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瞑想

質問:悟るためには瞑想が必要なのでしょうか?

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この記事は2021.9.8、14:45に更新しました。

更新内容:記事を推敲しました。

 

誰が行う瞑想なのか?

生徒:悟るためには瞑想が必要なのでしょうか?

 

木幡:それは、その人の進化におけるステージによる。

その瞑想の質は、それぞれの《魂に由来する純粋さ》を反映している。

 

自己意識なき《行為者》として行う《行為としての瞑想》なのか?

自己意識を有した《観照者》としてなされる《在り方としての瞑想》なのか?

《非日常的な習い事のようなものとしての瞑想》と《日常的な呼吸のようなものとしての瞑想》とでは、そもそも《動機が違う》のだ。

 

《動機》が違えば《結果》が異なる

《道》が違えば《行き先》も異なる

 

成熟した探求者の場合

木幡:成熟した探求者においては、逆らいきれない運命によってやらされている。

すなわち、自己意識を妊娠すれば魂を出産するまでの苦労もあるだろう・・・

その苦労の一つが瞑想だ。

苦労は進化を加速する。

 

場合によっては、過去の私のように人間としての当たり前の幸せのすべてを犠牲にしてでも。

そこに選択の余地はない。

なんとしてでも《魂の眠りの呪いを解く》しかない。

 

《魂としての生き死に》すなわち《己そのものの生き死に》が関わっているわけだからね・・・

「(私たち人間が)生きるためには呼吸をすることが必要でしょうか?」なんて質問をする人なんかいないよね・・・(笑)

つまり、それは《すべきか否かの選択》ではない。

そのような意味において、彼らはとても追い込まれている。

 

しかし、これらの幸運な人たちはごくごく一部の例外だよ。

よって彼らは「瞑想をすべきか否か」といったような質問はしてこない・・・(笑)

相当な時間の瞑想をこなしてきた彼らは、すでに《瞑想の限界》言い換えるなら《自力の限界》というものを熟知しているので《私の直接伝達》を求めてやってくる。

わかる時が来ればわかるものだし、わかる時が来なければわからないものだが、それは《依存》などではなく《最も高次の他力への明け渡し》すなわち《最も高次の自己への明け渡し》なのだ。

 

そのうえ彼らは《私の指導だけ》に極めて忠実に従う。

なぜなら、彼らは「《私》の指導に忠実に従うこと」と「《己の魂の声》に忠実に従うこと」とは同じことである、ということを自明のことして確信することができるからである。

その逆もまた真なり、なのだが・・・(笑)

だから、彼らはすぐに結果が出せる。

私は《思考や感情や欲求などといった低次の自己の側》ではなく《それらに先立つ魂の側》に立つ人間であるがゆえ、私の指導とは《彼らの魂の声を人間にもわかる言葉に翻訳しているだけに過ぎない》からだ。

 

未成熟な探求者の場合

木幡:しかし、一般的な探求者はまだそこまで追い込まれていない。

男を見る目がないゆえに男をとっかえひっかえの浮気娘のようなものだ。

結婚するには若すぎる。

《私を明け渡すこと》よりも《私が何かを手に入れること》の方が大切なのだ。

つまり《小さな私を明け渡して、大きな私へと進化すること》よりも《このままの私が、もっとたくさん手に入れて、もっと幸せになるという夢をみること》に夢中になっているということなのだ。

よって、彼らの瞑想体験は自らのエゴを増大させるためのものになってしまっている。

そのような生き方を否定する気はないが、探求者としての準備ができているとは言えないだろう。

だから、様々な教師のもとを渡り歩いて浮気の数が増えるほど《実用性のない知識》を増やしていくばかりで、魂そのものは全く成長してしないどころか目覚め始めてすらいない(笑)。

よって、口だけは達者だが中身は空っぽだ。

 

私とは何か?

木幡:話を戻そう。

「悟るためには瞑想が必要か」だったね?

 

生徒:はい

 

木幡:《誰》が瞑想をするのだろう?

 

生徒:私です。

 

木幡:あなたのいう《私》とは何を指しているのだろうか?

 

生徒:・・・

 

木幡:あなたのいう《私》とは《一人》しかいないのだろうか?

 

生徒:・・・

 

木幡:どの《私》が瞑想をするのだろう?

 

生徒:・・・

 

木幡:あなたのいう《私》とは《どこ》にいるのだろう?

 

生徒:・・・

 

多次元的な複数の私

木幡:《私》というものを構成している《自己》とは多様で多次元的なものだ。

肉体、思考、感情、本能、知性、感受性、存在性、潜在意識(無意識)、顕在意識(意識)、自己意識、純粋意識、絶対意識、森羅万象、等々・・・

その自覚の有無に関わらず、それらはすべて自己の一部である。

一部は全部になりえない

 

よって、

《肉体としてのあなたがする瞑想》とは《足を組んで座ること》だ。

こんなことは二歳の子供にだってできるはずだが、それで悟りが起きるだろうか?(笑)

 

生徒:・・・(笑)

 

木幡:また、たとえそれが無自覚的な潜在意識(無意識)レベルのものであれ、

《エゴとしてのあなたがする瞑想》とは《新たに起きるかもしれない何かを期待しながら待ち続けること》でしかない。

 

ゆえに、その実体は《瞑想》ではなく《物乞い》だ。

その目的は《愛》や《明け渡し》ではなく《略奪》だ!(笑)

 

《何かを期待しながら待ち続ける》なんてことはソファーで寝転がってポテトチップスをかじりながらでも充分できる。

それは、むしろ怠け者たちの得意技なのだが、それで悟りが起きるだろうか?(笑)

それでは《悟り》どころか《人並みの成長のための努力》でさえもできやしない。

 

瞑想は《期待をしながら待ち続けること》に成り下がってしまった。

 

彼らにとっては、ただ怠けているだけなのに罪悪感を感じずに済むし、さらには成長しているように感じさせてくれる魔法のツールなのだから(笑)

ゆえに、どうしようもないほどの怠け者たちも瞑想に飛びついていく。

《自己意識による自己観察》や《自己意識による自己制御》さえもできていないというのに・・・

 

悟りのためには瞑想が不可欠だ。

しかし、そのような低次の自己によってなされるものが本当に瞑想だと言えるのだろうか?

 

そのような《瞑想ごっこ》《(他者との競い合い的な)スポーツ瞑想》《物乞い瞑想》《盗人瞑想》《カウチポテト瞑想》をしている探求者はたくさんいるが、本当の意味での瞑想ができている人はまずいない。

 

誰が行う瞑想なのか?

木幡:あなたのいうところの《瞑想》とは何なのだろう?

 

生徒:・・・

 

木幡:一口に瞑想と言っても、様々な次元の瞑想がある。

 

《行為者としての自己》による瞑想

《思考者/エゴとしての自己》による瞑想

《観照者/自己意識としての自己》による瞑想

《純粋意識としての自己》による瞑想

《絶対意識としての自己》による瞑想

 

瞑想とは言いながらも、そのような《行為者としての自己による瞑想》や《思考者としての自己による瞑想》では、結局のところ《座ること》や《期待すること》しかできないのではなかろうか?

《行為者としてのあなた》や《思考者としてのあなた》は瞑想のつもりで《期待すること》しかできないのではなかろうか?

そのような《行為としての瞑想》や《思考としての瞑想》、その実体は《瞑想を装った期待》でしかない。

それでは《祈りを装った懇願》と変わらない。

 

《期待》とは《未来に関する夢》、そのような意味においては《幻想》だ。

そして《幻想にとららわれること》こそが《意識の眠り》だ。

しかし《瞑想を装った期待》そんな《期待瞑想》をしていたのでは期待だけがふくらんでいくばかりだ。

《期待に基づく夢や幻想》ばかりが育まれていく。

よって《期待瞑想》とならざるを得ない《いわゆる瞑想》だけでは《悟りを妨げる眠り》ばかりが深まっていくのが現状なのだ。

 

ちなみに、自己意識による自己観察ができていない人には無自覚的なことかもしれないが、日常生活においても、

《期待する心》そのような落ち着きのない心との同一化があなたの心を乱しているのではなかろうか・・・

 

さらに言うなら、

《期待》があるから《失望》や《落胆》がある

《期待》がなければ《失望》も《落胆》もない

 

日常生活においては、期待があるからあなたの心は安定しない。

瞑想時においても、期待があるからあなたの瞑想は安定しない。

 

そういうカラクリに気づくことが知性の仕事だ。

早口言葉のようではあるが、聡明さのない瞑想では迷走になってしまう(笑)

 

自己意識による自己観察でコードを読み解け。

 

瞑想とは

木幡:《瞑想》というのは《車の運転》のようなものだ。

そこに乗り込む《運転手》は《期待という酒》に飲まれていてはいけない。

 

《いわゆる瞑想》とは《期待をすること》である。

《真の瞑想》とは《期待をしないこと》である。

 

真の瞑想、それはもはや《瞑想のための方法》ではなく《生き方における態度》なのだ。

《やり方》ではなく《在り方》だ。

《一時的な瞑想時の技術》ではなく《日常全般における在り方》になっていなければ本物ではない。

そのような積み重ねによって《すること》や《しないこと》をも超えた場所へと至ることこそが《真の悟り》なのである

 

もっと理解を深めたい・・・

 

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