以下のサイレンスセッションのご感想は、I. D. 様から事務局宛に頂いたセッションのご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
また、以下のノーコンタクト・セッションのご感想は、コメント欄に頂いたものから抜粋したものを転載いたしております。
オンラインセッション
サイレンスセッション/スカイプ 2020.06.13
木幡等先生
先日の『サイレンスセッション』、誠にありがとうございました。
臨在が確かにそこにあることの、強さをひしと感じることができました。
今でも忘れることのできない第一回目の『ヘッドセンターの直接伝達』。
想念と完全に自己同一化してしまっていた昏睡した自己意識をばりばりと大音量を上げて先生がひっぱがしてくださったこと、あの衝撃は私にとって生涯忘れることはない出来事です。
そしてあれから半年、なんとか食らいつきながらややもすれば引き戻されそうになるけれども、想念との非自己同一化、距離を意識的にとれる状態を『ヘッドセンターの直接伝達』と『純粋意識の直接伝達』により支えられ、歩んでこられたなと実感しています。
ノーコンタクトセッションへの初参加より4ヵ月目をこえた頃から、ひとりで座っている際に深い安らぎをおぼえるようになってきました。
それは懐かしい安らぎ、直接伝達を受けている際にようやく思い出すことのできるような赤子の頃のようなこの世界の感じ方にもどるような。
木幡等先生について
半年間のノーコンタクトセッションによる直接伝達を経て、先生とスカイプによってお会いしてみたいという気持ちが固まり、6月13日のサイレンスセッションを申し込み、無事受理となりました。
先生が真摯(しんし)にありとあらゆる方面からサポートをして下さることがとてもありがたく、そして濃密で有意義な時間でした。
洒脱で親しみやすい印象と、深いそして遠い到達点からの視線が瞬時に入れ替わりながら、伝達に導かれている感覚になりました。
具体的なこれからの座り方についての指針を頂けたことも助かりました。
また、最後の「沈黙による直接伝達」の時に見た、先生の”想念の無いまなこ”も衝撃でした。
見つめているうちに、この世界に対する私の根本的な認識のありかたが変容されざるを得ないくらいの、不可思議な風景でした。
人は見たことがないものを見たときに、そしておそらく聞いたことがない音を聞いたときに、今までの認識を変更せざるを得なくなります。
今までの常識が壊れるような。
人のまなこに無が宿っている。
おどろきでした。
ゆけるところまでゆきたい、そのような心持ちになれたセッションでした。
誠に誠にありがとうございました。
純粋意識の直接伝達
純粋意識の直接伝達 2019.12.05
木幡様
お世話になります。
初めての「純粋意識の直接伝達」、ありがとうございました。
始まりとともに、特に頭部の上半分、いわゆるクラウンチャクラ付近周辺の皮膚境界感覚がまるでなくなり、脳内に光の束が直接差し込む感覚がありました。
くっと、頭を上昇させられる感覚もあり、心地よく過ごせました。
前半はやわらかいけれど、しかし強い頭部の光の感触に意識が向かいましたが、後半は経験したことのないレベルの穏やかさ、静けさを少し垣間見ました。
言葉で記すと伝わりにくいかもしれませんが、たとえ銀河が崩壊したとしても変わらず静かであるもの。
あの静けさから観ると、たしか個人としての意識に何が起ころうとも些細なことと思えるはず。
日常的には、たとえるなら映画館の客席から映写室へ移動し、映写室にある別の出口を見つけた印象。
この扉を開けて、映写室からさえも出たら、どうなるんだろう、と思えたり。
ありがとうございました。
純粋意識の直接伝達 2019.12.12
木幡様
「純粋意識の直接伝達」ありがとうございました。
昨日も、強い伝達感覚をおぼえました。
身体感覚が希薄になり、さらに自己意識までもが希薄になってゆき、自己という檻の中に閉じ込められていることその事実が奇妙なことと、体験として感じられたのは初めてでした。
何もかも逆さま、純粋意識や根源に向かえば向かうほど、真の自己であるはずなのに、そのように理屈ではわかっていても、そのとらわれから自由にはなかなかなれない。
今までの瞑想体験の限界を超えた経験が起きました。
ありがとうございます。
純粋意識の直接伝達 2019.12.26
木幡等様
いつもお世話になります。
昨日も「純粋意識の直接伝達」をありがとうございました。
始まりとともに自分、自我、われ、と思っている、認識しているそのものが何かによって軽々と揺さぶられました。
とても不思議な感覚でした。
それが落ち着くと、静かで豊かなひとときがやってきました。
ヘッドセンターの直接伝達とは違って、無よりは穏やかさ、安らぎ、心身が軽くなる光りを頂いている印象があります。
「ノーコンタクト・セッション」によって初めての体験が重なり、このひと月で大きく変わった自分自身を発見しています。
誠にありがとうございます。
純粋意識の直接伝達 2020.10.08
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
昨日も「純粋意識の直接伝達」をありがとうございました。
心身が洗われるような、あっという間の伝達でした。
特に、これほどまでも肉体というものが透きとおって感じられたのは初めてでした。
直接伝達によって意識の根源方面に引き寄せられると、肉体があるという実感がなくなってきます。
ですので、肉体とは魂のひとつの表れに過ぎない、それゆえに肉体感覚が希薄になるのではないか、とも思いました。
いつもありがとうございます。
絶対意識の直接伝達
※. 2020年当時、「絶対意識の直接伝達」は「高次のハートの直接伝達」という名称で行っておりましたが、以下のご感想では「絶対意識の直接伝達」と修正して表記いたしております。
絶対意識の直接伝達 2020.09.06
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
「絶対意識の直接伝達」をありがとうございました。
いつもながら言葉にならないのですが、今回はまた更に言葉を失うくらいにとてもなんらかの体験をしました。
なんらかってなんだ、なのですが、よくわからないんです。
圧倒されました。
例えとして不適切かもしれませんが、古武術の達人に稽古をつけて頂いて、次元の違う対象に具体的に出会った、その後の雰囲気に近いかもしれません。
特別なひとときでした。
そのくらいにしかコメントが綴れません。
ありがとうございました。
絶対意識の直接伝達 2020.11.01
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
「絶対意識の直接伝達」をありがとうございました。
ほぼ、一年にわたって「ヘッドセンターおよび純粋意識の直接伝達」を受け続けてきた私にとって、今月はがらりと変わり「絶対意識の直接伝達」のみに絞っております。
そうすることによって、いわば己にとってどのような後戻り現象が起こるのか否かを、つぶさに検証する月と自然とあいなりました。
現在のところ先日の「絶対意識の直接伝達」の強い力によって、引き続き何がなくとも満ち足りた穏やかな状態が基調としてある状態でいられております。
しかし「絶対意識の直接伝達」の印象は、今回もひとことでは到底言えないものでした。
とてつもない雰囲気に包まれ、わずかに残る自他の隔たりの壁と言ってよいのか、些少な己という空間の最果てと言えばよいのか、その向こうから確かに伝わってくる何事かをただただ感じているばかりでした。
貴重な伝達を今回も皆さまと共にありがとうございました。
今月期もまたどうぞ宜しくお願い致します。
絶対意識の直接伝達 2020.11.08
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
「絶対意識の直接伝達」をありがとうございました。
「純粋意識の直接伝達」は降りそそぐという実感が強く、その体験の中で洗い清められる感覚が強かったのですが、「絶対意識の直接伝達」においては、潜在意識をふくめて己にまつわるありとあらゆる想念が虚空に吸い込まれて消えてゆく感覚があります。
不思議なもので、虚空に吸い込まれてゆくものと、吸い込まれ得ない「そこ」がかえって体感しやすくなります。
「そこ」と記すと場所のようですけれども、場所であって場所でないような、自己意識よりかはまた少し背後のような、言葉にするとどうにももどかしいですけれども、大げさに言うならば消えてゆかない不変のなにごとかは虚空に吸い込まれることもない、ならば虚空そのものの性質がなにごとかにそもそも宿っているのではなかろうか。
私の中にも不滅の何事かがたしかにあるのだと「絶対意識の直接伝達」は伝えて下さっているように、私は思えるのです。
伝達をありがとうございます。
絶対意識の直接伝達 2020.12.09
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
絶対意識の直接伝達をありがとうございました。
たゆみなく努め、日々を混乱することもなく、集中と明け渡しのバランスをとりながら穏やかに過ごせております。
一年前の自分を思い起こすと労わりの気持ちが浮かびます。
特にこれといって何もつかみ取れずに失意の中にあった私に直接伝達という恩寵が訪れるとは・・・。
想念という範疇において、いかに祈ろうとも、念じようとも、想念に想念を洗い清めることはできない。
打つ手なしにて困り果てていたのですが。
今回も、ただありがたく絶対意識のの直接伝達を受けておりました。
拝
ヘッドセンターの直接伝達
ヘッドセンターの直接伝達 2019.12.03
木幡様
昨日はありがとうございました。
初めての「ヘッドセンターの直接伝達」。
リラックスしているつもりでしたけれど、伝達が始まるとまずその少し身構えている想念そのものが溶解してゆく感覚が始まり、正直驚きました。
他者、外界からの接触によって想念が消えるというよりは、外界からやってきたものはすでに私の内界にあり、そのあるものが漲(みなぎ)らせている力、エネルギーそのものが私の想念に働きかけている、そのように感じました。
たしかに、座って目を閉じている時に認識している対象への揺さぶりが直接伝達によって始まり、認識している対象そのものが歪(ゆが)んで溶けてゆきました。
その後、懐かしい、懐かしい、さんざめく天界といってよいのか、意識の根源といってよいのか、そのものが放つ安らぎと光明至福感、が音楽と音色として聴こえ、「なぜに、こんなに懐かしいのかな・・・」と、あらためて感じ、この感覚を見失っていたと思いました。
直接伝達を受けている際に、ほとほと自力の限界を感じるとともに、では本物の他力に出逢えるかどうかは、やはり自力にもよるよな、と思ったりしました。
来ては去り、来ては去りゆくこの無常の世界で、来ては去りゆかない永遠のものを探し続けてきたように思います。
意識の根源を認識することを分厚く阻(はば)む想念とのひと時の別れで尋(たず)ね聴こえた妙なる音色、聖なる感覚、あの懐かしさが胸に心に響き残っています。
ありがとうございました。
ヘッドセンターの直接伝達 2019.12.10
木幡様
一昨日も「ヘッドセンターの直接伝達」、ありがとうございました。
今回は始まりとともに、前回印象的だった、意識の対象物が溶融していく感覚よりも、自己の感情、感覚、思考を観察しているいつもの場所から遠く背後に引き離される、その離れ離れて、またさらに離れ離され離れてゆく、スクロール感が印象的でした。
中盤はじっくりと脳内に気づきのセンターが構築されてゆく、してゆく感覚が濃厚。
後半は静かに座っていました。
日常的にもあれっ、というくらい想念に巻き込まれにくくなっている自分に気づきます。
何かが変わりつつあることを実感しつつ、それが変化ではなく根底からの変容であることが自己の魂としての願いであることを願いながら。
風邪のなか、ありがとうございます。
ヘッドセンターの直接伝達 2020.09.08
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
昨日も「ヘッドセンターの直接伝達」をありがとうございました。
充実したひとときでした。
今朝目覚めますと、自分自身が内なる静けさに満たされていることに気づき、改めて納得したり、驚いたり、腑に落ちたりしていた一日でした。
たしかに明るく前向きな光あふれる想念こそ、最大の陥穽(かんせい=落とし穴)、うっかり浸ってしまいがちですが、やはりそうではない。
そこがゴールなどでは決してない。
いや、ゴールなどであるわけがない。
この内なる静けさを体験していますと、生まれてこの方、想念さんとさんざん付き合って参りましたが、その想念さんがまるでおもちゃのようにも感じられます。
想念さんは私をたぶらかしたり、おとしめたり、まあ好き放題なさいますけれども、すべてあらわれては消えてゆく、こちらに何が起ころうとも、なんの責任を取るつもりもないようで、いい加減にせえよと言いたくなる。
それに較べますと、この内なる静けさというものが普遍性を携えていることがよく沁みて参ります。
内なる静けさにはその体験者へのいたわりがあり、そこにありますのは魂の安らぎ、それも上質な安らぎです。
まるで違う。
思い出させて下さり、誠に誠にありがとうございます。
ヘッドセンターの直接伝達 2020.10.06
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
昨日も「ヘッドセンターの直接伝達」をありがとうございました。
かなり力強い伝達と感じられ、ヘッドセンターのみならず、全身が細やかに振動しはじめました。
肉体的な周波数が上昇してゆくのか、中盤以降は静寂と強い安らぎを覚え、ただただひたすらに明け渡しておりました。
貴重な伝達を感謝申し上げます。
ライフエナジーの直接伝達
ライフエナジーの直接伝達 2021.01.04
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
「ライフエナジーの伝達」をありがとうございました。
伝達中は意識の微細なブレのようなものがおさまり、非常に安定した瞑想状態になりました。
集中しすぎて力の入った力みが程よく抜けてゆくような。
想念、思考との同一化状態を保つことが逆にできなくなってきている日々です。
とても穏やかで幸せな毎日です。
いつもありがとうございます。
ライフエナジーの直接伝達 2021.02.22
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
昨日も「ライフエナジーの直接伝達」をありがとうございました。
伝達の始まりとともに周りの空間も揺さぶられるような様子に嬉しくなりました。
深く安定した力に支えられて穏やかに豊かに過ごせております。
心に惑わされることがほぼなくなり、あったとしても一瞬にして消えてゆきます。
同一化はあっても自己同一化は起こりえないという言葉の言わんとするところが私なりにではありますが、体験上理解ができる気がいたします。
知識としては二十年以上前から知っていた想念との非自己同一化を本当に叶えることができているのだと、驚きとともに過ごしている毎日です。
頭部に強い光が宿り開通した感覚が常にあります。
想念全体を照らしうるこの光のおかげで、日々が爽やかにもなりました。
二月期も誠に誠にありがとうございました。
ライフエナジーの直接伝達 2021.03.07
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
昨日も「ライフエナジーの直接伝達」をありがとうございました。
想像していた以上に強い力に序盤は圧倒されました。
充電とI.H.さんのおっしゃる機能的拡充とが同時進行されてゆくような印象を受けました。
また不思議なもので、自己の想念との格闘を終えつつあった頃から、自分以外の他者がどのように己のこころとつきあっているのかについての観察力が上昇したように感じます。
意識の構造の理解が進んだおかげでしょうか。
また先生が言われるように、純粋意識以外に執着するに値する対象はこの世界にはないということもしみじみと思われます。
参照記事 :『「純粋意識の悟り」のために効果的な二つの瞑想法〜「猿の道」と「猫の道」~』
皆様とともにありがとうございます。
三月期もどうぞ宜しくお願いいたします。
ライフエナジーの直接伝達 2021.03.14
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
ライフエナジーの直接伝達をありがとうございました。
形容しがたい充電のようなことが起きている、それはよくわかるのですが、今まで伝達して頂いてきたすべての要素が満遍なくちりばめられているようにも感じられました。
また大変ありがたいことに、いわゆるエゴという枠のなかで起きている思考や感情、感覚とは隔たった場所に一日中いられるようにもなれました。
苦しみや欲望がないわけではないのですが、それが外側で起きているという確かなる実感を日々瞬瞬に得ていることと、長年そのことに引きずり込まれ散々な目にあってきた現象が起きないがゆえに、毎日がとても楽であります。
油断をするつもりはありませんが、このようになってきますと、ふとどうしたら皆がこのような状態になれるのだろうかと思ったりもいたします。
皆様とともにいつも誠にありがとうございます。
存在としての心の伝達
存在としての心の伝達 2021.06.06
木幡等先生
いつも大変お世話になります。
記念すべき第一回目の「存在としての心の伝達」を受けることができましたこと、また伝達を受けるにあたって(伝達を受け始めてからの)この僅かな一年半程にて自分自身の心境が飛躍的に進んでこれたことに対して、わたくしは二重に感動しておりました。
実は日常的にも、瞑想時にも、これといった問題がなく(逆説的でありますが問題はあるのですが明け渡す以外にすべがないという意味においてです)、また第三者的に観てどうであるのかはさておき、私自身においては静かで深い安らぎとともに、常に進化の過程にあることさえもが、感じられるくらいにとても順調な様子であります。
誤解されないように自分の心境を親しい友人知人に丁寧に説明をする必要性も感じるのですが、むしろ黙って普段どおりにふるまっている方がお互いに益であることもなんとなく思われます。
果てしのない熟成期間に入っているのだろうかと思われるくらいに、何の問題も生まれない状態であります。
誠に日々ありがとうございます。
六月期も皆様とともに、何卒宜しくお願い申し上げます。
存在としての心の伝達 2021.07.04
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
「存在としての心の伝達」をありがとうございました。
常日頃に親しんでいる静寂や静謐を凌駕する、深い重量味のある静けさを伝達の開始とともに体験いたしました。
あらたな未知の感覚でした。
かつての純粋意識の直接伝達を受けている際に味わった直接伝達中に急激に透明感と明度が上昇する意識の在り方にも似ていましたが、こちらは底が知れず、みずからの器に応じて現れる深いこころの海底を伝達にいざなわれながら引き込まれたように思います。
また、ふと日常において、執着するということができなくなった自分にはたと気づいたりもし、周りに合わせることは以前よりもはるかに容易にはなったものの、最終的な興味の対象にはこの世界がなりえず、自己同一化ではありませんが、少し困ったような心持ちにもなったり、であります。
ですが、日々たゆみなく在れており、また順調であります。
皆様とともにいつも誠にありがとうございます。
7月期も宜しくお願いいたします。
存在としての心の伝達 2021.07.11
木幡等先生
いつも誠にお世話になります。
先日も「存在としての心の伝達」をありがとうございました。
これといった混乱や停滞もなく順調に明け渡し続けられているようです。
時の経つことが疾く、いかなる重圧のかかる仕事や場面においても、そのことにも巻き込まれずに過ぎゆきます。
世間的に慌ただしく過ごしてはいるものの、おそろしく世間から意識は乖離しており、妙ではあります。
皆様とともにいつも誠にありがとうございます。