木幡等が語る「直接伝達」の実際
更新情報:2026.1.25 4:58
記事全般に推敲をいたしました。
サイレンスセッション 2025.11.14(ビデオ通話)において
「セッション開始から『純粋意識の直接伝達』をもっと強烈にしたような、火照るような、やや熱っぽい感覚が常にある。」
「先生の目を見た瞬間、ガツンと何かが来た。」
「その瞬間、涙がすっと流れる。何の感情もなく、生理現象のように。」
「そのうち、手や脚がなくなる。」
「他人からみたら、危ない薬をやっている状態と認識されそうな恍惚状態。」
「知っている感覚に思えるが、こんな状態自体は体験したことがない。」
「穏やかだけどどっしりとした何かが怒涛(どとう)のように流れ込んでくる。」
「会話をしながらも、ある種のサマーディの中に没入し続けている。」
「プンジャジの動画でまさにこのような状態になっている人を見たことがあったが、まさか自分がこの状態になるとは。」
一体、何が起こったのか?
この記事について
この記事は、以下の「F. J. 様からいただいたサイレンスセッション(ビデオ通話)のご感想」をもとに構成している。
読者のお役に立つこともあるかと思い、このような記事という形をとった次第でござる。
ゆえに、この記事をお読みになられる方は、まずは以下のご感想をお読みになられてくださいな。
次元シフトの階層図
自我の次元
↑ ↓
知性
↑ ↓
感受性
↑ ↓
存在性
↑ ↓
真我の次元
臨在による直接伝達
「熱っぽい感覚」
セッション開始
(前略)
F. J.:しかし、セッション開始から「純粋意識の直接伝達」をもっと強烈にしたような、火照るような、やや熱っぽい感覚が常にある。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
(オフラインの直接対面ではなく)オンラインのビデオ通話であるとはいえ、これは「臨在による直接伝達」に属するものであろう。
沈黙による直接伝達
「ガツンとくる衝撃」からの「涙」
F. J.:その後、いよいよ「沈黙による直接伝達」の開始となる。
先生の目を見た瞬間、ガツンと何かが来た。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
一瞬、先生の顔が父親の顔に見える。
全然似ていないので、そんなはずはないのに。
その瞬間、涙がすっと流れる。何の感情もなく、生理現象のように。
これまでの「お客様の声」においても、サイレンスセッションで「沈黙による直接伝達」を始めた際、私の目を見た瞬間に「ガツンと何かが来た」というご感想は多いよね。
そこが大きなトリガーになっているというか・・・
・参照記事:「お客様の声:個人セッションのご感想」
そして、(「お客様の声」には記載されていない場合もあるが)男性女性にかかわらず、「沈黙による直接伝達」の開始直後に涙を流す人も多いんだ。
しかし、その場合も「泣く」わけではなく「涙が流れる」というのが、なんとも静かで美しいんだよね・・・
「四肢消失」と「恍惚状態」
F. J.:そのうち、手や脚がなくなる。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
どうやって動かせばいいのかよくわからなくなる。
他人からみたら、危ない薬をやっている状態と認識されそうな恍惚状態。
でも、目を開けられる。会話もできる。
知っている感覚に思えるが、こんな状態自体は体験したことがない。
この時点でも、伝達がかなり効いてきてるよね。
それにしても、「手や脚がない」というのは、まるで「達磨(だるま)さん」みたいだよね。
ちなみに実在した人物とされる「達磨さん(達磨大使)」は禅の開祖なんだよ。
ただの偶然なのかしら・・・
余談だけれど、「達磨さんが転んだ♫」じゃないけど、伝達を始めた僕の目を見た瞬間に「転びそうになった」というご感想も割とある。(これには、ある種の別の理由があるのだが・・・)
「他人からみたら、危ない薬をやっている状態と認識されそうな恍惚状態。」
まぁ、フンドシ一丁で山に籠もっていた無名時代のラマナ・マハルシなんて、一般の人から見たら「まさに危ないやつ」そのものだよね(笑)。
「怒涛のような真我の流入」
F. J.:そこからさらに、穏やかだけどどっしりとした何かが怒涛(どとう)のように流れ込んでくる。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
口の動かし方、知性の使い方、会話の仕方がわからない…
直接伝達においては、ここが肝なんだよね。
それは「広義においての真我の流入」、そのクライマックスとも言える「怒涛のような流入」です。
(上記の階層図からもおわかりのように、)要は「意識(または知性と感受性)が存在性へと吸収されていくことにより、自我の次元から真我の次元へと劇的にシフトしている」わけですよ。
そのことによって、内的世界も別次元へとシフトする。
同時に、それは心身の感覚へも影響を及ぼす。
そこでは、高次のヒーリングも生じているので心地よい。
「努力不可能」「思考停止」「想念消滅」
ここまで導いていけば、単体での「沈黙による直接伝達」という大仕事においては、ほぼやり遂げた形となる。
ラマナ・マハルシ:この段階に至れば想念を拒絶する努力は必要なくなる。
(中略)
それどころか、ある限度を超えれば努力をすることが不可能になるのである。
デーヴィッド・ゴッドマン編「あるがままに〜ラマナ・マハルシの教え〜」103ページ14行目〜16行目
ラマナ・マハルシ:あなたがより深く探究していくと、努力すること自体が不可能となるのである。
デーヴィッド・ゴッドマン編「あるがままに〜ラマナ・マハルシの教え〜」104ページ2行目
「口の動かし方、知性の使い方、会話の仕方がわからない…(F. J. )」とあるが、言うまでもなく「努力」とは「知性」によってなされるものである。
よって、「知性の使い方がわからない」ならば「努力の仕方がわからない」すなわち「努力をすることが不可能になる」ということである。
さらに言うなら、思考も知性が司るものであるがゆえ、「知性の使い方がわからない」ならば「思考の仕方がわからない」すなわち「思考が止まる」というわけである。※1
よって、当然ながらこのような境地には「想念の不在」が伴うのでありんす。
とはいえ、私には次の大仕事が待っている・・・
会話を交えながらの直接伝達
「真我没入」〜「悟後の修行」
F. J.:ある程度の時間を置いて、その状態に浸りながら、先生と会話を始める。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
会話をしながらも、ある種のサマーディの中に没入し続けている。
プンジャジの動画でまさにこのような状態になっている人を見たことがあったが、まさか自分がこの状態になるとは。
何だか自然に笑いがこみ上げてくる感覚。
後を見据えた指導という意味においては、ここが重要なポイントである。
おわかりのように、この時のF. J. さん(以下「彼」とさせていただきます)は真我に没入している。
しかし、彼のその後の日常には社会的な場での生活もあるため、セッション後も目を閉じて座ったまま没入し続けているわけにはいかない。
なので、指導者の立場としては、セッション後の彼においての「真我の目覚め」を途切れさせないために、上記の階層図における「(現象界という意味においての)自我の次元」と「(非顕現界という意味においての)真我の次元」とを共存させていかねばならない。
そのために、私としては真我の直接伝達を続けながらも、同時に会話を促すことで外の世界(現象界)にも参加してもらうようにしている。
うまく例えることはできないけれど、母親としては、朝になっても眠りたがっている子供をもっと寝かせてあげたいけれど、子供の将来のことを考えれば、今すぐ起こして学校に行かせなければならない、そのような親心とでも言いましょうか・・・
そのような事情も含め、私としてはここもとても神経を使うところだ。
まず始めに、彼が真我との接触を保っていることを確認しながら、軽く目を開けてもらい会話へと誘導する。
真我に没入している彼をあまり刺激しないよう、表向きは少しずつ日常に連れ戻している体(てい)を装いながらも、「悟後の修行の具体的なやり方」というものをそれとなく体得していただこうという狙いがあるわけだ。
なので、彼が会話に熱中しすぎて「真我との接触」が弱まってきたら、「少し前に出過ぎかな。もう少し後ろに下がって。」と身振りも合わせて注意を促す。
ちなみに、「前に出る」というのは、上記の階層図においての「上に上がる」ということなのだが、当事者の主観的には「前に出るような感覚として感じられる」ので、私はそのように表現している。
もちろん、その方が伝わりやすいからである。
このようにして、(はじめは受け手自身では自覚しづらいがゆえに)受け手の意識が「前に出すぎ」か「後ろに下がりすぎ」なのかを、気の流れや顔の表情、声色などを材料として、こちらが見極めなければならない。
当然「会話」も「直接伝達」も続けながら・・・
しかも、そのような神経を張り詰めた私の緊張感を出してはならない(笑)
よって、指導する側である私においても「多次元における注意の分割」が必要とされます。
もちろん、(上記の階層図からのご想像どおり)受け手の知性に負荷がかかりすぎるような会話内容は避けなければなりません。
なので、肉体次元での私においては、ものすごく疲れる場面です。
ちなみに、I.様のサイレンスセッション(直接対面2019.10.13)のご感想にも同じ場面の記述があるよね。
I.:セッション中、先生から何度も的確なタイミングで「(自己意識としての私に対して)前に出てこないで」と言われたことで 、本来あるべき場所が感覚的にも明確にわかりました。
I.「サイレンスセッション(直接対面)2019.10.31 翌日以降についての感想」
F. J.:セッションの時同様、日常でも会話をしながら恩寵を感じることが増えてきた。
F. J.「サイレンスセッション(ビデオ通話) 2025.11.14 翌日以降についての感想」
セッションの経験(サイレンスセッション中に行った「会話を交えながらの直接伝達」での経験)が役に立っている。
普段ならば、かなり動揺させられるような出来事に直面しても、ほとんど心を動かさずに対応できた時は明らかに何かが変わっていると実感した。
このような「会話を交えた直接伝達を経験すること」によって、「真我との接触を途絶えさせない在り方、そのような意味においてのポジションの取り方が自ずとわかるようになる」ということですわな。
とはいえ、これ(会話を交えた直接伝達)で複数をお相手にすることとなるグループセッションとなると、ここまで緻密には対応しきれないわけだ。
それにしても、F.J.様ならびに I.様のご感想からもおわかりのように、私は会話を交えての直接伝達は「真我との継続的接触状態へと導く」ためには、(地味でありながらも)とても重要な働きかけであると思っております。
だから、(特に初めての方のお相手をさせて頂く場合、)私にとってサイレンスセッションは色んな意味でとても疲れるんですよ(苦笑)
なので、もう昔みたいに数はこなせないのでありんす・・・(苦笑)
想念の不在
「想念消滅」と「時間の歪み」
F. J.:上記の直接伝達を受けてからの時間の流れは、異常に速く感じていた。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 当日についての感想」
意識は明瞭にもかかわらず、5分経ったかな?と思ったら、30分経過していた。
これもまたものすごく不思議で、今までにない感覚だった。
「想念の不在」は主観的な時間経過の感覚を加速させる。
睡眠中に夢を見ている時とは違って、夢見のない熟睡状態の時は、想念がないからあっという間に時間が経っているでしょ?
その反対に、人との待ち合わせ時間を過ぎても相手が来ない時なんかは、待ち時間が10分でもとても長く感じたりするよね。
「来る途中で何かあったのかな?」「日時を間違えていたんだろうか?」「場所を間違えているんだろうか?」などといった想念が飛び交い、それらを材料にした思考が展開されていくからだよね。
嫌いな人と一緒にいる時なんかに時間がとても長く感じるのも、早くその場から解放されたいがゆえの思考や想念がやまないからだよ。
よって、想念がなければ時間が過ぎるのは「あっという間」だよ。
ちなみに、これなどは時間の歪みの一例だが、S.Y.様やS.S.様からの「お客様の声」にもあるように、女性陣からは「転びそうになった」というような空間の歪みも報告されることが多いというのが私の印象。
「脳の構造における性差」によるものなのかな・・・
そして、このような状態からさらにもう少し伝達を続けて、(心身のみならず)潜在意識レベルにまで存在性のエネルギーを浸透させていく。
事後効果
翌日以降
F. J.:この状態で何気なく音楽を聴くと、急に胸にダイレクトにきて、涙が出てきた。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 翌日以降についての感想」
言葉が一切出せなくなってびっくりした。
ある種、心がむき出しのような状態なのかもしれない。(この状態は2-3日すると落ち着いてきた)
セッションの翌日以降の経過においては、ここが肝だよね。
第一エネルギー(※2)との接触により、(思考や感情や気分などに妨げられることなく)赤ん坊のように心で直接的に感じとるようになると、こういうことが多々あるわけです。
また、第二エネルギー(※3)との接触に伴う「心身における浄化作用」による場合もあるでしょう。
むしろ逆に「この状態は2-3日すると落ち着いてきた」とあるのだが、この「落ち着いた」という言葉が具体的にどのような意味を表しているのかが気になるな・・・
「ある種の心がむき出しのような状態になっていたものが従来の状態に戻った」ということなのか、「その時ほど極端なむき出しの状態ではなくなった」ということなのか・・・
とはいえ、F. J. さんのその時の理解に基づく解釈によって生じた言葉だからね。
なので、この文章だけで判断するのは難しい。
だが、一時的な浄化作用に由来するものなら、2、3日で落ち着くのも不思議ではない。
もちろん、それはそれで必要な過程なのだが・・・
ま、もう少し様子見だね。
F. J.:しかし、今は常に恩寵を感じている。
F. J.「サイレンスセッション 2025.11.14 翌日以降についての感想」
それにより、むしろ自身の身体と心をまるで他人のようにいたわることができる。
身体や心が求めるなら、やってあげようと素直に思える。
ここは、サイレンスセッション時にお伝えしたアドバイスに従っていれば、自然とそうなるわけですよ。
その様になる境地へとシフトしたことがわかっていたのでね。
探究歴の永い読者にはおわかりのことだと思うが、極めて成熟した探究者が何十年もかけて歩んでいくような道のりを、たった3時間のセッションに凝縮させ、その後のための理解をも促していくというのは大変な仕事なのですよ。
そりゃ、疲れまっせ〜
ましてや、猫ちゃんがお客様だったら何時間かかるんだろう・・・
一瞬だろうね・・・(笑)
注釈
※1.
>よって、「知性の使い方がわからない」ならば「努力の仕方がわからない」すなわち「努力をすることが不可能になる」ということである。
>さらに言うなら、思考も知性が司るものであるがゆえ、「知性の使い方がわからない」ならば「思考の仕方がわからない」すなわち「思考が止まる」というわけである。
ならば、日常生活などにおいて、努力や思考をする必要性がある時はどうすれば良いのか?
答えは簡単である。
「(思考を含めた)知性の次元」に注意の焦点を合わせれば良いだけである(上記の基礎知識を参照)。
ある程度の範囲内なら、それは自動的にもなされるし、(複雑な思考が必要とされる場合などといった)もっと自我寄りの次元に焦点を合わせたいのならば、そのような意図を持つだけで可能である。
※2.
>第一エネルギーとの接触により、(思考や感情や気分などに妨げられることなく)赤ん坊のように心で直接的に感じとるようになると、こういうことが多々あるわけです。
第一エネルギー:存在性が意識そのものによって直接的かつ自覚的に感じとられた際のエネルギー。
そのリンクポイントとなるセンターは頭部にあるヘッドセンターである。
このような第一エネルギーとの接触は浄化的変容のみならず進化的変容をも促すため、真我実現/悟りへと至るプロセスにおいて必須のものである。
そのような意味からも、ここからが真我実現/悟りへと至る過程の本当の始まりだと言えよう。
※3.
>また、第二エネルギーとの接触に伴う「心身における浄化作用」による場合もあるでしょう。
第二エネルギー:存在性が肉体や精神を媒介として間接的に感じとられた際のエネルギー。
その時々において、頭部や胸や腹で感じたり、全身に広がったりとまちまちである。
もちろん、これは第一エネルギーとの接触に付随して生じる場合もあるので、第二エネルギーとの接触自体は良いことである。
しかし、第二エネルギーとの接触のみだと「(後戻りなき)進化的変容」までには至らず「浄化的変容」のみに留まってしまうだろう。

この記事へのコメントはありません。