悟りの直接伝達

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真我による以心伝心

《本来の純粋な心》とは〈知性〉〈感受性〉〈存在性〉の三位一体であります。
ですが私たちは人間は、このような《純粋な美しき心》というものを、〈思考〉や〈感情〉や〈欲求〉などといった《内容物としての移ろう心》と履き違えてしまうようになってしまいました。
明晰な《知性としての心》は、絶え間なき〈思考〉の雲に覆われ、
繊細な優しさに溢れた《感受性としての心》は、がさつで気まぐれな〈感情〉の雲に覆われ、
絶対的な静寂である《存在性としての心》は、落ち着きのない〈欲求〉の雲に覆われてしまったからなのです。
このような〈従来の低次の心〉に惑わされるのではなく、《本来の美しき純粋な心》を取り戻して育んでいくこと。
そのために〈悟り〉の境地から〈本来の純粋な心を以心伝心すること〉が《心による伝達》なのであります。

三位一体としての《私》

《本来の純粋な私》とは〈知性〉〈感受性〉〈存在性〉の三位一体であります。
ですが私たちは人間は、このような《純粋な美しき私》というものを、絶え間なき〈思考〉や〈感情〉や〈欲求〉などが混沌とした《低次の私》と履き違えてしまうようになってしまいました。
揺るぎなき《知性としての私》は、自己顕示的な〈思考としての私〉に成り下がり、
繊細で優しさに溢れた《感受性としての私》は、押し付けがましいだけの〈感情としての私〉に成り下がり、
静寂なる《存在性としての私》は、図太くて貪欲な〈欲求としての私〉に成り下がってしまったのです。
このような〈従来の低次のあなた〉に支配され続けていくのではなく、《本来の美しき純粋なあなた》を取り戻して育んでいくこと。
そのために〈悟り〉の境地から〈本来の純粋なあなたを以心伝心すること〉が《心による伝達》なのであります。

意識としての心の伝達(火曜/全4回)

「頭が切れる」「頭にくる」などという言葉があるように、私たち人間には「頭部にも心が宿っている」といえます。
《意識》と《自己》、《思考》と《知性》
そのような《頭部に宿る心》とは、人間としてのあなたの主体という意味においての《自己》とのつながりの深い場所でもあります。
ですが、《意識》とつながっていない〈心〉は〈思考〉とつながることしかできません。
それゆえ、自己本位的なせわしなき〈思考〉に翻弄されては苦しむことになるのです。
このような理由から、「意識としての心の伝達」では、思考の浄化のみならず、知性や思考に先立つ《意識としての心》を以心伝心によって育んでいきます。

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愛としての心の伝達(木曜/全4回)

「胸にしみる」「胸が痛い」などという言葉があるように、私たち人間には「胸部にも心が宿っている」といえます。
《愛》と《魂》、《感情》と《感受性》
そのような《胸部に宿る心》とは、個としてのあなたの究極的な本質という意味においての《魂》とのつながりの深い場所でもあります。
ですが、《愛》とつながっていない〈心〉は〈感情〉とつながることしかできません。
それゆえ、喜怒哀楽などといった気まぐれな〈感情〉に巻き込まれては苦しむことになるのです。
このような理由から、「愛としての心の伝達」では、感情の癒やしや浄化のみならず、私たちにとって最も大切なものである《愛としての心》を以心伝心によって育んでいきます。

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空としての心の伝達(日曜/全4回)

「腹を決める」「腹が立つ」などという言葉があるように、私たち人間には「腹部にも心が宿っている」といえます。
《空》と《神》、《生命力》と《存在性》
そのような《腹部に宿る心》とは、意識に先立つものであり、全ての命の源泉であるという意味においての《神》とのつながりの深い場所でもあります。
ですが、《空》とつながっていない〈心〉は〈本能的欲求〉とつながることしかできません。
それゆえ、抵抗しがたい果てしなき〈本能的欲求〉に煽(あお)られては苦しむことになるのです。
このような理由から、「空としての心の伝達」では、本能的欲求の浄化や生命力の活性化のみならず、熟睡時のような静寂である《空としての心》を以心伝心によって育んでいきます。

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