S. E.様/55歳/男性/東京都在住/探究歴:10年

以下のご感想は、S. E.様から「ノーコンタクトでの直接伝達」のコメント欄に頂いたご感想と、事務局宛(あて)にメールで頂いた「特別セッション」のご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。

 

ノーコンタクトでの直接伝達

※. 2018年から11月から2019年11月まで行われていた「ノーコンタクトのでの直接伝達」では、全4回において1回あたり1時間の直接伝達が行われておりました。

高次のエネルギーとの接触状態が1時間も続くことに慣れていない方がほとんどのため、現在のノーコンタクト・セッションでは伝達時間20分間にいたしております。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2018.12.30※

※「ノーコンタクトでの直接伝達」は1ヶ月あたり全4回のため、この時は第5回目を特別サービスとして午前と午後に5分間ずつ行ったものです。

 

 

昨日のノーコンタクトでの直接伝達、ありがとうございました。

二回のうち特に午前中の部では当方が充分に準備を整えていたこともあり、得がたい経験が得られました。

 

極端に深い引き込みと集中が発生しました。

前回の同パターンの時よりもさらに深く強い集中でした。

喩(たと)えるなら、ロウソクの火が消え、芯の部分のかすかな光だけがどこまでも限りがない暗闇の中でぽつんと輝いている状態。

通常、瞑想においては、内なる自己と集中対象の間になにがしかの分離感があるのですが、消えそうな「芯の光」こそが内なる自己であり同時に集中対象であり、さらに又、どこまでも広がる暗闇も同時に(「自己」と言えるかどうか疑問ですが)意識の場でありました。

強烈な陶酔感がありました。

想念は皆無、と言うより、思考や感情を持つことが不可能な純粋な意識状態でした。

 

結局、連続して2時間半以上座っていました。

瞑想から出て日常のリアリティを取り戻すのに30分以上かかりました。

諸事情許すなら、いつまでもずっと座っていたかった・・・

 

自分だけで行う瞑想を子ども用プールでのチャポチャポ水遊びとするなら、木幡様からの直接伝達時の瞑想はプロのインストラクターに誘われて意識の海に潜る実体験と言えましょう。

当然それは次元の違う体験です。

 

年末も押し迫って、ありがたい機会をいただきました。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.01.13

今回は、特に木幡様のご指示にあった「自力的な集中」の回避に気をつけておりました。

漠然と内側に意識をおきつつ、特定の身体部位や感覚に意識が集中しないように心がけました。

 

想念がにじみ出てきてもそっとつかんで素早くリリースする方が、無視をしたり、ましてや押しころすよりもこじらせないように思えました。

結果的に伝達の波動に乗る形で自然発生的な集中が生じていたようでした。

 

興味深かったのは、微妙なバランスが破れ、自然発生的な集中が自力的な集中に移行しそうになると、まるで警戒警報のように頭頂部や眉間のチャクラに圧や振動が生じたことで、これは何度か同じパターンで生じたので気のせいではないように思えます。

なるほどヘッドセンターにはこんな使い方もあるのだな、と妙に感心しました。

 

後半から唐突に眠気が襲ってきました。

瞑想時における眠気とは違って、ズルズルと地滑りするような眠気ではなく、素早く襲ってきたリラックスが体内に静かに滞留している感じでした。

屋外だったので身体を横たえるわけにもいきませんでしたが、半眠りで歩いている状態でした。

家に戻った後、2時間ほど熟睡しました。

 

これまでもそうだったのですが、伝達時に生じた眠気は、生理的な眠りと違って起床後に後をひかないというか、起きた瞬間から即座に動き出せる感覚があります。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.01.20

本日は朝から準備万端整えてのべ8時間のぶっ続け瞑想の中に「ノーコンタクトでの直接伝達」を組み込んでみました。

 

「豆腐を箸でつまむようなデリケートな留意で頭部のエネルギーの出所を見つける」

最近ノーコンタクトでのこうした明確な指針の提示は大変助かります。

長らくやっていると自分固有の「瞑想グセ」のようなものが知らず知らずに染みついてしまうので、木幡様の注意喚起によって微調整ができますから。

 

今回の場合、エネルギーの出所は頭頂部→後頭部→左こめかみからおはちへと拡大し、再び頭頂部へと戻るという移動と循環を繰り返しました。

その間、集中を強め過ぎないギリギリの柔らかい線を狙い続けました。

ちょっと油断するとグイグイ集中が強まってしまうのが私の「瞑想グセ」なので。

そのせいか、2回ほど美しいビジョンに呑み込まれかけ、「ああ、これは夢だ想念だ!」と慌てて静かな留意に復帰できました。

寝落ちせずに最後まで伝達を受けられてほんとうに良かったです。

 

このギリギリに終始とどまれた結果なのか、伝達終了後に途轍もなく頭がクリアーで、かつてないほど脳の疲れが取れた感じです。

瞑想と言うよりヒーリングを受けた感じに近いです。

深い瞑想は、ある種の快楽は伴うのですが、同時にどっと脳が疲れる感じが残ることが多いのです。

 

やはり木幡様のご指導がなければこの領域は現在の私では不可能だなと改めて思いました。

ありがとうございました。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.01.27

元来集中癖の強い私は、これまでの「ノーコンタクトでの直接伝達」においても、木幡様の高エネルギーに乗る形で極端な集中状態は体験していたと思います。

身体感覚の完全なる喪失や、意識自体が対象と一体化して消える寸前のまま輝いているなど。

半分眠りながら覚醒状態は明瞭に維持している、というのもありました。

 

しかしながら、純粋意識、純粋意識への地道な明け渡しはもちろん、内側への穏やかな留意ですらなかなかにつかみきれずにいました。

「穏やかな留意」をしようと集中して結果的に「自力の罠」に陥ってしまう自分の不器用さにうんざりしておりました。

 

今回の伝達の数日前から木幡様の「言葉による伝達」をもう一度最初から読み直し、併せてラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジ関連の本や記事も頭から精読してみました。

で、なぜか突然「あれ?もしかして穏やかな留意のコツってこれかな?」という気づきを得た(ような気が)しました。

 

図的に言うなら、想念←自我としての私←/ーメタ認知としての私、という構造を想定して、今までは、想念←(自我としての私)に穏やかな留意を維持しようと悪戦苦闘していました。

しかし現実には、想念←自我としての私は、混然一体となったものであり、自我としての私と想念を引きはがすことに多大なエネルギーが割かれます。

全然「穏やか」にならないのです。

ここで、もしかしたら留意すべき対象はメタ認知としての私の方ではないかと思い至りました。

ラマナ・マハルシの言う「私とは誰か。探しなさい」の「私」とはメタ認知としての私ではないのか。

 

試しにメタ認知としての私に穏やかな留意をしてみると、曇りガラスを通して見るように(図の矢印←/ー)想念←自我としての私がボンヤリと見えるのです。

メタ認知としての私から静かに見ているだけで、想念も自我としての私も静かに消え去り、後には脳全体に広がる微細なエネルギー振動と純粋な意識、限りない透明な静けさだけが残ります。

 

文章がグダグダですみません。

伝わっているでしょうか。

 

今回の伝達において、このメタ認知としての私への留意は極めて有効だったように現時点では思えます。

 

木幡様の伝達の力がメインでしょうが一切の行為性を伴わない受動的で完全に透明な静けさは、開始10分くらいから最後まで続き、伝達そのものが極端に短い時間に感じました。

このメタ認知としての私を媒介として純粋意識、全体との接触も可能ではないかと今は期待したいです。

メタ認知としての私への穏やかな留意は、伝達終了後も何度でも再現できました。

実にわかりづらくてすいません。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.02.03

おそらく伝達開始時刻の20〜30分前からだと思うのですが、突然、特に坐禅しようとか集中しようとか思っていたわけではなく、唐突に禅定というかサマーディというか、そのような状態になってしまいました。

その状態が禅定或いはサマーディではないかというのも、その状態を抜け出して事後的に振り返ってわかることでした。

 

伝達開始時刻からおおよそ40分ほど経ったあたりで(「ノーコンタクトでの直接伝達」では1回1時間の直接伝達が行われていました)「しらふに戻った」というか「通常の世界に戻った」という感じで、後頭部がホカホカする余韻が残りました。

その状態の間、(前回ノーコンタクトからその傾向はあったのですが)文字通り時間が消失していました。

時間を長く感じるとか短く感じるのではなく、端的に時間というものが存在しないのです。

改めて時間というものは錯覚に過ぎないと(事後的に)確信しました。

自我としての私もメタ認知としての私もほぼ完全に消失したその状態において、意識の場自体が消失してしまっており、そこでは想念もその基盤となる意識も当然ないのです。

よって、集中するもくつろぐもなく、純粋な意識ですらないと言うか・・・。

無限に続く希薄な「それ」がどこまでも続いているのです。

「私」自体が想念であって、その「私」が見る「意識」自体も想念であると体験的には確信したのですが・・・前回からすいません。

「それ」を無理矢理言葉にしようとすると、自分でも何言ってるのかわからくなります。

言語は無力です。

 

後半20分は「それ」から抜け出して猫のようにゴロゴロしていました。

意識の場も想念も戻って来てくれて若干ホッとしている「情けない私」がいました。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.02.10

本日は伝達の始まる前から圧倒的な副交感神経優位状態でした。

ひたすらに眠く、花粉症はひどく、やたらと腹が減りました。

伝達開始時刻ギリギリまで寝て、渾身の力で身体を起こして参加させていただきました。

 

開始直後から「覚醒のエネルギーが来ているなぁ」というのは感じていました。

サードアイチャクラはうごめいていましたし、頭部のもっぱら側面左右に振動も感じておりました。

ただ、その覚醒エネルギーを上回る圧倒的なリラックスと癒やしのエネルギー、眠りへのいざないが意識の周囲をぶ厚い霧のように取り囲んでいました。

残り20分になったあたりで「もうダメだ」とソファに横たわりながら半寝半起きで伝達を終えました。

伝達が終わると、不思議なくらいあの強烈な副交感神経優位状態は消え、瞑想してみても特段変わったことはありませんでした。

 

結局あの濃厚な癒しのエネルギーはなんだったのでしょうか・・・

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.02.17

今回は前回とは対照的に極めて純粋な意識?が唐突に生じました。

伝達開始時刻の1時間ほど前、何気なく椅子に座り、別段瞑想とか集中を意識するわけでもなくそれは「自動的」に始まりました。

私 ー 対象、主観 ー 客観というもののない意識状態、意識という言葉が適当かどうかは定かではありませんが、それは起きたとしか言いようがないのです。

以前は長い時間瞑想をしてごく稀に起きるか起きないかだった「死者のように在る」ことが頻繁に、かつ自動的に発生するようになってきたのは木幡様の伝達を継続的に受けているおかげだと思えます。

死者のように在ることはとても深い静けさです。

思考も感情もなく、自我もなく、未来への恐れも過去への後悔もない、実にご機嫌な状態で、この状態の延長には確かに物理的な死への恐怖も限りなくゼロに近づくだろうと確信しました。

 

そのまま伝達開始時刻に突入したわけですが、興味深かったのは伝達下では想念が私の周囲にふわふわと生じたことです。

絶対の静寂のうちに在りながら、はるか遠くの街角で酔っ払いがクダを巻いているのを聞いているような感じでした。

実にこう、どうでも良い感じです。

 

ラスト20分は明け渡しタイムだったと思います。

わずかに残った行為性を全て放り出すと「無」になります。

快も不快もない単なる無には感想も何もありません。

 

木幡様のおっしゃる「前のめりにならない」、「結果を期待しない」、「今、ここにいる」は、いずれも希求することではなく起きることなんだなぁというのが今の所感です。

考えてみれば「今、ここにいよう!」と思った時点で「今、ここ」を取り逃がしているわけで、非行為性を志向するという行為性の矛盾は、ほんとうに絶妙に難しいですね。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.02.24

本日は伝達開始時刻前から深い引きこみ状態が発生しておりました。

或いは2月早々に発生した台風の影響もあるかもしれませんが、とにかく雑事をこなしながらもグイグイ意識が引きこまれ、ヘッドセンターで発生する集中とは異なる意識状態のまま伝達に突入しました。

 

伝達においては、始まるやいなやブラックホールに引きこまれるように「深い穴の底」に瞬時に引きこまれ、そこは徹底的に静かでありました。

想念は湧きおこった瞬間に蒸発するように消えてしまい、わずらわされることは一切ありませんでした。

 

そのままもうちょっとでもっと深い所に行けそうな、越えられなかった境界線を突破できそうな気配になってきました。

もうちょっと、もうちょっとだ、となった時・・・

 

ピンポーン!・・・

玉ネギ以上の解脱の大敵、宅急便が現れました。

深い禅定から無理やり平常意識に戻ると、意識の潜水病にかかったように強烈な酩酊感でフラフラします。

足元もおぼつかずやっとやっと荷物を受け取って部屋に戻り、時計を見ると残りちょうど20分でした。

一瞬イラッとしなかったと言えば嘘になります。

あれ程の深い引きこみはまず無いので。

一番肝心な時にぐぬぬ・・・(怒)と。

「しかしまぁ、起こるべきことは起こるべき時に自動的に起こるわけで、それに怒ってもしょうがないね」と思い返すと妙に可笑しくなってしまいました。

後はただ静かに座って、文字通りただただ何もせずに終えました。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.03.17

ノーコンタクトでの直接伝達は木幡様による「心のありようにみずから気づく実践講座」であるなぁ、とつくづく思う今日この頃です。

実践講座を受講させていただく中でようやく最近薄っすら気づいてきたのが、集中とくつろぎは同じコインの表と裏ではなかろうか、という事です。

集中によって無理やり想念を抑えこもうとするのは大抵逆効果であり、くつろぎの中でニュートラルに静かに想念を見ていれば、想念の方が照れくさそうに勝手に消えてゆきます。

そうすれば別段意図せずに深い集中状態が起こります。

そこではくつろぎと集中は限りなくイコールです。

 

本日は伝達直前までドタバタと雑事をこなしており、そうなるとどうしても想念に巻き込まれます。

察するに、ドタバタによって生じるストレスや緊張を少しでも軽減するために無自覚に想念(心の中の独り言)に依存しているのでしょう。

日頃から木幡様がおっしゃるように想念には確かに中毒性があり、日常生活を送る上でどうしても「有用に見えてしまう」ところがあります。

しかし、(根底から)くつろいで静かにしていれば想念が途轍もないエネルギーの浪費であることが明らかになります。

 

今日もそうでした。

想念が収まれば、頭頂部からのエネルギーのシャワーを浴びながら何もせずにいられました。

そうして伝達終了後は1時間ほど眠りました。

 

後は日常生活の中にもこの静けさを持ち込みたいものです。

もちろん、それについてあれこれ方法論を考えたりすれば想念にエネルギーを補給することになるのはわかっているのです。

ここからが明け渡しと他力本願になるのでしょうね。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.03.24

本日は伝達直前まで雑事をこなしていたにも関わらず、伝達が始まるやいなや強烈な眠気と内なる音への留意が並存していました。

耳鳴りなどとは明確に違い、日常生活でも静かな場所で意識すると容易に気づくことができます。

伝達時間中は、それがより強くなるように思えます。

 

想念については、先日の特別セッション以後、どんどん少なくなっているようです。

特に想念のドミノ倒し=1つの想念が過去の記憶等を刺激して次々に想念の連鎖が起き、それに巻き込まれることは、ほぼ絶無となりました。

これは大変に楽な状態です。

 

伝達終了後は、軽い酩酊(めいてい)感のようなものが残り、足元がふらつきました。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.04.14

今回は極めて強い内なる音と頭頂部への微細で柔らかい振動が体験されました。

内なる音は強烈で、特に留意するまでもなく「それ」に明け渡しせざるを得ない状況でした。

想念は例によってまったく生じることなく伝達を受け取れたように思います。

 

最近、ちょっとストレスのたまる事があったのですが、以前ならば何度も何度も執拗にぶりかえして来る想念の波が、1日か2日でなりをひそめ、仮にぶりかえしても「非常に遠い感じ」がするのはとても楽ですね。

 

これも木幡先生のエネルギー状態が上がっておられるお陰でしょうか。

ありがたいことでございます。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.05.19

今回は、とても静かな環境で伝達を受け取れたことは幸いでした。

 

前半はくっきりとした自己意識への働きかけがあり、かなり強烈な内なる音が響き、そこに明け渡すことが続きました。

 

後半は引きこみ感が強く、作為性のない状態で意識がすぼまっていく感じでした。

いわゆる「眠気」とは異なる感覚です。

 

伝達終了後はそのまま横になり、一切想念のない極端な静けさの中で1時間ほど漂っていました。

眠ってはいないのですが、その間の記憶が飛んでいる感じです。

深いサマーディの感じでしょうか。

 

今回の特徴として、伝達の翌日まで余韻が残っていることが挙げられます。

本日起床から現時点まで明晰な「今ここに在る」状態が自然と続いており、日常雑事をこなしていても、それがどこか遠いところで行われているような、ある種の「解離感」があります。

意識の八割以上を占める「想念の空白」が「今ここ」で努力なく満たされています。

 

以上ご報告まで。

では失礼致します。

 

ノーコンタクトでの直接伝達 2019.06.02

今回の伝達におきましては、もうひとつ木幡先生の起こす「波」に乗り切れなかった感がありました。

断続的に深い引き込みが生じるのですが、すぐに意識の「海面」に浮かび上がってしまいました。

特段、伝達時の環境も良く、想念に悩まされる感覚はなかったのですが、ここ数日、大量の文字情報を短時間に処理せざるを得ない状況が続き、あるいはそのことが影響したのかもしれません。

 

知性の過活動を弱めつつ、日常雑事を滞りなくこなすというのはなかなか難しいのですが、ここが工夫のしどころだな、と気を引き締めております。

 

次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

2019年3月18日~20日/3日間の特別セッション

木幡先生、どうもありがとうございました。

3日間に渡ってお世話になり、途轍(とてつ)もなく多くのものを頂いたように思えます。

伏して御礼申し上げます。

 

これまでに「メール・セッション」と「ノーコンタクトでの直接伝達」しか受けたことのなかった私にとって 初顔合わせとなった今回の3日間の特別セッションで何より嬉しかったのは、「自分のどこがダメで、では今後どうすれば良いのか?」を明快かつ具体的に指摘して頂けたことです。

元来、スピリチュアル特有の言い回しが苦手で、スピリチュアル用語を言われると腰が引け、いたずらにややこしく考えてしまう私のような左脳人間においては、「おまえはこれはやっちゃダメで、逆にこれをやりなさい!」と予断の余地なく言い切って下さったのが本当にありがたかったです。

 

私のためにあれこれと対応の工夫をして頂けたこと、高次の意識状態についての深いご洞察を開示して頂けたことが、どれほど学びになったかしれません。

 

正直、木幡先生との3日間は深いくつろぎと同時に大変に疲れるという矛盾した感覚を味わいました。

フレンドリーなやり取りの合間に、ふと木幡先生が垣間見せる「想念のない眼差(まなざ)し」。

それは野生獣の無機質な眼差しのようでもあり、私にとっては穏やかに喉(のど)を鳴らす野生の虎(とら)と一つの部屋にいるような感じで、くつろぎきれないところもありました。

それまでにスカイプ・セッションを受けていたら、その印象はまた違ったのでしょうが・・・

 

また、夕方になると私の中に収納しきれないエネルギーで手足がガクガク震えました。

 

木幡先生のお家から宿に戻ると精も魂も尽き果て、想念など浮かぶ余地がありませんでした。

そのくせ神経が妙に冴(さ)え渡り、短い睡眠時間でも早朝から目覚めておりました。

 

そして、今回の特別セッションで「沈黙による直接伝達」をしていただいた時から聴こえ始めるようになった「内なる音」の質が変わりました。

極めて高い一定の音がずうっと続いています。

耳鳴りとは違う、しかし留意をするのに苦のないほど明確な音で、こうして感想を書いている間もずっと続いております。

 

そうして、ただ静かに在るということがこれまでよりも格段に容易になり、心を静めるための努力がさらに必要のない状態になってきました。

 

お許しが頂ければ、また特別セッションをお願いしたいと思っております。

どうか御息災でお過ごし下さいますように。

 

空の広い出雲へ。

喧騒と想念の街、東京より。

 

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