以下のご感想は、笹岡泰満様から事務局宛(あて)にメールで頂いたセッションのご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
木幡先生について
木幡先生のサイトに辿り着いたのは、「悟り」とは関係ない語の検索で、ほぼ偶然でした。
サイトの記事とお顔を見て、「この人は本物だ」と直観しました。
これまでに私は、他の方からもいわゆる「直接伝達」と呼ばれているものを受けたことはあったのですが、これまで会ってきた方は、言葉の使い方が「雑」だったように感じます。
世の中を見ていて、人によって生まれ持った生命力の量に違いがあり、また、乗り物としての身体の個性の違いがあり、それによって認識できる世界に断絶があるのを感じるのですが、木幡先生の表現にはそういった様々な人の役に立つ言葉を使い分ける繊細な配慮を感じました。
セッション中は「本物の師と会えた」のが嬉しくて、自然と笑いが出てきました。
実際お話しした木幡先生からは、幼児のような無垢な感じ、飄々(ひょうひょう)とした少年のような感じ、堂々と揺るがない力強い知性を感じました。
私は、生まれ持った生命力の大きい人の言葉は耳を傾ける価値があると思っていて、生まれ持った生命力の大きい人を見分けるのに「いろいろな側面の重なった多層的な印象を感じるか?」というのを一つの基準にしています。
サイレンスセッション / 2019.01.28
「真我の直接伝達」で意識を向けるよう誘導された「頭部の感覚」は、最初はちりちり、むずむずした微細な感覚でしたが、気化したドライアイスのような感覚になって、頭の中の固体的な感覚と、纏(まと)まりがありつつ層があるものとして感じられるようになりました。
目玉で頭蓋の裏を見つめるように、意識の焦点が頭頂に引っ張りあげられる感じがしました。
さらに自己の内奥に意識を向けると、生まれたばかりの子供のように柔らかくて繊細なものを感じました。
自分は、理屈っぽい性格だと周りに言われるのですが、そういうことではなく「私は、その柔らかくて繊細なもの(真我)の感覚を守ろうとしてきたのだ。」と感じました。
そして、トラウマが浮上してきたというわけではなかったのですが、自然と涙が流れ続けていました。
セッションを受けていて終始感じていたのは「この人は”魂の味方”だ。」ということです。
今回のセッションでは「目覚め」という「悟りの種火」をいただいたようなもので、これから、その感覚がどう育っていくか楽しみにしています。
木幡先生、ありがとうございました。
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