などをしただけで、瞬く間に悟った教師として振る舞う精神異常者たち。
医者には医師免許というものがあるが、悟りにおいてはそのような証明書がないため、探究者たちはその指導者の悟りというものを正しく検証する術を持っていない。
眠り続けたい人たちと目覚めたい人たちとの二極化によって、目覚めたい探究者たちの質は上がってきている。
知性としてのあなたは眠りに就きなさい。
しかし意識としてのあなた、気づきとしてのあなたは、そのことに気づいていなさい。
そうすれば、本当の現実が見えてくるようになる。
「私」はいつでも直接伝達によって、「あなた」をそのような意識状態に導いているのです。
「あなた」にその自覚があろうとも、なかろうとも・・・
ノーコンタクトでの直接伝達
https://kowata0.com/direct-transmission-with-no-contact
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