以下のご感想は、S. Y.様から事務局宛(あて)に頂いたメールでのご報告を、ご本人のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
また、ご本人のご許可をいただいた上で、原文の真意が伝わりやすいように加筆修正をいたしております。
目次
2018年8月16日/スカイプでのサイレンス・セッション/第1回目を終えて
セッションから2日後
一昨日は、大変お世話になりました。
まだなんと言っていいかわからない状態ですが、とりあえず今時点で。
脳が「じーん」としているのは、わかります。
今は、穏やかな静けさによる包まれ感と、強い引き込まれ感があります。
(セッション翌日である)昨夜は壮絶に眠かったです。
セッションから3日後
先日のセッションでもそうだったのですが。
せっかく待ちに待った直接伝達を受けているにもかかわらず、私は一生懸命、抵抗しているのです。
その最中はひたすら、「抵抗しない」「抵抗しない」と自分に言い聞かせていました。
おかげでちゃんと受け取れたのかどうか、今一つ自信がありませんでした。
今朝もやはり抵抗していました。
これは何だろう、これは私ではない、と気が付いた時、抵抗が止みました。
それから神の愛がどっと流れ込んできました。
私の内側が どんどん満たされていきました。
せき止めていたのは私自身でした。
正確には本当の私ではない私です。
せき止めるのが止まったら、そのままに神の国へ還れるのですね。
いつも最後まで残っている「私が嫌い」という想いが、消えていくかもしれません。
そのきっかけに触れたような、今朝でした。
ありがとうございます。
2018年10月6日/スカイプでのサイレンス・セッション/第3回目を終えて
2018年、8月16日の1回目のセッションから2か月以上、3回目のセッションから2週間ほど経ちました。
セッション3回目当日はお決まりのクラクラのフラフラでしたが、翌日と翌々日は病人さながら、ほぼ寝たきりでした。
休日でよかったです (^-^;
その後。
今までがっちり存在していた、私というものが薄くなってきていると思います。
体に少しずつ隙間が空いて、やがて空洞がぽっかり空いてきているような・・・
細かな砂でできた偶像のような私が、穏やかな風に吹かれて、さらさらと崩れて、少しずつ消えていきます。
そうして私というものすべてが薄くなっていきます。
私が消えてしまうという感覚を最初に覚えた時、とても怖かったです。
今はそれがとても心地良く、大変幸せに感じております。
なぜなら、「この私」というものが苦しみそのものだったからです。
この私ではない、何者でもない、なにか。
とても幸福な。
それが、なんなのか・・・
頭の中は明るいです。
静かで砂のように細かい、光の微粒子の集まりのようです。
このように聖なるものが強く流れ込んでくるために、この頃は特に仕事が困難になってきました。
午前10時くらいまでなら、なんとか。
しかし11時にはガツン、午後イチにはドン、夕方5時ともなると、もはや仕事どころではありません。
なので、できるだけ残業しないで急いで帰宅しています。
避難せねば〜 (^-^;
というわけで、ますます仕事不熱心な人になってきました(笑)
想念との攻防、いたちごっこは相変わらず続いております。
がっかりしてしまうんですけれど・・・(^-^;
が、深刻さは減ったように思います。
木幡様には感謝以外ありません。
全力で大切なものを送ってくださいました。
そして私では絶対に辿(たど)り着けなかった場所へ連れてきていただきました。
しかも、こんな短期間で。
教えていただいた、適切な明け渡しをしていきたいと思います。
というより、今となってはそれ以外できることがありません。
2019年3月7日~9日/初めての特別セッションを終えて
木幡先生、特別セッションも大変ありがとうございました。
現在、私は3週間に1回のペースで「スカイプ・セッション/2時間」を受けさせていただいておりますし、これまでにも「直接対面セッション」で先生と直接お会いしたことはありますが、「特別セッション」は初めてのことでしたので、とても楽しみにその日を待っておりました。
ワクワクしつつも緊張しながら当日を迎えました。
特別セッションを終えて
本当の師にやっと会えたと思いました。
今までその時々に必要だった先生方に導かれてきましたが、木幡先生が最後の先生なのだと思いました。
木幡先生に出会えたこと、出会ってから先生に大変お世話になってきたこと。
子供を育てるように大切に育てていただいていること。
感謝と喜びで、ただ胸がいっぱいになります。
ここへ連れてきてくださった時々の師、つなげてくださった人達、導いてくださる高次の存在。
すべてに感謝いたしております。
木幡先生は過去世において悟りを実現されていらしたと思います。
阿羅漢から消え去る道を選ぶことができたにも関わらず、あえて菩薩の道を選ばれた、選ばされた方だと思いました。
衆生を救うため、生徒を悟りへ導くため、ひいては後継となる教師を育てるために。
これこそは大乗仏教の神髄ですが、大変な苦難の道でもあります。
尊い道を歩まれている先生には、衆生の一人としても生徒の一人としても、感謝するほかありません。
特別セッション当日
明け渡し部屋
ラマナ・マハルシが過ごしたという洞窟を彷彿といたしました(笑)
「何もしない」「ただ在る」
内的な意味で「何もしない」「ただ在る」ということを経験し続けるという、とても贅沢(ぜいたく)な時間と空間を先生がご用意してくださっていました。
これまでの日常生活において「必要以上に活発であった精神活動」が静まっただけでなく、「何かをしなければならない」などといった強迫的な観念や衝動も湧(わ)き起こりませんでした。
先生の卓越したコミュニケーション能力
おかげさまで最初は緊張気味であった私も、徐々に寛(くつろ)いで過ごすことができるようになっていきました。
先生は多分お気づきだったと思いますが、緊張もあり、初日は遠くに座っていたのですが、日を追うごとに私の座る位置が少しずつ先生のお近くへと、自然と移動しておりました。
我ながら動物のようだと思いました (^-^;。
愛
すべての瞬間の根底にあるのは、限りなく溢(あふ)れる、透明で豊かな「愛」です。
明るく軽やかな愛が、私の心身に静かにゆっくりと浸透し、満たしていきました。
気づきとくつろぎ
木幡邸で先生とご一緒させていただいている時には、強力な気づきと寛(くつろ)ぎが同時にあります。
木幡邸を出てホテルに帰ると、それらが継続しつつ、意識の根源からの強烈な引き込みが生じていました。
時間が存在しない
通常の日常生活で感じている「時間の感覚」というものが、初日の夕方にはなくなっていました。
常時「完全な安全地帯にただ在る」という感じです。
お買い物タイム
私は歩くとリラックスするのか、歩いている時には「意識の根源からの引き込み」が強くなります。
ですから先生とのお買い物タイムでご一緒して歩いている時は、先生からの「臨在による直接伝達」の効果も加わって、意識を保つのが非常に困難でした。
また周りの人たちが、木幡先生という覚者の存在に気がつかないのが不思議でした。
私たちには、先生から放射されるそのエネルギーが、とても強く感じられるのに・・・
覚者の臨在によって放射されるエネルギーは、あまりにも柔らかで優しく穏やかで、この世界にふわっと降りて馴染(なじ)んでいましたので、それで周りの皆さんは気がつかないのかな、とも思いました。
特別セッションでの「言葉による伝達」
全体として、先生に出会ってから今までのまとめ・総集編といった感じでした。
目覚めについての理解の重要性
「自己意識の目覚め」と「魂の目覚め」との違い、それらの相関性について詳しく解説していただき、あらためて「自己意識の目覚めの明晰さの重要性」というものを理解することができました。
丁寧なコミュニケーションの大切さ
● コミュニケーションの大切さを教わりながら、先生の人への愛の大きさを感じました。
先生の高度なコミュニケーション能力と忍耐に脱帽です。
● コミュニケーション能力を高めるための具体的な方法を教わりました。
● 先生との対話は、大人(先生)が幼児(私)に教えるといった状態でした。
自分の未熟さを痛感いたしました。
● 木幡学校(特別セッション)の開講、ありがとうございました。
特別セッション後について
受けとった最大のものは「愛」
私の内側に、柔らかで暖かなものが充実し、満たされています。
「エネルギー状態」と「意識の根源からの引き込み」
この感想を書いている3月19日の時点(特別セッション10日後)では、維持されているのでないかと思います。
睡眠を要する
平日は仕事などで、十分に眠る時間が確保できず、特別セッション1週間後の週末は爆睡状態となりました。
高次の意識状態に伴う脳の状態に馴染(なじ)んでいくには、睡眠、休養、リラックスがとても大切だと感じております。
「私を救い切りたい」という想い
自分への愛が湧(わ)いてまいりました。
24時間、師の影響下にある
時間も空間も越えて、常に木幡先生という師の影響下にあると感じられます。
継続的な変容
「継続的な変容」が起きているようです。
私という存在が柔らかで軽やかに感じられるようになってきただけでなく、これまでは理解できなかったことが直感的に理解できるようになってきていることからも、そのように感じております。
想念との決定的な距離間
あれほど苦しんでいた想念から、相当離れることができたという印象です。
想念と自己同一化している意識状態にすぐに気がつくようになっただけでなく、想念から離れている時間が飛躍的に増えてきました。
想念に強く巻き込まれていた従来の私にとっては、大変画期的な状態です。
2019年5月3日~5日/2回目の特別セッションを終えて
ゴールデンウィークの貴重なお時間を割いていただき、木幡先生と事務局の方々に感謝申し上げます。
特別セッションを終えて
前回の特別セッションから二ヶ月が経ち、二度目となる特別セッションを今回は受けさせていただきました。
4月に木幡先生のエネルギー状態が格段にアップされたため、強力なエネルギー状態の先生を目の当たりにする大変貴重な機会に恵まれました。
セッション中は前回以上に終始、深い気づきと愛が充満していました。
私は先生の臨在空間にちょこんと、ただいるだけで良いのでした。
今回、猫のグレちゃんが、足元にそ~っとすり寄って来てくれた時がありました。
木幡先生を一途に愛するグレちゃんが、私も一瞬視界に入れてくれたようで、とても嬉しかったです。
セッション当日
●出西という場所、木幡邸、明け渡し部屋
前回の特別セッションの時は、宿泊しているホテルから木幡邸へ、往きの片道を2回歩いてみました。
今回は3日間とも歩きました。
出雲市の市街地からヤマタノオロチ伝説の斐伊川(ひいかわ)を越え、木幡邸のある出西地区へ入ると、強い引き込みでクラクラしてきて前へ進むのが大変です。
ここに住んでいる人たちは、先生の臨在の恩恵を多大に受けていると思いました。
大きな斐伊川は水量も豊かで、ヒバリがさえずり、美しい砂の中州がところどころ隆起しています。
3月は青々としていた二毛作と思われる麦田。
5月の出西は麦秋真っ盛りで、爽やかな風にまさに小麦色の穂が揺れていました。
木幡邸に到着し、中へ通していただくと、スーッと静寂がやってきます。
明け渡し部屋の扉を開ければ、そこではもはや時間が止まっているかのようでした・・・
「何もしないこと」「ただ在ること」の実現
先生の臨在による影響下にあるだけで、「何もしないこと」「ただ在ること」が、私の努力を必要ともせず、ただそのまま実現しておりました。
浄化のための手かざし
前回の特別セッションの時は、純粋に「臨在による直接伝達」のみでしたが、今回は「手かざし」も受けさせていただきました。
身体の表面的な感覚としては「熱っ!」と声が出そうになるくらいに暖かかったです。
ですが内部に流れ込んでくるエネルギーは、スピリチュアル・ヒーリングに似て、柔らかで優しく、繊細かつ穏やかなものでした。
ス~ッと頭部から背筋を通っていき、身体がストローのように感じられました。
今まで自覚はありませんでしたが、エネルギーの流れにつまりが相当にあったようで、とても楽で軽やかになりました。
直接対面での「ノーコンタクトでの直接伝達」
他の生徒様のご感想にありましたので、私は今回とても楽しみにしておりました。
ですが、始まって早々、その強風のような引き込みのエネルギーに私は目を開けていることもできず、意識を保つことで精一杯、ひたすら意識を失わないように耐えるのみです。
先生がメモを取られる音や、お茶を飲まれたり煙草に火をつける音は聞こえましたが・・・
後半、先生が引き込みを強化されると、私はその爆風のようなエネルギーに身体ごと引っ張られないように、安楽坐(あぐらざ)で組んだ自分の足のすねに両手で必死に掴(つか)まっておりました。
しかし、足を掴(つか)んだ姿勢のまま、後ろにコロンと倒れそうになるのです。
倒れそうになっては慌(あわ)てて起き上がる、を繰り返しておりました。
私たちが個人セッションで受ける「沈黙による直接伝達」が丸1時間続く、という凄(すさ)まじさでした。
以前の修行との違い
かつて私が6年間に渡って教わってきた仏教の座禅瞑想では、「心の苦しみから解放されたい」という私の願いが、根本的には叶えられておりませんでした。
それが木幡先生からのご伝達とご指導により、この10ヶ月足らずという短い期間で圧倒的に解決されていっています。
ですから、いったいこれはどういうことなのか、かつて体験していたこと、観ていたものは何だったのか、そうしたことを知りたいと私は考えていました。
そして今回の特別セッションでは、木幡先生は私の疑問を丁寧に、辛抱強く解きほぐしてくださりました。
特別セッション後の経過について
猛烈な「引き込み」の継続
まさに「絶え間ない引き込み」といった感じが続いております。
圧倒的な「想念との分離」
継続的な強い引き込みのため、自動的に想念から引きはがされますので、非常に楽です。
全体として、想念の存在感が薄くなり、かつ遠くにある感じになってきましたので、安らぎの感覚も深まってきております。
スピリチュアル・ヒーリングを継続的に受けてみて
以下は、2019年2月20日から連続参加させていただいているスピリチュアル・ヒーリングを、二ヶ月間(合計5回)に渡って受け続けてみての感想です。
身体的な効果
年齢と共に低下していく身体の諸機能が、明らかに改善傾向にあります。
聴力の改善
内なる音が聞こえるようになったためでしょうか、会社の健康診断にて、低音域だけでなく高音域も楽に聞き取れるようになっていて驚きました。
視界の改善
私は生まれつきの斜視です。
子供の時に数回手術をし、その後は眼鏡で調整しておりますが、右目のみが機能している状態でした。
左目は使われていないので、視力も良くありません。
眼鏡をはずすと左目が全く動かなくなるので、子供の頃には気持ち悪がられることも多くありました。
木幡先生のスピリチュアル・ヒーリングを継続して受けているうちに、ある日、視界の中に、左目の視界があることに気がつきました。
いつの間にか私は、片眼視ではなく両眼視していました。
そして、左目の視界が少しずつ広がってきているようです。
両眼視することにより、物が立体的に見えて、とても驚いています。
作業をするときなど、奥行きがあってびっくりし、とてもわくわくし、楽しいです。
階段の段差も、以前よりわかるようになってまいりました。
また、鏡で確認しましたが、眼鏡をはずしても両目が同じように動いております。
両眼視が安定してきたら、眼鏡を作り直そうと思っております。
両手が効果的に使える
脳や体の機能が改善しているのでしょう。
これまであまり使うことのなかった利き手でない左手も、当たり前のように使っている時があります。
家事をする時などは、とても便利です。
胃腸の活性化
スピリチュアル・ヒーリングを受けている時は、特にお腹がポコポコと音がしています。
胃腸が一生懸命、消化に努めているという印象です。
今後、消化力が上がってくのではないかと思います。
探求における効果
ノーコンタクトでの直接伝達を、より繊細に受け取れるようになる
非常に繊細なスピリチュアル・ヒーリングを受けることは、ノーコンタクトをより繊細に受ける適切な練習となっております。
堅固で強力なエネルギーが生じるノーコンタクトと比べ、スピリチュアル・ヒーリングでは、そのエネルギーの繊細さのために「聖なるものへの愛」「すべてを聖なるものへ、ゆだね尽くす」という姿勢がより真摯(しんし)に求められるようです。
それは木幡先生ご自身の在り方そのものでもあると感じております。
高次の領域
スピリチュアル・ヒーリングを通して、より意識の根源に近づく機会になっていると思います。
何となくですが、特別セッションでの「臨在による直接伝達」の繊細さと、ムーンデイ・ヒーリングでの「スピリチュアル・ヒーリング」の繊細さは近いと感じております。
木幡先生について
2018年8月16日
木幡様は「自分にはいわゆる霊感などは全くなく、ただの勘です」と笑いながら仰っておられましたが、指摘されることがとても正しく、しかも瞬間的に観えているのだと思いました。
サイトで拝見するお写真よりスカイプでの木幡様は、ずっと親しみのある印象でホッとしました。
その智慧だけでなく、強い慈悲と、大変な繊細さも感じました。
私の1歩前、2歩前、3歩前、を的確にお伝えしてくださいます。
核心に関わることを、その内容と状況に合わせて。
従来の私を徹底的に破壊、一掃してくださいます。
それは言葉でもあり、直接伝わる何かです。
私は未だに人とのコミュニケーションが苦手なのですが、セッションにおいては木幡様のお気遣いのおかげで、気まずさのようなものを感じることもありません。
本当にありがとうございます。
木幡様に関しては、慈悲や智慧、繊細さや洞察力だけでなく、とても生き生きとした、お茶目で豊かな印象も受けております。
2019年5月26日
木幡先生について
非常に多面的で奥行きのある方という印象です。
実は結構なイケメンという外見に反して、先生ご自身が仰るようにとてもシャイな方でもあられますので、特に繊細な部分に関しては、その多面性の内側に隠されていると感じています。
木幡先生は、悟りというもののエッセンスを、特にその臨在によって伝えてくださっています。
私は木幡先生によって、おそばにいさせていただくで変容が生じる「臨在による直接伝達」というものを、初めて知りました。
木幡先生のご指導について
木幡先生は、覚者としての智慧と慈悲を土台に、さらに人間としての知性、頭脳、感受性、優しさが組み合わさって臨在されています。
ですから相手の感情を汲み取り、寄り添いながら適切にご指導くださいます。
にこやかにお話しされながら、実はこちらが全く気がつかない領域も複数ご理解されていて、お相手への効果や影響にもお気を配られ、言葉と態度を選んでご指導していらっしゃいます。
それから私の想像以上に、木幡先生は全身全霊でご指導してくださっています。
全てを注ぎ込み、壮絶なお覚悟で直接伝達をされています。
そのようにあられながらも、お相手に緊張感を与えないよう、生徒側が木幡先生に対して不必要な気を遣わなくていいよう、ご配慮されていらっしゃいます。
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