以下のご感想は、S. S. 様から事務局宛に頂いた掲載用のご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
ノーコンタクトでの直接伝達
2018年6月10日に行われた、初の「ノーコンタクトでの直接伝達」までの期間において、当方でのセッション経験や木幡との面識もなし。
「ノーコンタクトでの直接伝達」参加お申し込み時のメールでのご連絡のみ。
2018年4月頃から、当方のコンテンツサイト『言葉による伝達』の読者であられたとのこと。
「ノーコンタクトでの直接伝達」の事後的な効果などを検証するため、毎週にわたり事務局あてにご感想を頂いておりました。
なお現在は、事務局宛のご感想等には対応いたしかねます。
個人的なご質問等は、メールセッションや個人セッションでお尋ねくださいますよう、よろしくお願いいたします。
「ノーコンタクトでの直接伝達」体験直後の感想
木幡様
昨日の直接伝達、ありがとうございました。
感想を手短に述べると、
「(うまく表現できないですが)明晰で静寂な何かに満たされました」
と
「心理面での好転(これは今も継続中)」
です。
以下、時系列で変化を記載します。
6月10日(日曜日): 直接伝達当日
12:45
部屋の掃除をして、お香を炊いてスタンバイ♪
【 直接伝達開始 】
13:00~13:30
無駄に緊張してしまい、程よいリラックス状態になれない。
よって変化も感じられない。
13:30~13:45
やっとリラックス状態に。
13:45~14:00
眠気が襲う。
【 直接伝達終了 】
14:00~15:15
睡眠。
15:15
起床時、頭がとてもすっきりしていて、視界が少し明るくなっており驚く。
15:15~17:00
雑事を済ませる。
17:00~20:00
部屋にこもる。
直後から、頭はとてもクリアなのに思考があまり浮かばず、落ち着いていてとても静寂な空気に包まれる。
このような感覚は今まで感じたことがないものでした。
部屋に一人でいると音楽を流したくなるのですが、この時はこの静けさがとても心地よく、幸せな状態でした。
20:00~22:00
雑事を済ませる。
22:00~22:10
日課の呼吸法を行う。
この時、上半身が一回り大きくなったような、ちょっと浮いているような感じがありました。
23:00
就寝。
眠りに就く時も、頭はとっても静かでした。
6月11日(月曜日): 直接伝達翌日
6:00
起床。
目が覚めるとすぐ心配事が思い出され不安になることが多いのですが、今日は心配事は思い出されたのですが不安にはなりませんでした。
8:00
出勤。
30分ほど歩くのですが、このあたりからとても機嫌が良いことに気づく。
10:00
会議(この会議、いつもはちょっと苦手な人がいて、話すのがつらいと思う時があるのですが、なぜか!今日はとてもポジティブで沢山発言できました。(笑))
以降、(20:00時点で)今も気分はとても軽くて、機嫌が良い状態です。
感想
特に何か修行しているわけでもない私は「何も受けとれないだろうなあ・・・」などと思っていたのですが、こんなにはっきり変化が現れて、木幡様には本当に感謝です。
無料でいいのでしょうか・・・
また変化があれば、ご報告いたします。
折を見て個人セッションに申し込みたいと思います。
ノーコンタクトでの直接伝達、次回もぜひ参加をお願いいたします。
別便で有料記事のお申し込みを送付します。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
その後の感想1
6月12日(火曜日)
昨日のハイテンション(笑)な感じは落ち着きましたが、楽しい気分で過ごせています。
「静寂」に留まることが、自然に長めにできるようになりました。
頭部の中心部分に空間?隙間?が開いたような・・・
6月13日(水曜日)
今日は楽しさもありつつ、静けさが生活全体にうっすら降りてきたような、そんな一日でした。
体の真ん中を風が通り抜けていくような、とても気持ちの良い体験もありました。
「静寂」に留まることが、昨日よりさらに自然に長めにできるようになりました。
自然発生的な思考に巻き込まれる回数が減ってきました。
といっても、仕事に集中してしまうと、失くしてしまうのですが・・・
感想
それにしても「ノーコンタクトでの直接伝達」とは、すごい試みですよね。
「直接伝達」だけでも稀有なのに「ノーコンタクト」とは。
人間とか宇宙とか、一体どうなっているのでしょうか・・・
今回木幡様から頂いた経験は「実際の効果」ももちろん素晴らしかったですが、そのようなことを考える機会ともなりました。
(勿論、私なんかが考えても答えはでませんが・・・)
「なぜ人間が存在するんだろう」とか考えると自分で自分の中をひっくり返しているような、妙な気分になります。
その後の感想2
今週(6/16~7/22)の変化のまとめ
心理面での変化
● 頭ではネガティブなことが思い浮かんでも、感情的には巻き込まれないことが散見されます。
反対に、突然、楽しくなったり、何かに感動して泣けてくるのですが、頭では理解不能ということも起こります。
頭と心のズレに自分で「え?( ゜Д゜) ) ) )」と驚きます。
● 幼少期より「自分を責める」のが得意なのですが(-_-;)、ふと「責める対象がない」という妙な感覚を覚えました。
「自責め」機能が以前ほど発動していません。
「静寂」に留まる、についての変化
● 少し前までは「静寂」に留まることが「幸せ(^-^)」な時と「…退屈(p_-)」な時がありました。
しかし直接伝達後は「退屈」が激減しました。
比較するなら、
Before (^-^):(p_-) = 6 : 4
After (^-^):(p_-) = 9 : 1(この1は、ほぼ体調不良に起因)
です。
「内なる静寂」と「純粋意識」とが異なるものだということが「アジズとの対話/著者:アジズ・クリストフ(アナディ)」でも「恩寵の扉が開くまで/著者:フーマン・エマミ」でもわかりませんでした。
木幡様のお陰で(接点はありつつ)違うものだとはっきりわかって、さらに取り組みやすくなりました。
● 通勤や家事など、考える必要がなく、静寂に集中できる時、脳内から私ではない何かがが外を見ているような気がします。
うー、なんといっていいやら・・・二重人格?(*´▽`*)
身体の感じ方の変化
今週は主に頭部に、時系列に記載したような変化を感じました。
また今週から始まったのですが、仕事が終わる頃になると、頭部や上半身が引っ張られるような、うーん、何かうまく言えないですが新たな感覚を感じます。
疲れてるだけ?かもしれませんが。
時系列変化のまとめ
6/16(土曜日)
起床時の頭のクリアさ、視界の明るさがレベルアップしました。
6/18(月曜日)
● 通勤時、地震発生(゜д゜)!で、一瞬動揺したにもかかわらず、静寂が確固としてそこにあることを認識できました。
● 仕事中にふと、後頭部が「ぱかーん」と開いて、脳が露出している感覚が・・・( ゜Д゜) ホラー???
夜間、安否確認の連絡で遅くまでメール、電話等をし続けたせいか・・・
6/19(火曜日)
● 起床時の不安が戻ってきてしまう。(/_;)
(この「起床時不安」は探求を開始した頃に始まって、その後1.5年程続きました。その後は徐々に軽度になってきて、直接伝達後は消えていました。)
● 寝不足のせいか、頭の中がうまく静かにならなくて、イライライライラ。
(体調に影響されるようでは修行が足りないんでしょうね〜(-_-メ)。)
● 帰宅後、体の中心部に微細な振動を感じる。
6/20(水曜日)
● 起床時不安減少。
● 仕事中にふと、頭蓋骨内が空っぽになったように感じる。
● 仕事帰りに美容院へ。
そこで2時間ほど静寂に居たところ、少しづつ現実との距離が開いていく感覚あり。
6/22(金曜日)
● 起床時不安消滅。
● が、仕事が忙しいのと体調不良で「静寂」をなくしてしまう時間多々あり。orz……..
● が、この不調感から独立している自分も感じ、それはそれで嬉しく、一体どっちがどっちなんだー、(`・ω・´)ノという気分になる。
以上、今週の報告でした。m(_ _)m
その後の感想3
今週(6/23~6/29)の変化のまとめ
心理面での変化
●(先週と似たイベントですが・・・)
幼少の頃より「劣等感」が好物なのですが(-_-;)(-_-;)(-_-;)、これが沸(わ)いてきても、この感情を単独でさわれそうだな、と思うぐらい客観視できて「私の外で起こったこと」という認識に変化しました。
● 起床時不安は消滅しました。
「静寂」に留まる、についての変化
<少し前まで>
「従来の私としていること」と「本来の私として静寂に留まっていること」は、明確に違う状態で、デジタル的な変化でした。
例えると「思考に巻き込まれていた従来の私」と「静寂」が、ゼブラ模様の「黒」と「白」のように時間軸に沿って繰り返される状態です。
思考するとすぐ「黒」になり、思考をやめると「白」になるというような。
切り替えるのに多少なりとも努力が必要でした。
<今週から>
前進なのか後退なのかわかりませんが、「黒」と「白」が混ざってマーブル模様状態です。
思考と静寂が混在しています。
「静寂」に留まることに努力が必要ない状態です。
(しかし、仕事に完全に集中すると、やはり忘れてしまう。)
身体の感じ方の変化
● 頭部の周辺に何かある気がします。
帽子をかぶっているような・・・??
● 頭部には継続して強い感覚を感じます。
● 今週は残業続きだったのですが、不思議と疲れを感じませんでした。
調子に乗って働いていたら、上司から「そんなに頑張らなくていいよ・・・」と言われるぐらいでした(+o+)。
メールでのやりとり~その後の変化について~1
「静寂」に留まる、についての変化(6/23~6/29)
S. S. 様からのメール:
~一部抜粋~
少し前まで
「従来の私としていること」と「本来の私として静寂に留まっていること」は、明確に違う状態でデジタル的な変化でした。
例えると「思考に巻き込まれていた従来の私」と「静寂」が、ゼブラ模様の「黒」と「白」のように時間軸に沿って繰り返される状態です。
思考するとすぐ「黒」になり、思考をやめると「白」になるというような。
切り替えるのに多少なりとも努力が必要でした。
今週から
前進なのか後退なのかわかりませんが、「黒」と「白」が混ざってマーブル模様状態です。
思考と静寂が混在しています。
「静寂」に留まることに努力が必要ない状態です。
(しかし、仕事に完全に集中すると、やはり忘れてしまう。)
木幡 等による返信:上記のご感想について。
プンジャジが言うところの「真の瞑想」「サハジャ瞑想」が自ずとなされているといった状態です。
この段階に入られたら、もう大きな後戻りをすることはないかと思います。
主観的に体験される「後戻りのような感覚」というものは、時にはあるにしましても・・・
いずれにせよ、おめでとうございます。
あらためて「恩寵の働き」に驚くばかりです。
S. S. :教えていただけてありがたいです。m(_ _)m
思わず『覚醒の炎』(プンジャジの対話集)読み返してしまいました。
「常にそこにあるもの」というタイトルの章にありました。
確かに「常にあるもの」だということがわかってきました。
木幡:『覚醒の炎』、お持ちだったのですね。
でしたら『覚醒の炎』36Pの最後から二行目~37Pの最後から7行目の対話の意味が、今では感覚的にもとてもよくわかるのではないですか?
S. S. :はい!
わかることに感動します。
プンジャジ:「瞑想は絶え間なく続いているのだ。わかるかね? あなたはそれを見つけただろうか?」
プンジャジ:「それが瞑想なのだ。だが、それは努力を要しない。ある種の集中は起こっている。」
↑ 本当に、努力はいらないけど「ぽわーん」と拡散する感じではなくて明晰なものがあるのですよね。
感じていることに対して、改めて言葉での説明が加わると、頭を説得できて、より安心して取り組めます。
有難うございます。m(_ _)m
「言葉による伝達」は、「納得→安心」の効果も引き起こしますよね。
質問者: 「ある種の知覚が、ある特殊な知覚が起こっているようなのです。」
↑「そうそう、そんな感じ!!」と激しく同意です。
プンジャジ:「見守り続けなさい。」
↑ これが今の課題です。
木幡:今のS. S. さんのステージならば、(主体が自分である)「見守り続けなさい。」よりは、(主体があちらである)「見守られていることに気づいていなさい。」の方がより良いかもしれません。
S. S. :有難うございます。
トライしてみると、「見守られていることに気づいていなさい」の方が、努力が必要ありません。
こうゆう時、今までだと、絶対「努力が必要な方」を選んでいました。
自分「が」何らかの努力を「しないといけない」と無意識に思っているんですよね。
~後略~
その後の感想4
今週(6/30~7/6)の変化のまとめ
心理面での変化
● 突然、「私以外の何かを目指さなくていいんだ」と腑に落ち、正しい場所に落ち着いた気がしました。
直後、安心感が広がって「静寂」の強度が増しました。
自分と外との間にあった壁が薄くなって「静寂」にダイレクトに触れている感覚です。
「正しい場所にいる」という感覚は、幼少期から熱望していたもので、解決しようと本を読んだり、エクササイズしたりしましたが「頭で理解できても、心はついてこない」という状態でした。
なのに、突如、勝手に解決してしまいました(^^)/。
直接伝達は「頭」を超えて、ダイレクトに肝心なところに届くんですね。
「有無を言わさず強制改善」
あらためて凄いと思いました。
鬱(うつ)の方とか、効果あるでしょうね。
今週は「仕事で心の病、労災認定過去最多」なんてニュースもありましたよね・・・
● なぜか、何年も忘れていたようなことをありありと思い出すことがあります。
「静寂」に留まる、についての変化
● 2週間ほど前までは、「睡眠不足で静寂に留まれない(p_-)」と悩んでいた気がするのですが、体調にかかわらず「聖なるもの:深い静寂」があることを認識できるようになりました。
● 説明しづらいですが、思考や感情が起こる場所が狭まってきた、という感覚があります。
身体の感じ方の変化
● 今週は、自分がどんどん軽くなっていくのを感じました。
時系列変化のまとめ
6/30(土曜日)
● パソコンの前で文章を入力中に前頭葉に「100円硬貨ぐらいの穴が開いている」ことに気づきました。
今までは何かが入ってくる感覚だったのですが。
● 静かに目を閉じていたら、首から上が消滅したような感覚になり(゜Д゜;)、時代劇の斬首刑が思い出され・・・(-_-メ)。
7/1(日曜日)
・静かにしていると上半身が何かに包まれているような感覚があり、感動的でした。
7/2(月曜日)
● 月曜日なのに、心が晴れ晴れ(^^)/。
7/3(火曜日)
● 私の重心が鎖骨の高さに移動したような、軽さを感じました。
7/6(金曜日)
● 意識が頭上1mあたりに移動した感覚・・・が、体外離脱体験は起こらないですヽ(^o^)ノ。
以上、今週も楽しく過ごせましたm(_ _)m。
お読み下さり有難うございました。
その後の感想5
今週(7/7~7/13)の変化のまとめ
心理面での変化
● 苦手だった人の威圧感を感じなくなりました。
「静寂」に留まる、についての変化
●「常時、瞑想が起こっている」ことが理解できるようになって、脳の容量が広がった気がしました。
残念ながら賢くはなってませんが(-_-;)、「常時瞑想」は負荷を感じず、まるで脳に瞑想用専用メモリが増設された感覚です。
● 木幡様のアドバイス「見守られていることに気づいていなさい」を目を閉じて行うと、自身が体ごと無くなって空間しか残らない、という状態になります。
● 徐々にですが、仕事中も静寂をキープできるようになってきました。
身体の感じ方の変化
● 自分の意識が体内から出て背中のすぐ後ろあたりにある感覚になりました。
時系列的変化のまとめ
7/7(土曜日)
● 家事中に、ふと「静けさが好きになったな・・・」などと自身の変化をしみじみ感じました。
● 心が一歩中に入ったというか、現実にあまり影響されないエリアに退いた感覚があります。
7/10(火曜日)
● いつも仕事が終わって会社から外に出ると、自分から何かが外に広がっていき、自分と外との垣根が無い感覚になるのですが、今日は、ぐわーんと、四方から強く引っ張られる感覚があり、ちょっと怖いぐらいでした。
7/11(水曜日)
● 起床時、しばらく思考が出てこなくて、脳内が真っ白に塗りつぶされたようです。
● 自分の意識が体内から出て背中のすぐ後ろあたりにある感覚になってきました。
これが原因なのかよくわかりませんが、会社で「カチン」とくることがあったのですが、いやーな気分はすぐ消え、自分のキャラクターや性格が、他人事のように感じることが多くなってきました。
7/13(金曜日)
● 起床時は昨日の「カチン」ときたことが思い出されたのですが、それは思考だけで、心は「今日も楽しい♪」とご機嫌でした。
その後の感想6
今週(7/14~7/20)の変化のまとめ
心理面での変化
● 継続的に安心で幸せです(^^♪。
「静寂」に留まる、についての変化
● すごく上手に静かにしていられる時は、対象化の対象が入れ替わったようになります。
今までは「静寂」を私が認識している状態でしたが、「私」が外に出て、認識される対象になったような状態です。
● 想念を掴んでいない状態=リラックスや安心。
「自然に存在するって、こうゆうことかな・・・」と感じます。
身体の感じ方の変化
● 体の真ん中(内臓があるあたり)が、がばーんと開いて、細かい粒子のようなもの?が大量に通り抜けていくような感覚になり、ふわーっとした幸福感がやってくるようになりました。
「幸せで(*^▽^*)、仕事に集中できないー(p_-)」と贅沢な悩みを抱えております。
時系列変化のまとめ
7/14(土曜日)
●『言葉による伝達』の『正しい居場所〜本来の心〜』の内容に触発され、「クローゼットから出ないとだめなんだ」とはっきり認識できたことで(ふいに頭を殴られたような感覚でした)、想念と自身が大きく離れる経験ができました。
7/15(日曜日)
● 朝方の夢が今まで見たことのないタイプの夢でした。
今までの人生で自分がいかに恵まれてきたか、を思い知らされるような内容でした。
7/16(月曜日)
● お休みで、普段合わない知人に、初めて行く場所で会ったせいか、外の世界にあまり現実感を感じませんでした。
● この知人との何気ない会話で、彼がとっても幸せなのがふわーっと伝わってきて、人の幸せって自身の幸せと混ざるんだー(*^▽^*)と発見して、さらに幸せでした。
● また、別の知人と話しをしていた時、ネガティブな連想が起こらなくなっていることに気づきました。
以前は、これが起こったから、次はこれが起こる可能性があって、それで最悪こうなって・・・と連想ゲームが自動で発動していましたが、思考の自動反応と暴走が減っていることに気が付きました。
7/19(木曜日)
●『言葉による伝達』の『「悟り」と「エゴ」との関係』を読んで、よりはっきりと「想念と自己同一化していない私」を認識できるようになりました。
●「自身の考え」の中にいることは、もちろん必要なときもあるけれど、「籠(かご)」の中にいるようなものなのだな・・・とも。
7/20(金曜日)
● 想念の「籠(かご)」が勝手に崩れる時があります。
掴(つか)もうとしても密度が薄くなって消えてしまうような・・・、同時に自身が外へ広がっていくような感覚になります。
その後の感想7
今週(7/21~7/27)の変化のまとめ
心理面での変化
●「想念から離れる」ことができるようになって、自分を責める想念も客観的に観察できるようになりました。
「静寂」に留まる、についての変化
●「想念がないこと」が自然で幸せな状態だということがよくわかってきました。
● 想念は勝手に湧(わ)いてきて、コントロールできないと思っていましたが、自分で掴(つか)んでいるだけで、離すことも可能なんですね。
身体の感じ方の変化
● 繭(まゆ)のようなものの中に包まれているような・・・
時系列変化のまとめ
7/21(土曜日)
●「特別楽しいことをしなくても、考えてなくても幸せではないか!」と気づきました。
● 朝、思考に影響されない、広い空間が広がっていることを感知できました。
7/22(日曜日)
● 行動も、常に静寂の上で行っているような感覚があります。
● 想念のないところにいると、それだけで感動します。
なんなんだろう、この感動は(/・ω・)/???
7/23(月曜日)
● 静寂にいると浮遊感を感じます。
7/25(水曜日)
●『言葉による伝達』の『ガイダンス』にある「あらゆる意識の対象物を超える」という部分を読んで、「対象物あるのが当たり前だったわぁ。対象物中毒だったんだなぁ(-_-)」とわかりました。
7/26(木曜日)
●『言葉による伝達』『真なる自己の目覚めとは〜絶え間なき「内なる瞑想」』の「瞑想状態とは、あるがままの私の自然な状態なのだ。」にとても納得します。
この自然な状態には安心感もあるんですよね。
7/27(金曜日)
● 「この世にあるものは、全部与えられたものなのだなぁ・・・」などという思いがやってきて泣けます。
その後の変化8
今週(7/28~8/3)の変化のまとめ
心理面での変化
● 会社での人間関係がスムーズになりました。
リラックスして過ごせるようになったからだと思います。
「静寂」に留まる、についての変化
●「静けさに留まる」や「純粋意識の目覚め」など数年前には存在も知らなかったことなのですが、それがこんなに素敵で感動的で、私に力をくれるものだとは、探求を始めた頃でも想像できませんでした。
この状態はまだまだまだまだ、先がありそうで興味は尽きません。
時系列変化のまとめ
7/28(土曜日)
● 突然パソコン故障(*^▽^*)。
音楽もパソコンを使用して聞いていたため、自室から音が出るものが”全く”無くなり、パソコンのモニターに映し出される意識の対象物!も消え、リアルに「想念一杯のクローゼットからの移行」を味わえました(*^▽^*)。
自室がまるで高級ホテルの一室の様に静かで、この静けさが驚くほど清々しく感じます。
空気を洗濯したみたいです。
(以前だったら、退屈(-_-)と思っていた筈)パソコン必要ないかも、でも必要、うーんジレンマです。
8/1(水曜日)
●(もの凄くツマラナイ気づきなのですが)毎晩、翌朝の出勤前までに行う家事のリハーサルを頭の中でさらっとするのですが、その際、いつもなら「面倒だなあ(p_-)・・・はぁ・・・」と気分が重くなるのですが、昨晩は、はたと、「只やればいいだけなのではないか???」と思いました。
余計な感情を載(の)せているだけだったのですね~~~笑えます( *´艸`)。
8/2(水曜日)
● 私と「静寂」との接触面が広がった感覚があります。
より「静寂」を強く感じるようになったような感覚です。
その後の変化9
今週(8/4~8/10)の変化のまとめ
心理面での変化
●「静寂」をこれまでは頭部(周辺)で感じていると判断していたのですが、皮膚の上にもあるような、体全体で感じるようになりました。
時系列変化のまとめ
8/6(月曜日)
遠足前の子供みたいに、楽しすぎて寝られない!!状態です・・・。
我ながら可笑しい。(^-^;
8/7(火曜日)
静かな部屋で静かにして思考を見ていると、思考だけ頭にあって、本体は別のところにある、というような観察結果になりました。
思考って(完全ではないにしても)単独に存在しているのですね。
8/10(金曜日)
仕事中、デスクでこっそり目を閉じて休憩していたら、自分とは違うものが自分と接触してきている感覚があって、ちょっと圧倒されました。
気のせいかもしれませんが・・・
その後の感想10
今週(8/11~8/17)の変化のまとめ
「静寂」に留まる、についての変化
● どこを見ても「深い静寂」です。
時系列変化のまとめ
8/11(土曜日)
● 目が覚める直前まで夢を見ていて、目が覚めて、起き上がって歩き出した途端「一つの夢から別の夢に移動しただけ」という思いがやってきました。
探求を始めた頃、夢と現実の土台が同じだということが分かってびっくりしたことを思い出しました。
● この日は一日中、夜見る夢と現実の重要度が一緒でおかしな感じでした。
まるで自分の頭の中で生活しているような感じでした。
● 「静寂」を探そうとしても探せなくなっています。
どこを見渡しても全部「静寂」です。
8/12(日曜日)
● 友人と会って、少し重い話をしていたのですが、「物事は私を通り過ぎていくだけだなぁ・・・」「出来事に反応しないでいることが可能なのだ」と知りました。
昔はすぐアタフタしていたのです( *´艸`)。
8/13(月曜日)
● 『言葉による伝達』の『予測不能な人々〜「自己の眠り」という意識状態〜』を読んで、「そうか、ずっと想念を食べさせていたんだなぁ・・・ 美味しくなかったなぁ(-_-;)」と気がつきました。
● 静かにしていると静寂が自身を埋めていって「もう100%これでいいのに」と思うのに、「私が頑張らないと私の存在意義がない!」と頑なに思っている部分が出てきました。
はぁ(-_-;)、なかなかこれはしつこい思いのようです。
8/15(水曜日)
●「静寂」と共に在るということは、思考や想念が追いつけない、それらの少し先を走り続けているようなものですね。
8/16(木曜日)
● 体の内外の浸透圧が等しくなったような、体の外にある空気が内にもあるというか・・・面白い感覚が始まりました。
● あれ、でも思考がないってちょっと退屈かも、と思ったのも束の間、「生きている」そのこと自体に感動するということが起こりました。
● でも、そういう感動からも独立していて何にも影響されないものがあることも感じます。
『言葉による伝達』の『ガイダンス』の中にある「あらゆる意識の対象物を超える」という感覚が少しわかるようになったかもしれません。
幸福も最終目標じゃないのだな・・・と。
メールでのやりとり~その後の変化について~2
木幡:まだ、さっとしか拝見させていただいておりませんが、もう高次の理解とでも言えるものが伺(うかが)われますね。
現在では思考過程を経ずとも、つまり言語を介さずとも「瞬時にただわかる」といった意識状態にあられるのではないだろうかと推察します。
「自然と理解が降りてくる」とでも言いましょうか・・・
すなわち、知性による理解に先立つ意識による直接的把握ということであります。
かなり、目覚めが進んでこられたようですね。
想念に巻き込まれて苦しんでいた過去の自分が、まるで前世での出来事であったかのように、はるか遠い昔のことのように思われませんか?
想念に巻き込まれる苦しみの感覚というものが、もはや思い出せないといったくらいに・・・
S. S. 様:いつも木幡様の解説に「はっと」させられます。
自分では自分の状態を自分に対して「なんとなくこんな感覚」ぐらいにしか説明できない(-_-)のですけれど、木幡様にはっきり言語化していただけると、「それだ!」と明確に理解できると同時に、ぐんと進歩できます。
本当に感謝です。<(_ _)>
その後の感想11
時系列変化のまとめ
8/19(日曜日)
●「自身に対しての拘(こだわ)りが少なくなったなぁ・・・」と思います。
細かいことに関して「あれじゃなきゃだめ、これでなきゃだめ」という頑固な思いが少なくなって、「どっちでもいいか(*^▽^*)」という良い意味でのいい加減さというか余裕というか、が出てきて、軽くなったなぁと思います。
08/21(火曜日)
● 会社で数年に一度レベルの「腹の立つ事件」が起こり( `ー´)ノ
「イライライライラ・・・」が収まらないまま帰宅。
「うーーー全然成長していないではないか!!!……orz……」と落ち込みながら、『セッションの感想(S. Y.さん/49歳/女性)』を拝読。
「それから神の愛がどっと流れ込んできました。私の内側が どんどん満たされていきました。」
という箇所を読んで「素敵〜♪」と思った途端、私にも何かが流れ込んできて想念や思考を生み出す「大元」の一部が流されてていったように感じました。
先ほどのイライラはどこへ?
今までずーっと抱えてきた自分の土台の一部が消滅したように感じました。
Y・S様に感謝です。m(_ _)m
08/22(水曜日)
● プンジャジ師の本でよく「思考でそれを汚さない」というお話が出てくると思うのですが、汚してはいけない「それ」が何か(言葉では表現できないけれど)がはっきり認識できるようになりました。
● 同時に、「ロープが蛇に・・・見えない(*´▽`*)」ことが増えてきました。
08/23(木曜日)
●「勝手に沸(わ)き起こる想念でも、自分が意図した思考でも、脳の一部で起こっているイベントなんだな・・・」と脳内マッピングできそうなぐらい感覚的に捉えられるようになりました。
●『言葉による伝達』の『恩寵を引き寄せること』と「神の裏をかくこと』を読んで、取り組み方が反転しました。
今まで:「私」が主体で、私が「静寂」を追い求めて、私がそこに留まる。
反転後:「静寂」が「静寂」で居続けることを私が邪魔(今週経験した、怒りに振り回されるとか(^-^;))をしないで静かに生活する。
今週も『言葉による伝達』に助けられました。
ありがとうございました。m(_ _)m
その後の感想12
時系列変化のまとめ
8/27(月曜日)
● どこかで常に感じていた「孤独感」が薄くなりました。
というか孤独感を感じている部分が無くなったというか・・・
08/28(火曜日)
● 想念が少なくなり、脳の負荷がガクンと下がって、「脳ってこんなに軽くて風通しのよい器官だったのね」と思いました。
思考も想念も、重みはないはずなのに・・・
08/29(水曜日)
● 日課の体操中、突然、自分の頭部と外の境界が無くなったような感覚になり、外を歩いていると、透明人間になったような、「目」だけで歩いているみたいな感覚になり、可笑しくなってきます。
08/29(水曜日)
●「人生が無駄じゃなかった」という思いが起こり、とても嬉しくなります。
いつも「ここ」とは違う場所に行こうとしていたけれど、「今ここにいること」に充実感があって喜びが湧(わ)いてきます。
08/31(金曜日)
● 朝起きると、胸周辺の存在感が薄くなっており、「古い自分に触れていない」という感覚になり、これが継続しています。
地面から少し浮いて、地面に触れずに歩いているような、水たまりをよけて歩いているような、そんな感覚です。
● 最近、漫画「阿・吽」を読み始めたのですが(最澄と空海の人生が交錯するストーリーです)、4巻で最澄が高雄山寺で講義をする箇所で、先日の『セッションの感想(S. Y.さん/49歳/女性)』を読んでいたときと同じように、何かが流れ込んできて、感動♪しました。
1巻で最澄が「見るとは何か・・・」と語りだすくだりも素敵でした。
お読みいただきありがとうございました。。m(_ _)m
その後の感想13
時系列変化のまとめ
9/1(土曜日)
●『言葉による伝達』の「魂の渇き 〜聖なる水を飲み干す時〜」と「セッションの感想(S. Y.さん)」の「せき止めていたのは私自身でした。」という箇所をぼんやりと頭の中で重ねていたら、私も気づきました。
「既にそこにいるのに、自分がそこから意識をそらしてしまうんだなあ・・・」と。
外に気を取られてしまうという長年の癖と、「そこに何もなかったらどうしよう・・・」という恐れで・・・
9/3(月曜日)
● 朝、自身の意識上で「個人としての私という感覚(個人的な人格を有する肉体/精神としての私)」を感じる分量が減ったことがわかりました。
一人でいるときは | 個:全体 = 3:7 |
でも会社にいくと、逆転して | 個:全体 = 6:4 |
同僚と女子会なみに盛り上がると(*´▽`*) | 個:全体 = 8:2 |
うーん…….orz………
● 帰宅後、静かにしていたら、「自身が体の一点にしっかり繋(つな)ぎ止められている」という思いがやってきて、少し悲しい (T_T) 気持ちになったのですが、「でもこの思いは間違っているんだろうな、身体に失礼よね」とも思いました。
9/04(火曜日)
● リラックス度と安心感がさらに増加。
リラックスすると、ふっと「個人としての私という感覚」が消えて「全体」になれて、軽くて、楽しいです。
09/06(木曜日)
● 朝、「思考や想念の声」がガクンと小さくなったのを感じました。
9/07(金曜日)
● 今週は忙しく、睡眠時間が少ない日が続いたのですが、そのおかげで、「私個人がイライラしようがぼ~っとしようが、それは表面的なことで、『本来の私』は何事もなく、淡々と存在しているなぁ・・・」ということが、よくわかるようになりました。
●『言葉による伝達』の『「真なる自己の目覚め」を途絶えさせることなく、最短で完結させるための秘密』を数日前に拝読したのですが、その中の文章にある「この世界の何であれ、つまり・・・後略・・・」のことをなんとなく考えていたら、「すべては目の前で展開されていて、そこから一歩引いたところで自分が存在している」という視点を得ることができました。
その後の感想14
今週(9/8~9/14)の変化のまとめ
心理的・身体的変化
(意味があることだったのか、ただの気まぐれな変化かわからないのですが、)2週間ほど前に心臓周辺が「ごろごろごろごろ・・・」と動いて、少し複雑な感情が出てくることがしばらく続きました。
(辛いような悲しいような切ないような消えてしまいたいような、でもちょっと感動するような・・・)
夜見る夢も、重~い内容でした。
(人が大量に亡くなるとか、家族離散とか、もの凄い怒りが出てくるとか・・・)
このような状態が2週間弱続いて、今は収まりました。
ちなみに生活はいたって順調です。(*^▽^*)
時系列変化のまとめ
9/8(土曜日)
● 今までとは違う、あるエリア内に入った感覚があります。
もう出たくないなあ、と思うのですが、うっかり、出てしまいます(-“-)。
● プンジャジの本の中で「瞑想しているのは誰か? 探しなさい。」といった内容のお話があったと記憶しているのですが、その張本人を感じられるようになった、かもしれません。
9/10(月曜日)
● 静かにしていると鳩尾あたりに吸い込まれていくような感覚になって、軽く、くらくら (@_@;) します。
9/11(火曜日)
●(これも、私には意味不明ですが (;・∀・)、)朝起きたら、背中と後頭部が「がばーっ」と削られたようになっていて(熊に背後から襲われたらこんな感じだろうと思う・・・(/ロ゜)/)自分にぴったりくっついていた「個人」というラベルが、少し剥(は)がれたような感覚になりました。
9/12(水曜日)
● 頭部に何か強い芯みたいなものができていて、「静寂」をより強く感じます。
●「今まで生きることを怖がっていたこと」を認めて許したところ、さらに思考がガクンと減って、自信が全開\(^o^)/になってとっても楽で自由になりました。
●『言葉による伝達』の『瞑想の世界 〜広がりのある檻の中〜』の「あらゆる夢の世界の外側へと出なければならない。」を読んで、「自分と戯(たわむ)れている場合じゃないんだよ~」と自分に喝を入れました ( `ー´)ノ。
9/13(木曜日)
● 上手く説明できないですが、純粋意識は向こうから私に流れ込んでくるのですが、私の中にあるその受け皿も、それと共通のものになった、そんな感覚になりました。
9/14(金曜日)
● 純粋意識に留まることの幸せをはっきり掴(つか)めるようになりました。
幸せになればなるほど、想念は小さくなります。
どうして何もない(ように見える)ところにいて幸せなのか (/・ω・)/ 不思議です。
お目通しいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
その後の感想15
時系列変化のまとめ
9/15(土曜日)
●「個人としての私という感覚」があってもなくても、何も変わらないことが(ネガティブな意味ではなく)感覚的にわかります。
9/16(日曜日)
●「何かを排除したら、世界は別れてしまう」って禅か何かの本で読んで印象深かったのですが、確かに今の意識状態には「全部」入っているなぁ、と初めて実感しました。
9/18(火曜日)
● リラックスしていると、空気が変わって幸せでありがた~い気持ちになります。
「リラックスして静かにしていること」は「修行」ではないのでしょうが、効果絶大だなぁ、と思います。
9/19(水曜日)
● 夜中にふと目が覚めると、背中めがけて何かが流れ込んできていて「何だろう?」と思いながら・・・、また寝てしまいました。
朝、起きてみると、頭の中がとっても静かになっていました。
思考・想念が減ったというよりも「私が初めて沈黙した」という静けさでした。
9/20(木曜日)
● 日に日に、意識を動かさずに静かにしていることに努力が必要なくなります。
探求を始めて以来、ふらふらしないようにずーっと意識の上に置いていた「重石」を「軽石」にしても大丈夫になって(でもまだ0には出来ない・・・)、自分に課していた負荷が減少して、胸の周辺がすごく楽になりました。
その後の感想16
時系列変化のまとめ
9/22(土曜日)
● 起床時、「私が感知できる意識のすぐ下で何かが動いている」ような感覚があり、「私は何かの表面の一部なのかも」という思いが浮かびました。
9/23(日曜日)
● 身体が「網戸?フィルター?」になったような感覚です (*^▽^*)。
色々通過していきます。
以前は「雨戸」で何も通していなかったことがわかります。
9/26(水曜日)
昨日木幡様からメール※を頂いたのですが、そのメールの破壊力!!が直接伝達と同じぐらい(それ以上かもしれない)に効いたようで、
● 静寂の気配が濃密になり、
● 身体と頭に何かがぐわ~んと流れ込んできて「真っ白・空っぽ」になり、
● 視界が明るくなり(職場の蛍光灯変えた (?_?) と思うぐらいでした。)
● 悟った方がよく「愛」という言葉で表現される「何か」に近いものが、私の体の中心にもあること(もしくは生まれた?)を発見したような気がします。
私にとっては「具体的な対象の無い愛着」という感じです。
今まで私の知っている愛情や思いやりは、対象に反応して呼び起こされるものでしたが、これは単独で「それそのもの」なんですね。
※ メール・・・S. S. 様から多額のご寄付を頂いたことに対して、木幡本人が感謝の意をお伝えするためにお送りした2通にわたる極めて特別なメールです。
9/27(木曜日)
● 自然と「静寂」に留まることができ、想念が入ってこないエリアが広く力強くなったように思います。
9/28(金曜日)
● 久しぶりに「ショック」な出来事があり、いや~な気持ち (-_-;) がやってきたのですが、数時間後にはその気持ちが再現できず、この出来事もあっさり通過していきました。
「おぉ、成長したではないか \(^o^)/」と感じた次第です。
その後の感想17
時系列変化のまとめ
9/29(土曜日)
●「何かを手にする人はいない」という思いが突然ふってきました。
● 思考や感情を認識しているレベルより深いレベルで、私の意識のベクトルが「これ」に固定された感じです。
灯台のサーチライトがある方向に固定されて動かなくなったような感覚です。
● 初めて「意識が身体から自由になったような感覚」がやってきました。
9/30(日曜日)
● 日課の呼吸法をしている時、なぜか感動して泣け、頭部と胸部に何かが流れ込んできて、(多分ずっと探してたものだろうと思う)常駐してくれるようになりました。
10/1(月曜日)
●「現実からの分離感(これが唯一の世界ではない、という感覚)」を初めて感じたのと「個人としての私という感覚の不在」が強まりました。
胸の奥に「ずしん」とした何かがある感じです。
● 木幡様のおっしゃる引き込みが始まったのかどうか、はっきりはわからないのですが、昨日までと違う、後ろに引っ張られる感覚があります。
仕事に集中し難い感じがあります。
● 身体中がぐるぐる(@_@;)します。
身体にも影響があるんですね。
10/2(火曜日)
● 起床時、身体から自身が洗い流されていくような感覚(初めて起こりました)で目覚めました。
● 自然に、どこにも力が入ることなく存在できています。
● 身体の中心を縦に貫通する穴が開いて、空間ができた感覚です。
10/3(水曜日)
● 静かにしていると、「静寂」に自分がかき消されそうになります。
● 今のレベルでの私が静寂に留まり続けるためには、私が何かするのは逆効果なことが、はっきりわかるようになりました。
● 個の私という感覚の不在による、広がり、明るさ、爽快感!が分かるようになりました。
ずっとこれでいれたらいいのにな~。(*^▽^*)
10/4(木曜日)
● 通勤時、家から外に出たところ、視界が広がっていることを感じました。
● 今までは「静寂」=「私の周りにあるけれど、私とは別のものだった」のが、「静寂」=「私でもある、かもしれない」という感覚にシフトし、「静寂」に親密感を感じるようになりました。
●『言葉による伝達』の『悟りに至るまでの全過程』の「私たちはこの肉体/精神の中に閉じ込められてなどいないという真実」を実感できるような時があります。
●「自分の居場所を勘違いし続けたまま」の「勘違い」にピンと来ます。
10/5(金曜日)
● 昨晩、雑事でバタバタと忙しくしてしまったせいか、夜、思いっきり「罪悪感」を感じる夢を見て目覚めたせいか (p_-)、昨日強く感じた「これ」に対する親密感が無くなってしまい(/ω\)、「まずい、まずい、まずい (; ・`д・´) なんとかせねば・・・」と焦り、木幡様のHPを再読。
しばらくすると「親密感」が戻ってきました。
●「(将来とか、生活などで)こうしたいな、ああしたいな・・・」などと思考をしている自分を、ただ見たているだけの視点があるのも感じます。
● 帰宅後、強烈な眠さが襲ってきました。
その後の感想18
時系列変化のまとめ
11/7(水曜日)
● 木幡様がどなたかに個人セッションで直接伝達をされている影響か、午後、くらくらが強まり、数時間継続しました。
11/8(木曜日)
● 昨日のセッションのお陰でしょうか、完全に深い静寂の扉が開いて、想念が脇においやられ、深い静寂が意識の中の大部分を占めているような状態になりました。
● 少しツライと思う出来事があったのですが、そのとき出てきた「辛さ」は本来の私の外にある別の器官が出来事という入力に自動的に反応しているだけなんだなあ、とわかりました。
『言葉による伝達』の『悟った人と、悟っていない人との違い』のお話が理解できました。
11/10(土曜日)
●「頭の中に浮かぶものは私とは別物だ」と実感でき、これまで思考の囲いの中にいたことが実感できるようになりました。
● スカイプ・セッションでの対話の時、「徐々に古い自分から離れているが、それに伴って、この世にいる意味が分からなくなっていくのですが・・・」と木幡様に訴えたら、「一度完全に離れ切って、その後、『大悲とでも言うべき愛』によって戻ってくるんだよ」と、その真意を丁寧に回答していただき、胸に残っていたわだかまりが消されたような気がしました。
泣きました (T_T:::)。
11/11(日曜日)
● 目が覚めると、昨日の木幡様の回答が思い出され、またしばし泣いてしまいました。
昨日の出来事は、私にはとってはかなり衝撃のあることだったようです。
●「ノーコンタクトでの直接伝達」で「思考も想念もない場所」に常時接続できるような?頭部に対する新たなエネルギーを感じました。
サイレンスセッション/オンライン
サイレンスセッション/オンライン/2018.10.28
2018.6.10の「ノーコンタクトでの直接伝達」以降、10.28に初めて木幡様の個人セッション(オンライン)を受けさせていただきました。
以下、感想を記載します。
木幡様について
サイトのお写真や「言葉による伝達」から受ける木幡様の印象(ちょっとコワそう・・・|д゚))や私が話し下手なことから、対話がきちんとできるか不安だったのですが、カメラの向こうに現れた木幡様は「やんちゃな少年がそのまま大人になられた」ような、きらきら(☆v☆)な目をした、快活でまっすぐな印象の方で、すぐ打ち解けてお話ができました。
セッションを通してのお話は、悟りや死という真面目なお話から、歴史や芸術、果ては占いや恋愛談義まで幅広く、その博識さ、ユーモア、頭の回転の速さには感心するばかりでした。
また先生としてのお顔だけでなく、幼少期や青年期のお話、家族との関係、「苦悩した探究時代」のお話などを通して、ご自身の様々な側面を、初めて会う一生徒に見せて下さいました。
お話はテンポよくスピーディーに進んでいく一方で、生徒側への配慮や気遣いも常にあり、安心かつ集中してセッションを受けることができました。
サイレンスセッションでの「言葉による伝達」
「(サイトでの)言葉による伝達」に掲載されているお話でも木幡様から直接伝えていただくと、その意味がより深く自分の中に浸透しました。
特に想念や感情に無意識にコントロールされていることの怖さや虚しさを改めて痛感できたこと、また悟りに至る過程での「気づきの引き戻し」、転生するとは何を意味するか、等のお話は、今後の基盤となる知識となりました。
サイレンスセッションでの「沈黙による直接伝達」
セッションの後半では「沈黙による直接伝達」をしていただきました。
「沈黙による直接伝達」の開始直後、木幡様の瞳を見つめていたのですが、その瞳は今までの快活にお話されている時の「きらんきらん☆」とした様子とは打って変わり、何も映していない、何も読み取れない瞳でした。
その後まもなく、自分が存在している空間が「ぐわん」と一度大きく揺れ、目を閉じると、今いる空間ごとどこかへ放り出されたような感覚になりました。
座っていたので問題ありませんでしたが、もし立っていたら眩暈(めまい)でかなりフラフラしたのではないかと思います。
「直接伝達」その後の変化
以下はそのサイレンスセッション後の変化です。
10/29~10/30
「くらくら (@_@;)」が継続。
身体が沈み込んでいくような感覚が生じていました。
10/31
木幡様から伺った「夢もこの世も全ては、意識の上に現れては消えていくものにしか過ぎない」というお話が感覚的に実感でき、なぜか切なくて号泣 (T_T) してしまいました。
11/2
朝、体の中が空洞になったように感じ、「今まで『実体のない自分』を生かしておくために奔走してきたんだ」という思いがわき起こってきました。
例えるなら、とても小さい頃にもらったプレゼントを片時も離さず、ずっと大切に、傷つかないように何十年も守ってきたのに、そのプレゼントの箱の中を今日始めて見てみたら、何も入っていなくて愕然とした、というような感覚です。
その無力感にしばらく大泣きし (T_T)、その後、笑い ( *´艸`) が止まらなくなってしまいました。
守らなければならない、幸せにしなければならない「個人としての私」が身体の中に確実にいると思っていたのに、それは私が作り上げたもので、実在してはいなかったようです。
11/3
昨日の体内が空っぽな感覚から、体内が浄化された感覚に変化し、また、自分の中から安心が溢れてくるような場所があることを発見しました。
生徒側の責任
「(サイトでの)言葉による伝達」や「ノーコンタクトセッション」ももちろん効果はあるのですが、木幡様と直接お話をすることで、木幡様の想いも含め、伝達されたものの「重み」をひしひしと感じ、私の中で何かが切り替わったように感じました。
伝達していただいた何か、それは私一人では見つけることができなかったもので、「私なんかが受け取っていいのかな?」と思うほど貴重なものです。
たとえるなら、お釈迦様が慈悲で与えた蜘蛛の糸のような・・・
私が最後まで登りきれるか、おとぎ話の展開の通りに途中で切れてしまうかは神のみぞ知る、ですが、木幡様がご自身の人生を捧げて到達されたところから惜しみなく授けてくださった宝物と丁寧に向き合い、大切に育てていきたいと思っています。
木幡様と出会わせてくださった恩寵と木幡様には本当に感謝しております。
この感想を読まれている多くの方に、「木幡様」と「恩寵」に直接触れて、「個人」の枠を超えたご自身のより大きな可能性に気づいていただければと願っています。
サイレンスセッション/直接対面
サイレンスセッション/直接対面/2018.11.22
2018年11月22日に、出雲で木幡様に直接お会いして直接対面でのサイレンスセッションを受けさせていただきました。
これまで、「ノーコンタクトセッション」と「オンラインでのサイレンスセッション」を受けさせていただきましたが、今回、木幡様との直接対面において直接伝達していただいたものは、過去のそれとは全く違ったものでした。
私の場合、「ノーコンタクトセッション」や「オンラインセッションでの『沈黙による直接伝達』」の時には「グラグラする」「普段とは違う空間へ移行した感じ」等の「感覚」の変化があり、それがトリガーとなって翌日から自身に対する認識や思考の癖、感情、エネルギー状態等に変化があらわれ始めるというものでした。
しかし今回の「直接対面セッションでの『沈黙による直接伝達』」では、その場で直接、ある場所へと導かれました。
そこは『意識としての私』しかいない場所でした。
淡い光に占めらた穏やかで境界がない場所で、そこにいれば自身が乱されることが全くなく、私はその空間に溶けていくようでした。
「沈黙による直接伝達」の開始後わずか数分で、なんの衝撃もなく「気がついたら、そこにいた・・・」という感じでした。
そしてこの場所は、個人としての「従来の私」とは全く何の関係もないところでした。
「従来の私」が成長して、浄化されて、たどり着くところ、ではなかったのです。
「従来の私」が何かをしようが、何もしまいが、成長しようがしまいが、『この場所にいる「本来の私」』とは何の関係もない。
全く関係なかったのです。
個人としての「従来の私」とは、たとえるなら『この場所にいる「本来の私」』の表面にただペタンとくっついている落ち葉の欠片(かけら)みたいなものでした。
この場所は私一人では絶対に到達できなかったどころか、想像もできなかった場所でした。
ここが探求者が求めているゴール(もしくはそれに近い場所)なんだとしたら、私は今まで目的地を知らないまま、放浪していたようなものだったんだ、と愕然としました。
悟りに最短の道というものがあるのなら、この『ゴール』を知って、『この場所にいる「本来の私」』と一体化するために「従来の私」をただ忘れることではないかと思うぐらいです。
(記憶が曖昧なので正確な表現ではないかもしれませんが、)ラマナ・マハルシが「悟るためには自分を詳しく知る必要があるのでは?」というようなことを問われて「これから捨てるゴミを詳細に調べる人はいますか? ただ捨てればいいだけ。」というような回答していますが、この意味が本当によくわかりました。
私は、自身の精神的・肉体的問題等、「個人としての私」の「傷」や「弱点」に向き合って克服し「従来の私」を向上させること、それこそが強くなること、成長すること、ゴールに近づくことだと考えていました。
しかし今回のセッションで、個人としての「従来の私」に問題があっても「悟り」とは関係がない、「問題のある従来の私」ごと置き去りにすればよいのだ、と理解できました。
よって「従来の私」になるべく意識を払わないで『この場所にいる「本来の私」』に留まり続けること、つまり覚者たちが口をそろえて言うように『この場所にいる「本来の私」』に明け渡すことが最も大切なことであると再認識しました。
もちろん「個人としての従来の私を置き去りにする」なんて普通に社会で生きていく上では簡単なことではないですが、木幡様の「(今のあなたにとっては)『この場所にいる「本来の私」』だけが唯一価値のあるもの」という言葉を支えに明け渡しを継続していきたいと思います。
修行経験のない私に、このような直接伝達をされる木幡様の能力には驚くばかりです。
本当に有難うございました。
サイレンスセッション/オンライン
サイレンスセッション/オンライン/2019.12.28
木幡先生の個人セッションを受けるのは約半年ぶりでした。
久しぶりにお会いした木幡先生は、以前の少年のような印象とは変わり、堂々とした風格が漂う先生となっておられました。
私自身のこの半年間といえば、仕事が忙しく家族にも問題が起こり、落ち着かない日々を過ごしていました。
悟りどころか精神的な問題も解決しておらず、セッションではネガティブなお話ばかりをしてしまいました。
その後、先生から「沈黙による直接伝達」をしていただきました。
ですが伝達中におきましては、明らかに何かを受けとっているといったようなエネルギー的な体験などもあまりなく、伝達後はそのまま会話に戻りました。
そして、伝達から10分以上経った頃でしょうか・・・
理由もなく、突然はらはらと涙がこぼれてきました。
「これは何の涙だろう?」と思うのも束の間、胸を中心として球状に広がる微細な「エネルギーの場」というようなものができていることに気づきました。
形容しがたいのですが、胸のこのエネルギーの場から感じるものは、明るく、清々しいものでした。
そして、個人的な想いを超えて、全く非個人的で公平な想いのようなものが溢れ出してきました。
私がそのことをお話すると、先生はニコッとされ、「ようやく効いてきたみたいだね・・・」「今回はハートの直接伝達をしました。」と仰いました。
自身にとって初めての「ハートの直接伝達」を受け、私個人の不安や想念は追いやられ、個人としての私を超えた何かが、私自身の中に立ち現れてきたような感覚でした。
それは、たとえば、長年にわたり何かを信仰した結果に現れてくるような尊い何か、ではないかと思えるものでした。
感動を覚えると同時に、先生のこの半年間の進化を目の当たりにした体験でした。
個人的な悩みから始まったセッションでしたが、最後には全く個人的ではないものを体験するという大変貴重なセッションとなりました。
ありがとうございました。
特別セッション
特別セッション/3日間/直接対面/2020.01.11〜13
2020年1月11日からの3日間、木幡先生の特別セッションを受けさせていただきました。
今回の特別セッションでは、「自然発生的に生じる『臨在による直接伝達』の効果を最大限にする」という先生の意図による同意のもと、「沈黙による直接伝達」や「手かざしによる直接伝達」などはあえて一切おこなわず、一般的な会話をしながら時間が過ぎていきました。
もちろん先生のユーモアのお陰で、特別セッションといえども大変リラックスした状態で、私も今までになく色んなお話ができたように思います。
他の受講者の方々もご感想に書かれていますが、そのような特別セッションの1日目には得に大きな変化は感じませんでした。
ですが2日目には、少し現実の世界が遠くなるような感覚となってきました。
それと同時に、徐々にヘッドセンターが強くなっていくのも感じていました。
そして3日目の午後、私が何もない空間に浮いているような、そして何かにゆっくりと吸い込まれていくような感覚となりました。
先生は私の内的状態を理解していらしたようで「それが引き込みだよ。」と教えてくださいました。
その空間は今までに感じたことのないもので、「突然、その空間が開いた!」という状態でした。
その何とも言えない空間にいる私そのものも今まで認識していなかったものでした。
そこで、私は今まで「自己意識」や「引き込み」という木幡先生の言葉を、誤って自己流に解釈していたかもしれない、と気がつきました。
通常の私は、この三次元の世界にいる肉体や精神としての「従来の私」しか感知できません。
したがって、自己意識も引き込みも「従来の私」の延長線上で起きること、と勝手に解釈していました。
でも、自己意識としての「本来の私」が本当にいる場所は、今までの私が感知していない場所にあり、この引き込みは、この三次元の世界にいる「従来の私」とは、ある意味全く関係なく起きることだったのです。
(これはもちろん、自己としての「本来の私」がさらに進化していけば自然に理解できることなのでしょう。)
多くの覚者が「『通常のあなた』と『本来のあなた』とは何の関係もない」というようなことを話されていますが、「引き込まれていく『自己としての本来の私』と通常の『肉体・精神としての従来の私』との断絶感」は、それを実感させてくれるような貴重な体験であり、とても衝撃的なことでした。
今回の特別セッションにおいて「引き込み」の始まりを体験しただけでもこれだけ「従来の私」との断絶を感じるのですから、木幡先生が意識として存在していらっしゃる所は、どのような場所なのか私には想像もできません。
その後の経過
特別セッションが終了し、予定通り帰宅しました。
翌朝は出勤のため、通常通り身支度をし、朝食をすませました。
3日間のある種の緊張が解けたせいか、食後に眠くなってしまい、10分ほど居間のソファーで横になり眠ってしまいました。
そして目が覚め、起き上がろうとしたのですが、身体内部の微細な振動と意識が引き込まれるような感覚でまともに立つこともできず、そのまま横になっていました。
このようなことは全く初めてのことで、自分に一体何が起こっているのか検討もつかず、当初は動揺したのですが、しばらくして、ふと以前、個人セッションで先生に伺ったお話が思い出されました。
それは、プンジャジの「覚醒の炎」という本の『38ページ15行目~46ページ最終行』に出てくる、プンジャジに会った後、家に帰る意志を失くしたどころか、食事も取ろうとはしなくなった女性の話です。
「この状態はプンジャジの言うところの『真我への没入状態』、すなわち『強度の引き込み』が起きていることの一例です。」そのようなことを先生は仰っておられました。
私の今の状況はこの女性ほど極端ではないにせよ、身体を動かしたくない、外部のことに意識が向かわない(その結果、想念にも巻き込まれない)などという共通点からも、セッション3日目から感じ始めた引き込みが継続していることが推測されました。
結局その日は会社を休み、一日中横になったまま動けませんでした。
その翌日以後、日常生活に戻ってからも、仕事内容により、強弱の変化はありながらも、引き込まれるような感覚は継続しています。
そして2月6日の「ノーコンタクトセッション」の翌日からは、さらに強い「引き込み」を感じています。
また、これまでは感じることのなかった「純粋意識の流入」の感覚も強まっています。
「ヘッドセンターの直接伝達」や「純粋意識の直接伝達」での「ノーコンタクトでの直接伝達」でも、継続して受けていると変化がありますが、「特別セッション」での「臨在による直接伝達」、そして木幡先生と直接お会いしたことに由来する変化は比べ物にならないぐらい大きいことを改めてひしひしと感じています。
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