「透明で純粋な心」それが「本当のあなた」

S. E.様/55歳/男性/東京都在住/探究歴:10年

以下のご感想は、S. E.様から「ノーコンタクトでの直接伝達」のコメント欄に頂いたご感想と、事務局宛(あて)にメールで頂いた「特別セッション」のご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。

また、「特別セッションのご感想」につきましては、ご本人様のご許可をいただいた上で、原文の真意が伝わりやすいように加筆修正をいたしております。

 

目次

 

ノーコンタクトでの直接伝達

目次:ノーコンタクトでの直接伝達

 

2018.12月期ノーコンタクトでの直接伝達・第5回目※(2018.12.30)

※「ノーコンタクトでの直接伝達」は1ヶ月あたり全4回のため、この時は第5回目を特別サービスとして午前と午後に5分間ずつ行ったものです。

 

 

昨日のノーコンタクトでの直接伝達、ありがとうございました。

二回のうち特に午前中の部では当方が充分に準備を整えていたこともあり、得がたい経験が得られました。

 

極端に深い引き込みと集中が発生しました。

前回の同パターンの時よりもさらに深く強い集中でした。

喩(たと)えるなら、ロウソクの火が消え、芯の部分のかすかな光だけがどこまでも限りがない暗闇の中でぽつんと輝いている状態。

通常、瞑想においては、自己意識と集中対象の間になにがしかの分離感があるのですが、消えそうな「芯の光」こそが自己意識であり同時に集中対象であり、さらに又、どこまでも広がる暗闇も同時に(「自己」と言えるかどうか疑問ですが)意識の場でありました。

強烈な陶酔感がありました。

想念は皆無、と言うより、思考や感情を持つことが不可能な純粋な意識状態でした。

 

結局、連続して2時間半以上座っていました。

瞑想から出て日常のリアリティを取り戻すのに30分以上かかりました。

諸事情許すなら、いつまでもずっと座っていたかった・・・

 

自分だけで行う瞑想を子ども用プールでのチャポチャポ水遊びとするなら、木幡様の伝達はプロのインストラクターに誘われて意識の海に潜る実体験と言えましょう。

当然それは次元の違う体験です。

年末も押し迫って、ありがたい機会をいただきました。

 

2019.2月期ノーコンタクトでの直接伝達・第2回目(2019.2.10)

本日は伝達の始まる前から圧倒的な副交感神経優位状態でした。

ひたすらに眠く、花粉症はひどく、やたらと腹が減りました。

伝達開始時刻ギリギリまで寝て、渾身の力で身体を起こして参加させていただきました。

 

開始直後から「覚醒のエネルギーが来ているなぁ」というのは感じていました。

サードアイチャクラはうごめいていましたし、頭部のもっぱら側面左右に振動も感じておりました。

ただ、その覚醒エネルギーを上回る圧倒的なリラックスと癒やしのエネルギー、眠りへのいざないが意識の周囲をぶ厚い霧のように取り囲んでいました。

残り20分になったあたりで「もうダメだ」とソファに横たわりながら半寝半起きで伝達を終えました。

伝達が終わると、不思議なくらいあの強烈な副交感神経優位状態は消え、瞑想してみても特段変わったことはありませんでした。

 

結局あの濃厚な癒しのエネルギーはなんだったのか。

今回、木幡様が特に癒し重視の伝達をされたのか、或いは、新たに始められたヒーリングセッションがマスターとしての木幡様のエネルギー状態になんらかの影響をもたらしたのか、現時点では私にはよくわかりませんが、調べてみれば本日は新月から満月に向かう途中なのですね。

 

2019.2月期ノーコンタクトでの直接伝達・第3回目(2019.2.17)

今回は前回とは対照的に極めて純粋な意識?が唐突に生じました。

伝達開始時刻の1時間ほど前、何気なく椅子に座り、別段瞑想とか集中を意識するわけでもなくそれは「自動的」に始まりました。

私 ー 対象、主観 ー 客観という物のない意識状態、意識という言葉が適当かどうかは定かではありませんが、それは起きたとしか言いようがないのです。

以前は長い時間瞑想をしてごく稀に起きるか起きないかだった「死者のように在る」ことが頻繁に、かつ自動的に発生するようになってきたのは木幡様の伝達を継続的に受けているおかげだと思えます。

死者のように在ることはとても深い静けさです。

思考も感情もなく、自我もなく、未来への恐れも過去への後悔もない、実にご機嫌な状態で、この状態の延長には確かに物理的な死への恐怖も限りなくゼロに近づくだろうと確信しました。

 

そのまま伝達開始時刻に突入したわけですが、興味深かったのは伝達下では想念が私の周囲にふわふわと生じたことです。

絶対の静寂のうちに在りながら、はるか遠くの街角で酔っ払いがクダを巻いているのを聞いているような感じでした。

実にこう、どうでも良い感じです。

 

ラスト20分は明け渡しタイムだったと思います。

わずかに残った行為性を全て放り出すと「無」になります。

快も不快もない単なる無には感想も何もありません。

 

木幡様のおっしゃる「前のめりにならない」、「結果を期待しない」、「今、ここにいる」は、いずれも希求することではなく起きることなんだなぁというのが今の所感です。

考えてみれば「今、ここにいよう!」と思った時点で「今、ここ」を取り逃がしているわけで、非行為性を志向するという行為性の矛盾は、ほんとうに絶妙に難しいですね。

 

2019年3月18日~20日/特別セッション:3日

木幡先生、どうもありがとうございました。

3日間に渡ってお世話になり、途轍(とてつ)もなく多くのものを頂いたように思えます。

伏して御礼申し上げます。

 

これまでに「メール・セッション」と「ノーコンタクトでの直接伝達」しか受けたことのなかった私にとって 初顔合わせとなった今回の3日間の特別セッションで何より嬉しかったのは、「自分のどこがダメで、では今後どうすれば良いのか?」を明快かつ具体的に指摘して頂けたことです。

元来、スピリチュアル特有の言い回しが苦手で、スピリチュアル用語を言われると腰が引け、いたずらにややこしく考えてしまう私のような左脳人間においては、「おまえはこれはやっちゃダメで、逆にこれをやりなさい!」と予断の余地なく言い切って下さったのが本当にありがたかったです。

 

私のためにあれこれと対応の工夫をして頂けたこと、高次の意識状態の次元についての深いご洞察を開示して頂けたことが、どれほど学びになったかしれません。

 

正直、木幡先生との3日間は深いくつろぎと同時に大変に疲れるという矛盾した感覚を味わいました。

フレンドリーなやり取りの合間に、ふと木幡先生が垣間見せる「想念のない眼差(まなざ)し」。

それは野生獣の無機質な眼差しのようでもあり、私にとっては穏やかに喉(のど)を鳴らす野生の虎(とら)と一つの部屋にいるような感じで、くつろぎきれないところもありました。

それまでに個人セッションを受けていたら、その印象はまた違ったのでしょうが・・・

夕方になると私の中に収納しきれないエネルギーで手足がガクガク震えました。

 

木幡先生のお家から宿に戻ると精も魂も尽き果て、想念など浮かぶ余地がありませんでした。

そのくせ神経が妙に冴(さ)え渡り、短い睡眠時間でも早朝から目覚めておりました。

 

その反動でしょうか。

本日、東京に戻ると嵐のように想念が押し寄せ、巻き込まれ、危うくいい歳こいてストリートファイトをやらかすところでした。

ちょっと、どうかしているというくらいの食事の量が胃に入りました。

 

そして、今回の特別セッションで「沈黙による直接伝達」をしていただいた時から聴こえ始めるようになった「内なる音」の質が変わりました。

極めて高い一定の音がずうっと続いています。

耳鳴りとは違う、しかし留意をするのに苦のないほど明確な音で、こうして感想を書いている間もずっと続いております。

 

そうして、ただ静かに在るということがこれまでよりも格段に容易になり、心を静めるための努力がさらに必要のない状態になってきました。

 

お許しが頂ければ、また特別セッションをお願いしたいと思っております。

どうか御息災でお過ごし下さいますように。

 

空の広い出雲へ。

喧騒と想念の街、東京より。

 

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