以下のご感想は、W. Y. 様から事務局宛に頂いたメールでのご報告を、ご本人のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
また、ご本人のご許可をいただいた上で、原文の真意が伝わりやすいように加筆修正をいたしております。
サイレンスセッション
サイレンスセッション/スカイプ 2018.10.17
木幡先生
先日は、本当にありがとうございました。
ラマナ・マハルシやプンジャジが「ただ静かにしていなさい。」と言っていた言葉は、比喩的な意味かと思っていましたが、本当にそのままの意味だったんだと、初めて理解することができました。
ただただ一人静かにしていたい。
どこへも行かずに静かにしていたい。
ただ純粋意識に包まれてくつろいでいたい、そんな気持ちでいます。
この流れが途絶えないよう、繊細にいつも開いていたいです。
また、セッションから4日たった現在でも、今までにない「純粋意識との接触状態が継続していること」に正直驚いております。
今日も心が静かです。
昨日も、ほとんど椅子に座って過ごしていました。
また、今朝、瞑想しようとして背筋を伸ばして座り目を閉じたら、「瞑想している時としていない時の状態がほとんど変わらない」ということに気がつき、驚きました。
静けさの中に、時おり何ともいえない切なさや悲しさがわき起こってきます。
それは今まで良いと思っていた事柄が、用をなさなくなりつつあるという喪失感かもしれません。
感謝を込めて
特別セッション
3日間の特別セッション/直接対面 2018.12.25〜27
3日間の特別セッションで木幡先生に直接お会いするために出雲へ行ってきました。
最初のオンラインセッションから2ヶ月ちょっと・・・
木幡先生との出会いから、私の探求人生は大きく変わりました。
私はこれまで、主に海外の色々な場所へと出向き、覚者(悟った人)と称される有名な方々も含め、色々な先生と出会ってきました。
どの方も、私に多くの事を教えてくださいました。
そのような中で、私の「純粋意識の扉」は少しづつ緩んできていたのかもしれません。
時々、扉はわずかに開き、それが流れ込んでくるのを感じることもありましたが、いつのまにか閉じてしまいます。
しかし木幡先生は、たった1回のオンラインセッションで、その扉を大きく開いてくださいました。
その時の衝撃は忘れられません。
そして2ヶ月たった今も、その扉は閉じておりません。
「ぜひとも直接お目にかかって、お礼の気持ちをお伝えしたい・・・」
「スカイプの画面越しではなく生身での対面をして、その存在と在り方をもっとダイレクトに感じたい・・・」
そんな思いで特別セッションを申し込ませていただき、出雲へと向かいました。
「(特別セッションの際に使われている)私の明け渡し部屋は散らかっているよ。(修行時代の)当時のままだからね。」
と木幡先生は事前に仰っておられましたが、たしかにお世辞にも片付いているとは言い難かったです(笑)
ですが、その部屋で先生と対話をしているだけでも、終始不思議な静けさの中に浸されておりました。
木幡先生は無類の聞き上手で、こちらの話をどんどん引き出してくださいます。
私の話は尽きることがありませんでした。
なのに時間を忘れて話しながらも、その根底には常に「透明で純粋な意識の静けさ」のようなものが流れていました。
話題が目覚めに関することになろうが、人生全般に関することになろうが、その「純粋意識」に由来する「静けさ」だけは失われることがないのです。
ちょうどそれは「二人で温泉に浸(つ)かりながら、首だけ出して話している感じ・・・」とでも言えばよいのでしょうか。
何を話そうとも、内なる静けさの温泉にはずっと浸かっている。
ピンと張られた気づきと穏やかな安らぎとが同居した、何とも不思議な感覚でした。
純粋意識に包まれた静けさの中で、くつろぎながら覚醒しているのと同じ感覚・・・
木幡先生は、今回の来訪では「自己意識としての在り方を体得しなさい」と仰っておられましたが、まさにこういう体感なのかと私なりに納得できたように思います。
自己意識と純粋意識とをいつも失わずにいること。
共にある全ての時間が素晴らしいセッションでした。
さらには3日間の特別セッションが終わっての帰り道、空港のトイレで自分の顔を見ると、私の目つきが明らかに変わっているのに驚きました。
ちょうど、目の後ろ側にエネルギーが広がっていて、そこに満ちたエネルギーで目が見開かれている感じです。
黒目が透き通ったガラス玉みたいに見えるのです。
「うわ~、さすがに直接対面の力はすごいわ!」
2泊3日はあっという間で、自宅に戻ってみると現実感がなく、ずっと夢の中にいたように思えました。
いえ、それは「夢の中」ではなく「目覚めの中」だったのかもしれません。
そして今、あの部屋で感じ続けていた「静けさ」が、自分の部屋の中にも流れ込んでいるように感じられます。
純粋意識とは、私たちの意識の根底において、ひと続きなのだ・・・
だからこそ、距離を超えて「純粋意識」が伝わることができるのだ・・・
今回いただいたものを、しっかり自分の中に落とし込んで、失われないように育てていきたいと思っております。
言葉として捕まえる前の、静けさと喜びそのものと共に留まりながら・・・
短いながらも忘れられない旅になりました。
本当にありがとうございました。
無限の感謝を込めて
サイレンスセッションでのオンラインヒーリング
サイレンスセッション/スカイプ 2019.05.07
オンラインヒーリングを受けさせていただくに至った経緯
今回のサイレンスセッションでは、私の病気治療を直前にひかえていたため、ヒーリングを中心に働きかけていただくこととなりました。
7年前から、私はある病気を抱えております。
医者には手術を勧められていましたが、反対を押し切ってそれを断り、色々な治療法を試してきました。
アーユルヴェーダ、食事療法、ヨガ、各種のエネルギー的なセラピーやカウンセリング・・・
今回のセッションの前にも、いわゆる通常のヒーリング、患部に「気」に相当するエネルギーを当てて治癒していくセラピーにも何度か通っておりました。
それによって心身が抱えているエネルギー的な詰まりのようなものは大分改善されたと思います。
しかし物理的な患部が治癒していくプロセスには至らず、ついに観念し、病院で再度検査をし、必要ならば西洋医学での本格的な治療を行う決意をしました。
先月のサイレンスセッションでそのような決意をお伝えした時、木幡先生は「次回のサイレンスセッションで、私がヒーリングをする。」と仰ってくださいました。
このような経緯で、今回のセッションではオンラインでのヒーリングをしていただくこととなりました。
セッション当日
午後からのセッションをひかえたその日の朝、いつものように明け渡しをしていると、すでにこれまでとは全く違うエネルギーの質を感じていました。
堅固な強いエネルギーが流れ込んでくる感覚ではなく、中心がない、穏やかに広がる霧のような感覚でした。
オンラインヒーリング前半:「言葉による伝達」
セッションは午後から始まりました。
この日の先生は、話しかけるのさえ憚(はばか)られるくらいの近寄りがたい空気を放っておられました。
この時に語られた内容は、「WORDS:言葉による伝達」に掲載されている以下の記事でお読みになることができます。
参照記事:「ヒーリングとは~本当の癒しや浄化の原理~」
オンラインヒーリング後半:「沈黙による直接伝達」と「ヒーリングのための直接伝達」
前半の質疑応答が終わった後、先生からの「沈黙による直接伝達」が始まりました。
まずは準備としての働きかけであるからと、1分足らずでその直接伝達を終えられ、先生は「5分間の休憩にするから、そのまま静かにしてなさい・・・」と、一旦スカイプを切られました。
そのまま目を閉じて座っていると、「私」が「想念をも含めた身体」からどんどん引き離されていくような、ものすごい力を感じていました。
「私」と「身体」とが二つに引きはがされていくような不思議な感覚でした。
「私」が後方へ引っ張られていき、重たい石の扉がギシっと押し開かれたようなイメージが浮かび、そこから切れ切れになった様々な想念やヴィジョンが飛び散っていきました。
(主観的なヴィジョンの話をあまりすると「低次の次元に関わるな」と木幡先生に叱られそうですが、感じたことを素直に書いていきます。)
休憩を終えると「ヒーリングのための直接伝達」が本格的に始まりました。
私は木幡先生のお顔を、ただ呆然と見つめ続けておりました。
じっとそのお顔を見ているとその奥に、先生と似ているけど、どこかが違う表情の顔が見えてきました。
その顔は現実の先生より、もっと柔らかで優しく、少し憂いを帯びていました。
私は、ただその顔に惹きつけられていました。
しばらくして、いつもの直接伝達時のように表情一つ変わらない木幡先生のお顔をよく見ると、先生のその瞳から一筋の涙が流れていることに気がつきました。
そして私は、そこから堰(せき)を切ったように泣き出してしまいました。
私は泣きながらも、ずっと木幡先生のお顔を見ながら、その別な顔を探していました。
なぜか「その顔の人の本質に触れたい」と思ったのです。
その顔を見ていると、理由もなく涙があふれてくるのです。
それが誰なのかは、わかりません。
隠された先生の本当のお顔なのか、私が自分の心をそこに投影しているだけなのか・・・
しばらくの間、私は泣いていました。
先生は涙を流し続けられながらも、そんな私をただ静かに見守りながら、「沈黙による直接伝達」を続けてくださっていました。
私は目を見開き、スカイプ越しの先生の奥に広がる何かに、ずっと焦点を合わせていました。
今パソコンの画面に写っている人間としての私と木幡先生は、三次元世界におけるアクセスポイントでしかなく、その向こうで大切な何かが起こっていると感じていました。
私はただ、その奥の存在に向かって、
「出会ってくれて、本当にありがとうございます。」
「私はあなたをずっと探していました・・・」
と、心の中で何度も繰り返していました。
やがて意識状態が少し落ち着いてきた頃、木幡先生が私に語りかけました。
ずっと、そこにいなさい・・・
そこから出なければ大丈夫だよ。
「病気」も「心の苦しみ」も、あなたが今いるその場所へは入って来れない。
あなたが、自己の根源であるその場所に留まっていれば、いかなるものといえども、あなたに触れることさえできない。
もしも心が苦しいと感じたとしたら、それはあなたが自らそこを離れて、「病気の側」「苦しみの側」に自ら戻っていったということだよ。
今のあなたは、その「どちらの側にいるのかを選択すること」ができる。
それゆえ、今後の心の苦しみにおいては、すべて「あなたの責任」となる。
そこにいる時のあなた、それが「形なき本当のあなた」である。
病気になっているのは「あなた」の乗り物としての「身体」に過ぎない。
私はできるかぎりのことに全力を尽くすが、この現象世界の次元においては、起こり得ることは起こるし、起こり得ないことは起こらない。
その結果までをも、私たちが完全にコントロールすることはできない。
また、別の観点からすれば、すべてをコントロールしようとする自我としてのその心がある種の病気を作り出しているとも言える。
だから、もし仮に「身体」の病気が治らなくとも、「あなた」までもが病気になって苦しむ必要はない。
あなたが夢見る「最善の結果」だけにこだわって結果をコントロールしようとすることで、「想念の側」に巻き込まれて、そこを離れることが、「身体の病気」との自己同一化をますます強化することで、さらなる「心の苦しみ」を生み出していく。
あなたは「あなたのこと」をまずは大切にし、「病気のこと」つまり「身体のこと」は、それ相応の対処にゆだねておきなさい。
しかし、意識としてのあなたは「心の苦しみの側」つまり「想念の側」でなく、そこに留まっていなさい・・・
すると、高次の癒し(いや)のエネルギーは、想念に遮(さえぎ)られることなく「身体の側」にも放射される。
その時にこそ、魂のレベルでの癒(いや)しが起こる。
それこそがセルフヒーリングであると言える。
それから、ヒーリング効果を高めるためのアドヴァイスなどもしていただき、セッションが終了しました。
木幡先生の熱意と愛情の深さには、いつもただ圧倒させられています。
出会ってくださって、ありがとうございます。
そして、私の魂に触れてくださって、本当にありがとうございます。
一緒に泣いてくださって、ありがとうございます。
魂としての私のみならず、人間としての私も深く癒(いや)していただくことができました。
ノーコンタクトヒーリング
ノーコンタクトヒーリング 2019.02.20
今夜はノーコンタクトヒーリング・・・
ノーコンタクトでヒーリングのエネルギーを受け取るのは始めてでした。
10分前から椅子に座っていると、通常の「純粋意識の直接伝達」の時とは違う、柔らかな広がりのあるエネルギーを感じ始めました。
ちょうど雨が降っていたこともあり、何か水の中に包まれているような、ふんわりと優しい感覚・・・
しばらくすると、体があちこち、ブルッ、ブルッ、っと動き始めたので、「あぁ、エネルギーが来たな・・・」と思いました。
今までもこういうことはたまにありましたが、今回は結構激しく小刻みに動いていました。
やがてエネルギーが強く後頭部に移り、思考が静まって「穏やかで満たされた感覚」がやってきました。
そのままエネルギーは背面全体に広がっていきます。
例えようもなく大きな何か・・・
優しくみずみずしい光の粒が、宇宙から降り注いでいる感じ・・・
「これは愛だな~・・・」と、ひたすらその中に包み込まれて、ただその安らぎを感じておりました。
オンラインセッションでの「沈黙による直接伝達」ですと、木幡先生と顔を合わせて行うので、木幡先生を通してエネルギーがやってくるように感じるのですが、「ノーコンタクトでの直接伝達」では姿が見えない分、彼方から直接やってくるという感覚になります。
オンラインセッションでの「沈黙による直接伝達」はエネルギーがギュっと凝縮された感じですけど、ノーコンタクトセッションでの「直接伝達」は放射時間も長く、一人で受けるので、より内側に入っていきやすいように思います。
ノーコンタクトセッションならではの良さがあるのだと実感しました。
多分、今回の「ヒーリングエネルギーの直接伝達」という質のせいもあるのでしょう。
ただ、本当に大きな愛を感じていました。
木幡先生を通して、一なるものからやってくる愛の大きさ。
そしてそれを、ご自分の存在を通して私たちに伝えてくださる先生の魂の器の大きさ。
「こうした役目を請け負うということは、並大抵のことではないだろうな・・・」と痛感しました。
醒めた意識はあるものの、内なる自己としての私がどこにいるのかわからない。
そのような気が遠くなるような感覚の中に吸い込まれていました。
やがて、ふたたび体がぶるっと震えたので、伝達が終了したのだろうと思いました。
そのまましばらく余韻の中で、明け渡していました。
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