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真我

自身の境地をチェックする方法〜意識の眠りと目覚めと悟り〜

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この記事は2021.9.7、19:26に更新しました。

更新内容:記事を推敲しました。

 

自己意識の眠り:混沌としての自己

《自己意識》が眠っている《混沌(こんとん)としての自己》からすれば、心や体があなたである。

思考も感情も感覚も《すべてがあなた》なのである。

ゆえに、あなたは複数に分裂するがゆえの葛藤を起こしてしまう。

思考も感情も感覚も《すべてがあなた》なのである。

それゆえ、そんなあなたにとっては「思考や感情や感覚を快適にすること」が何よりも重要な関心事となる。

よって、あなたは「心や体を快適にすること」のために瞑想やスピリチュアルを利用しようと企んでいるのだが、なんとも《ピントがずれている》

ピントとなるのは《自己意識》、ただその一点に全精力を注がなければならない。

そうしなければ《一時的な効果》は出ても《永続的な効果を得ること》ができない。

せっかくやるなら《一生モノ》を手に入れなさい。

《観照者としてのあなたは常に一人》でなければならない

 

自己意識の目覚め:自己意識としての自己

《自己意識》は目覚めている《自己意識としての自己》からすれば、自身の心や体は外にある。

思考も感情も感覚も、それらは外からやってくるのだ。

ゆえに、心に現れる想念なんぞは、目の前を横切る蚊のようなもの。

「外部のものをコントロールしようとする」のは馬鹿げている。

そうではないかい?

人生は長くない・・・

それゆえ《外部のもの》にではなく《内部のもの》すなわち《自己意識そのもの》に働きかけなさい。

《車》にたとえるなら、《車体》にではなく《運転手》に働きかけるのだ。

《唐揚げ》にたとえるなら、《衣》にではなく《肉》に働きかけるのだ!(なんのこっちゃ?)。

時の流れは不可逆的だ。

車はいずれはガタが来る。

《車》が《あなた》であってはならない。

 

究極の悟り:絶対意識としての自己

《絶対意識としての自己》からすれば、自分も他者も、宇宙のすべてが中にある。

ゆえに、目の前にいる他者ですら、己の内部のものである。

「内部のものに働きかける」のは、とても簡単なことなのだ。

己の手や足を動かすようなものだ。

私が行う直接伝達とて同じこと。

「全ては《意識としての私》の内部にある」のだ。

 

「人間としての自己」と「意識としての自己」

《渾沌としての自己》《自己意識としての自己》《絶対意識としての自己》。

これらは視点が違うのだ。

気づきの質が違うのだ。

しかし、それは《発想の転換などによる視点》などではなく《意識としての進化に基づく境地による視点》であるので、体得するしかないのである。

それらは外的には同じ人間のようでありながらも、意識としては完全なる別物なのである。

《乗ってる車》は同じでも《ドライバー》が違うのだ。

 

それゆえ、瞑想をはじめとするスピリチュアルな取り組みとは《人間としてのあなたへの働きかけ》ではなく《意識としてのあなたへの働きかけ》でなければ意味がない。

 

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