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ボディータイプ ~体癖理論に基づくタイプとその特徴~

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この記事は2018.10.15、18:24に更新しました。

はじめに

私のボディータイプに関する理論の原型は野口晴哉(はるちか)氏の「体癖」という理論をベースとし、その延長にある片山洋次郎氏の「体癖」理論による修正を加え、更には私が得てきたデータに基づく理論による修正を加えながら、私なりのボディータイプ理論を現在も更新し続けているところであります。

ですからその理論の全てが上記の二人の考えと同じではありません。

 

人間には、生まれながらのボディータイプに由来する気質というものがあって、それは真なる自己としてのあなたが目覚めてからも変わらない。

この事実と、自分の先天的な気質のタイプを知っていなければ、悟った後も「何で変容が起きないんだ?」と悩んでしまう「愚かな聖者」になってしまいます。

 

先天的な気質は変わらないということ。

たとえあなたが悟ったとしても。

 

これは私の体験からしても明らかだし、グルジェフのように(OSHOから敬意を込めてではあるが)「ならず者の聖者」と言われるような覚者もいれば、マハラジのように落ち着きがなく怒りっぽい覚者、OSHOのようなアクの強い覚者などと様々な覚者がいるわけです。

ですが顕現としての表現は違えど、彼らが悟っていたことは、私の目から見て間違いないと思います。

 

人間にいくつかのタイプがあることはお感じになったことはないでしょうか?

ですから、そのことについて私なりに研究していた時期があったわけです。

その中で、最も現実を映し出していると思ったのは、野口晴哉の「体癖」というものでした。

彼は臨済禅のバイブルといえる「臨済録」を生涯の愛読書とし、松本道別(まつもと・ちわき)というヨガ系の師のもとで修行をしてきた人です。

私の見立てでは、野口氏は覚者ではないが(悟っていれば、もう臨済録など必要としません。)、いわゆる呪術師、西洋的に言うなら魔術師であったのだと思います。

ですから当然いろんな特殊能力を有していたようです。

その人間観察も鋭いです。

 

子供の教育においても役立ちます。

たとえば9種の子供には、「なぜそれが大切なのか?」を理解させてあげなければなりません。

5種の子供には、「そうした方が得だよ!」と教えて方が響きます。

3種の子供には、「その方が楽しいよ!」と伝えた方が興味を示すかもしれません。

 

自分の嫌いなところでも、克服のできない範囲もわかります。

 

各ボディータイプにおける、その特徴

2種

5種の人たちが、比較的サル的顔っぽいのに対して、2種の人たちは比較的ゴリラっぽい顔と言えます。

首が太くて短めです。

手足が長く、逆三角形体型の5種などと比べると、比較的ずんぐりしたような体型です。

ビートたけし氏や織田裕二氏、山田邦子氏、小説家の林真理子氏などが2種に相当するかと思います。

 

2種の人の話は長いです。

9種の私からすれば、「早く結論を言え」「先に結論から言え」と突っ込みたくなります(笑)

良く言えば、説明がとても丁寧なのです。

悪く言えば、説明が長すぎて、何の話をしていたのかが途中でわからなくなってしまうのです。

当の本人も、元々は何の話を説明するために、そのような話を始めたのかを忘れたりしています。

 

たとえば私が会社の上司であり、部下が事前の連絡もなくで30分の遅刻をしてきたとします。

部下:「体調が優れなかったもので、どうしようかと思案しているうちに、気がついたら時間が経っておりましたので、急いできたものですから連絡の機会を逃してしまいました。すみません。」

私:「なるほど。よくわかった。仕事につきなさい。」

私は9種なので、そのような説明と謝罪なら、しっくりくるわけです。

 

部下が8種の場合、

8種の部下:「すいません。遅刻しました。」

私:「で?」

8種の部下:「すいません。」

私:「いつも言ってるでしょ。君が遅刻していることくらい時計を見ればわかるよ。なんで遅刻したのかをきちんと説明しなさいよ。」

8種の部下:「(更にふてくされたような顔つきになり)体調が悪かったんです。」

私:「わかった、わかった。もういいから、仕事を始めてください。」

 

7種や8種の人は主観しかないからね。

当の本人は、遅刻した自分に腹を立てているのだろうが、こっちにもその怒りのエネルギーが向かってくるからかなわないよね。

特に8種の人は、それが露骨に顔に出るから、こちらは言葉では謝罪されているはずなのに、表情では責められている側に立たされるから、なんとも不愉快な気持ちになることがあるので、9種の私はついついピシャリとやってしまう。

 

部下が2種の場合、

2種の部下:「あの~、実は聞いていただきたいお話がありまして・・・」

私:「なんかあったの?」

2種の部下:「実は昨日の夜、友人たちと飲んでいたんですけど・・・ その飲み会というものが、半年前から計画していたもので、みんなとても楽しみにしていた久しぶりの再会だったんです。」

私:「うん」

2種の部下:「高校時代の仲間の集まりなんですけど・・・ 私は陸上部だったものですから・・・ やっぱり部活の仲間って特別なんですよね・・・」

私:「君は何の話をしてんだ?」

2種の部下:「もちろん遅刻の理由についてですが・・・」

私:「わかった、わかった。飲み会で飲み過ぎて体調が悪かったんだね?」

2種の部下:「はい。ただいわゆる飲み過ぎたというのでもなく、楽しく酔えたというか、雰囲気にも酔ったというか・・」

私:「びっくりするじゃないか。飲み会の席で、なんかの事件にでも巻き込まれたのかと思っちゃったよ。わかったから。なら今日は身体が辛いかもしれないけど仕事がんばって。」

 

5種

5種の人たちというのは、行動型である。

つまりエネルギーを、主に行動によって発散するタイプです。

左上の写真の真田広之氏は、もともとはアクション俳優でありましたし、その隣の野村忠宏氏は柔道家、明石家さんま氏もじっとしておられることはお得意ではなさそうですし、喋りも一つの行動による発散です。

天海祐希氏は、歌って踊る宝塚出身の方。

 

上の写真のみなさん、子供の頃は落ち着きのない、活発でやんちゃなお子様だったのではないでしょうか・・・

そんな姿が想像できますよね。

 

肩幅が広い逆三角形のスマートな身体。

腕や脚は、比較的に長め。

 

身体は細身なのに、腕相撲などといった腕力がものすごく強い人とかね・・・

「芸能人の誰々が相撲取りに腕相撲で勝ったらしい。凄すぎる!」なんてことを聞くことがあるが、何も凄いわけではない。

5種がそれなりに鍛えれば、腕は細くとも腕相撲でなら力士に勝つことくらいできるのである。

相手の力士も5種なら、間違いなく勝てないが・・・

 

顔は、2種が比較的ゴリラ系の顔なのに対して、5種は比較的サル系の顔。

 

そんな5種は合理的であります。

ゆえに利害を計算して動くことに長けております。

 

かく言う私も9種のベースに5種が混じっており、少年時代は5種の方がメインだったと思います。

ですから20代の頃は、腕相撲なら相手が両手でも負けませんでしたし、垂直に立っているポールに腕を伸ばしたまま、まるで鯉(こい)のぼりのように身体を水平に一直線に保って静止することなどもできていました。

多少は勉強に取り組んでいた中学時代までは神童と称されることもあったようで、特に算数や数学においては少年時代からずば抜けておりました。

問題を見ただけで、答えが即座に降りてくるといった次元です。

 

5種は男らしいといっても、闘争型である7種のようなごつごつした感じの男らしさではなく、さわやかでスマートな感じの男らしさなのですが、その合理性ゆえからか、クールというかどこか冷たい印象を与えることもあります。

 

基本的には華やかで明るく、人からは好かれやすいので、人間関係において友達もとても多いのですが、どちらかと言うと広く浅くといった感じになりがちです。

9種の狭く深くの真逆です。

私も20代までは、出雲の街中(まちなか)でどこに行っても知り合いばかりというような頃もありました。

ですから当時の携帯電話の電話帳には登録相手の名前だけでなく、どこでどのように会った人なのかなどといった情報も記入しておかなければ、名前だけではわからないくらいでした。

今の私の人づき合いとは、完全に真逆ですが、それくらい5種の人たちというのは外向的であり、誰とでも仲良くすることができるわけであります。

ですから明石家さんま氏やダウンダウンの浜田雅功氏などが司会をされているのは、天職といえるわけであります。

 

5種の濃い人たちというのは、嫌いな人間でも、自分の利益になるのなら抵抗なく付き合うことができるというような人が多いのだと思います。

というよりは、自然とそういう方向で友達を作っていく人が多い印象があります。

もちろんタイプが5種だといっても、人間的な成熟度の違いによって、その現れ方には個人差があるわけでしょうが。

 

9種の私からしますと、露骨に5種が濃い人はその辺の計算高さが見え見えなので、あまり腹を割って付き合うことはしません。

向こうは向こうで広く浅くのタイプですから、それはそれで成立するわけですが。

 

彼にとって得があるならグイグイ来ますし、彼にとっての得がなくなれば手のひらを返したようにそっけなくなります。

その辺の極端な変貌ぶりは見事です。

「お前、人間として恥ずかしくないのか!?」と言ってやりたくなるくらいですが、それが彼らの自然体であるがゆえに、本当は誰のせいでもないわけであります。

 

話は変わり、

昨夜、私はお客さんとの約束?もあり、インスタント焼きそば『ペヤ○グの超超超大盛りGIGA MAX』なるものをいただいた。

何も挑戦しようとか、そういう目的があってのことではない。

(余ったものを、捨てる必要はないので、)食べものは足りないよりは余る方が良いという信条であるし、一般的な人のお腹いっぱいの量というものを知りたかったからである。

 

勘のいい読者なら、もうすでにお気づきかもしれないが、9種をベースに5種も混じっている私は、食べると決めたらかなりの大食いなわけである。

食べるということに専念すると、食べ放題などを行っている飲食店の方なども驚くくらいである。

ちなみに現在の私の身長は170cmで、体重は20代の頃から58kg周辺なので、比較的スリムな体型である。

 

昨夜は、まずは夜の晩酌に大瓶のビールを1本飲んでリラックス。

これが私の電源オフのスイッチとなる。

続いて、オクラのぬか漬けとシイラのお刺身で日本酒を一合ばかり。

次に、一袋のいかり豆(空豆を揚げたもの)をつまみながら、ウイスキーの水割りを3杯。

お腹は大量の水分と、その水分を含んだいかり豆に占領され、いわゆる腹8分目の状態である。

そのまま寝ることも可能だが、この日の私はペヤ○グを食べると決めている。

後は食べて寝るだけだ。

 

そこで『ペヤ○グの超超超大盛り GIGA MAX』を取り出したわけである。

いざお湯をかけてみると、普段私が食べるスパゲッティを食べる時の量と、そんなに変わらない。

お恥ずかしいことに、そこまで苦もなく完食してしまった。

 

しかも私は9種がメインのボディータイプなので、晩酌の時はゆっくりやるのだが、食べるだけの時は、とても早いのである。

9種は何をするにも早いのだ。

それが9種の人たちにとっては、普通のペースであるのだが。

 

たとえば、うどん屋などに行って、私はシンプルなうどんの大盛りを注文し、相手は天ぷらうどんなどといった少し手の込んだものを注文したりすると、当然、私のうどんの方が早く来ることとなる。

通例として「冷めないうちにお先にどうぞ。」と言われるわけで、相手のうどんがまだ来ないうちに私はすでに食べ終えていることとなる。

そんな感じで、『ペヤ○グの超超超大盛り GIGA MAX』も平らげてしまった。

 

お腹が空いている時だったら、そのペヤ○グ2箱は余裕、やろうと思えば3箱くらいは食べれるだろう。

挑戦する理由がないので、やらないが。

 

これは、とても危険な焼きそばである。

私にとっての、違う意味でなのだが・・・

つまり、この大盛りサイズの出現によって、普通サイズのペヤ○グが、もはや子供用の一口サイズに見えてしまっているのだから。

だからこの大盛りサイズが、私にとっての普通サイズとして脳にインプットされつつある。

 

食べ盛りの高校時代などは、2時間目の授業中に自分の弁当を食べ、またお腹がすいたら4時間目の体育は欠席して、友達の弁当を食べたりしていたものである。

そのお弁当の持ち主が、いざ食べようとふたを開けると、中身は空っぽなわけである。

そのようなイタズラ?をするのは私しかいないので、即座に私に視線が飛んでくる。

そんな私の様々なイタズラ?には茶目っ気があったので、恨まれることはなかったが、以来、卒業するまで彼が弁当箱を隠し続けていたことは言うまでもない。

以後はどれだけ探しても、見つけることができなかった・・・

ふと今になって、その答えが降りて来た。

違うクラスの友達に預けていたのか・・・

 

このように5種の人たちというのは、エネルギーを食欲に転換することができるのである。

いわゆる「痩(や)せの大飯食らい」という言葉の語源となった人たちとは、おそらく5種の人たちであろう。

「普通に早食い」の人たちは、大なり小なり9種が入っているのだろうな。

 

先日、晩酌時にボディータイプのデータ収集の一環として、YouTubeで元ボクシング世界チャンピオンの渡辺二郎氏と薬師寺保栄氏が食事をしながら行っている対談を見ていました。

私が一番、釘付けとなったこととは、対談中においても渡辺二郎氏の箸が休まる時がないのである。

もちろん食べる量を競い合う番組ではないので、自然体のままなのだと思う。

 

私は渡辺二郎氏の骨格やイメージからして、闘争型である7種がメインのボディータイプであると仮定して観ていたのだが、5種も入ってらっしゃるなと。

引退して40代(番組収録時)のお歳になられてもなお、普通にこれだけ食べるエネルギーがおありなのだから、そりゃ世界チャンピオンになるほどのエネルギーを備えていた方であったことは間違いないなと改めて納得させられました。

ボクサー時代には頭脳派のボクサーと呼ばれていたらしいですし、その番組でとても合理的なご発言をなさるところなどからも、7種よりは5種の印象を強く感じました。

5種がメインで、7種が混じってらっしゃるのかなと。

ですから、7種に由来する闘争心や体幹の強さなどに加え、そのような5種的な見通しの鋭さなどにおける知性の裏付けがあってこそ、生まれ持ったそれだけの大きなエネルギーというものをボクシングというスポーツにおいて生かすことができたのだと思います。

 

このように、テーマはボクシングについての対談であり、それはそれとして楽しく聞いているのだが、ついついそういう方に目が行ってしまう。

私にとっては当たり前の観方なのだが、それは9種的な見方なのだと思います。

そんな私の雰囲気や物の見方などが独特だと、若い頃からみんなに言われ続けているのは、9種という私のベースとなっているボディータイプに由来する部分が大きいような気がします。

 

私が『神の裏をかく』とか悪魔の裏をかくなどといった記事を書くのは、その9種的な本質そのものを見抜く能力に加えて、5種的な合理性に裏打ちされた見通しの鋭さの感覚というものがあるからなのでしょう。

 

このように、ボディータイプによっての得手不得手というものがありますので、私たちは異なるボディータイプの人と話すことから、新たな理解や発見などが生じてくるわけであります。

 

私は基本的には5種に対しては、あまり良いイメージはない。

7種や8種は口が立たないので手が出るが、5種は計算高く、さらに口も立つし手も出るのである。

そういう親から支配される子供は大変である。

私と同じ9種であった野口晴哉(のぐち・はるちか)氏も、5種に対しては、あまり良いことを書いていない。

その辺は、相性というものもあるのでしょう。

 

私のベースのボディータイプが5種なら、損得で動けない人間こそが意味不明だったことでしょう。

 

それにしても、同じ合理的で利害で動くタイプといっても、外向的な5種と内向的な6種の人たちとでは、下の写真と見比べるだけでも、その印象も真逆というくらいに違いますでしょう?

 

6種

上の6種の人たちの顔を見て、どこに共通点や特徴を感じますか?

私はアゴに独特の骨格のラインを感じます。

6種の人は、比較的アゴがしゃくれ気味で尖っているような印象があり、猫背になりやすいボディータイプであるように思う。

6種というベースとなる体癖に、他のタイプが混ざることによって、その現れ方には微妙な違いが生じてきますが。

左上のジェームス・ディーンの骨格を見ると、パーツはともかく顔の骨格や、その顔から受ける印象などが野球のイチロー選手にも似ていると思いませんか?

パーツにとらわれて見てはいけませんよ。

コーカソイドとモンゴロイドとでは、顔の造りが違うのですから。

 

6種の人たちは、基本的には根暗です。

3種の「底抜けの明るさ」のようなものはない。

そのような意味においては、現代的な人たちかもしれない。

それなりの感受性や人生経験がおありの方なら、上の写真を見た感じだけでも、その感じがわかりますよね?

 

そんな6種の人というのは、変なところでスイッチが入ったりするんだけど、それでも明るくなるというよりは、いわゆるハイになったり芝居がかったりしているように見えてしまう。

「お、スイッチが入ったぞ。そろそろ熱く語り出すぞ。」

本人にとっては、それが自然体なのだろうが、私などは眉につばをつけて話し半分に聴く。

「あくまでもその人にとっての、その時だけの本音であって、スイッチが切れたら忘れているのだろう。」

その程度の話として聞く。

ま、基本的に6種の人は根暗です。

その反動としてなのだろうか、非日常的な空間を愛し、そこでその命の火花を散らす。

だから神秘的なものとかドラッグやアルコールなどにも嵌(はま)りやすい。

 

やはり酔いやすい人たちなのかなぁ・・・

偶数種は受け身だからね。

奇数種のように自らが仕かける側でなく、相手に対してリアクションしていく側だから・・・

酒によったり、興奮に酔ったり、自分の吐いた熱い言葉に酔ったり・・・

それらを受けることで、活力を得るということなのかね・・・

 

共にいる相手からすれば、一緒になって酔えるか、すっかり醒めて引いてしまうか・・・

 

ゆえに、若くしての悲劇的な死を迎える人には6種が多い。

尾崎豊にしてもジェームス・ディーンにしてもジョン・レノン、カート・コバーン、太宰治、ジョン・ベルーシにしてもみんなそうだよね。

重い病気を患っていたとかではなくて、いきなり死んじゃうよね。

 

6種にとっては、自殺でさえも彼らの表現手段となるように思えてならない。

いわゆる破滅的な人たち・・・

たとえ自殺ではなくとも、アルコールやドラッグに耽溺したり、ハンドルを握るとスピード狂であったり、そんなことを続けていてはいずれ死ぬようなことになるのがわかっているのだから、それもある種の「緩慢な自殺」と言えるのではないのだろうか・・・

そんな風にも思えてしまう。

私と縁のあった6種の人の突然の訃報を聞いたりすると、「嘘だろ!?」という想いと同時に「あ~あ、やったか~・・・」という何ともやりきれない想いが込み上げてくる。

 

僕は6種は嫌いではないけどね。

危うさゆえの独特の魅力があるし。

やはり6種の人には、儚(はかな)さのようなものというか、独特の影とでもいうようなものがあるように思います。

タレントの綾瀬はるかさんも6種でしょう。

 

8種

日本人にはとても多いボディータイプであります。

7種が勝気なのに対して、8種は負けず嫌いです。

偶数種ですので、7種のように、自分から相手の優位に立とうとしかけるようなことはしないが、相手からの圧力を感じた時などには「負けまい、負けまい!」と必死で気張ります。

「自分にも負けまい」と戦うことが好きですので、修行や身体を鍛えたりなどをすることが好きな人達です。

日本人にありがちな、深く付き合ってみると「意外と頑固なタイプ」であります。

 

知性的な理論派ではなく、感情的な行動型です。

スポーツ選手、中でも格闘家に多い。

 

身体的特徴としましては、比較的、口角が下がっている印象があります。

むくみやすい体質であると思います。

 

そのようにむくみ気味で口角が下がっている顔なので、8種の人がきちんと謝罪をしていても、何かふてくされているような印象を与えます。

本人からすれば無意識的かもしれませんが、謝罪をしている時も、やはり「私が悪かったから謝りはするけど・・・しかし・・・」みたいな感じの気張りが残っているのです。

「ごめん、だけどね・・・」と実際に反撃に出てくる人が多いのも事実です。

 

また、他のボディータイプと混ざることによって絶対的とは言えませんが、

比較的、骨太の人が多い。

比較的、手足は長い方ではない。

指なども、ピアニストを連想させるような繊細で長い指ではなく、農作業などに向いているような節々の太い指をしているように思います。

 

などといった印象があります。

 

先に言いましたように、8種は日本人にとても多いので挙げるとキリがありませんが、有名人ですと、野村克也さん&野村沙知代さん夫妻や松本人志さんなどが真っ先に浮かんできます。

男性陣は、野茂英雄さん、三國連太郎さん、佐藤浩市さん、松本人志さん、奥田民夫さん・・・

女性陣では、雅子さま、和久井映見さん、中島美嘉さん・・・

 

9種

上段左から映画監督の黒澤明氏、漫画家の手塚治虫氏、物理学者のアインシュタイン氏、喜劇俳優のチャールズ・チャップリン氏・・・

チャップリンの若き日のこの写真を見たら、10代から20代の頃の私の写真と同じ感じがしたので、撮影時の年齢は私の方が明らかに上だと思いますが同じ9種である私の写真も並べておきました。

他にも織田信長、エジソン、野口晴哉氏・・・

 

9種の人たちの発想力は天才的と評されます。

9種の人たちが有する圧倒的なエネルギーが、その実現のための原動力になっているということは言うまでもありません。

 

以下から私のことは置いておくとして、みなさんそれぞれが、その強大なエネルギーをもってして独特の世界観を表現されてきた方々である。

ですからどうしても、それぞれの道のパイオニア(先駆者)的存在の方が多いです。

9種の人たちは、とても独創的であります。

9種の中でも優れた人たちは、他の追随を許さない、つまり他の人が真似することができない次元でのお仕事をされているように思います。

つまり、研究熱心な9種の人というものは、他の人たちと比べての技術的な高さというものももちろんありますが、何よりもその発想が斬新なのです。

ですから同業者がその発想を真似することはできても、その発想力を真似することはできません。

なので同業者たちがこぞってその発想を真似し始めた時には、当人はもうすでに違った発想のものを生み出していたりするわけです。

 

それにしても皆さん、一言で表現するなら「強烈」だよね(笑)

 

9種はとにかく、何といってもあの独特の目だよね・・・

 

わかるかな?

上記の写真の9種の人たちの内に秘めたる巨大なエネルギーみたいなものが・・・

まるでエネルギーの塊(かたまり)であるかのような存在感。

 

内に秘めたる強い意志とでもいうようなものが感じられるでしょ?

独特の目力であったり・・・

あの目から放射する力だけで人を殺すことができるんじゃないか?みたいなさ・・・(笑)

少なくとも病気させることくらいはできるだろうね(笑)

9種の目力が強いと言っても、闘争型である7種に特有の威嚇的に力んだ目つきではなく、8種特有のふてくされたような目でもない。

もっとその奥にあるエネルギーそのものの強さに由来するものなんだろうね。

 

どれだけのお金を積んでも買収できなさそうな、独特の信念のようなものを感じるでしょ?

「こうした方が、もっと映画はヒットしますよ!」

「こうした方が、もっと漫画が売れますよ!」

「こうした方が、もっと有名になれますよ!」

なんて進言しても、

「そんな目的でやっているわけではないっ!」って、無言で目で語るだけで突っぱねられる光景が見えてくる。

 

通常はとても紳士でめったに怒らないんだけど、本気で怒らしたら手がつけられない感じがしない?

イライラして小出しに怒るというタイプではなく、まとめて爆発してくるみたいなものを孕(はら)んでいるとでも言えばいいのか・・・

100のエネルギーがあったとしたら、10のエネルギーの怒りを10回で発散するのではなく、100のエネルギーの怒りを1回で発散しちゃうみたいなタイプだよね。

 

このメンバー全員がいる部屋で一日、一緒に過ごさなければならなくなったらどうですか?

気を抜く暇がない気がしない?

たぶん頭から湯気が出ちゃうよ。

 

もし同じ部屋で一日、一緒に過ごさなければならなくないのなら5種の人たちの方が良くない?

もちろん、あなたのボディータイプに由来する好みや相性というものもあるけどさ・・・

 

6種の人たちばかりの部屋に入れられたら、陰気になってしょうがない。

そうかと思ったら、酒が入ったら急に熱く語りだしたり・・・

「俺はみんなが幸せになるためなら、自分の命を捨てても良いと思っている!」

なんてね(笑)

 

そんな9種の人たちというのは緻密だよね。

たとえば映画監督でいうと、カメラには映らない小道具にもこだわるみたいなさ。

スタッフ:「監督、(主演女優が)ここで飲むジュース、映らないから水で良いんじゃないですか?」

監督:「馬鹿を言っちゃいかんよ。それを飲んでいる彼女の表情を通して映っちゃうんだよ。」

みたいなね・・・

 

9種ではないスタッフからしたら、

「ジュースに変えたところで表情なんて変わらないのに、なんでそんなところにこだわるんだ・・・」

ってなことになるだろうし、

9種である監督からしたら、

「なんで彼女の表情に、あれだけはっきりと現れるその違いがわからないんだろう・・・」

ってなことになるわけですよ。

どちらが正しいとかではなく、感受性というか物の観方が根本的に違うんですよ。

 

「本当の自分らしさを取り戻したい!」という方には・・・

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