想念
この記事は2019.11.28、14:23に更新しました。
更新内容:記事に加筆をいたしました。
想念とは、自然発生的な考えや思い、そのような意味においての自然発生的思考のことだ。
瞑想の時など、目を閉じて静かにしていると、あなたは何も考えようとはしていないのに、色んな考えや思いがわき起こってくるよね。
それら想念(考えや思い)は、あなたの意志に反して、次から次へと連想を生じさせて終わりなく続いていく。
あなたは、そのような果てなき想念の連想に巻き込まれてしまうから、心を静めようとすればするほど、静かになれない。
瞑想中に「何もしない」ようにしていても、想念を静めようとしてしまう。
安らかでありたいと願いながらも、心の中では想念を抑えつけようと騒ぎ立てている。
つまり、無為であろうとしながら、作為を起こしてしまう。
「自然発生的にわき起こってくるネガティブな想念」なんていうものはね、あなたの心の部屋の中に映し出されたオバケみたいなものでね。
それはオバケという幻影なんだ。
そのような
オバケを「退治しよう」なんて、まともに相手にしちゃうから、ただの「幻影でしかないオバケ」が「あなたにとってのリアルなもの」になっちゃうんだよ。
心の中に浮かんだ想念(思いや考え)。
それは、心の中に浮かんだオバケ。
そのような、他人からすれば、ただの妄想(もうそう)にしか過ぎないオバケ(思いや考え)が、あなたにとってはリアルな現実のように思えてしまう。
他人からすれば、オバケでしかないものが、あなたにとっては実在の何かに見えてしまう。
だから、オバケのことばかりを話し続けているあなたは理解されないのだ。
だから、オバケについての何らかをわかり合いたいと思っているあなたは孤独なのだ。
だから、オバケに怯(おび)え続けているあなたを誰も助けてはくれないのだ。
人類は、オバケ信仰のオバケ信者だ。
オバケ大好き、チュキ、チュキ(好きの赤ちゃん言葉)。
だから、想念に巻き込まれるんだよ。(人間には、もっと大切なものが、あるんじゃないのか?)
それはオバケ(想念)のせいじゃない。
オバケ(想念)を愛したあなたのせいじゃないのかい?
問いかけてごらん。
♪ あなたを愛することとオバケ(あなたの影)を愛することとは、違うんだぜ、baby ♪(笑)
「そりゃ理屈はわかるけど、そう簡単にはいかない」って?
そうだね。
ヘッドセンターを目覚めさせて、あなたの注意を「ヘッドセンター」に留めることができるまでは、とても難しいことだということはわかってる。
さらに言うなら、純粋意識を目覚めさせて、自己としてのあなたが「純粋意識」に包み込まれるまでは、それなりに想念には苦しめられることだろう。
だけど大丈夫だよ。
裏を返せば、純粋意識を目覚めさせれば簡単ということだ。
そこにオバケは入って来れないのだから・・・
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