悟りが来る日を待ちながら〜〈共同幻想〉〈共犯幻想〉としてのノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)〜
この記事は2024.2.9、23:00に更新しました。
更新内容:この記事におきましては、三年ぶりにささやかな推敲をいたしました。
悟りが来る日を待ちながら
今から50年以上も前に出版されたサミュエル・ベケットの戯曲(演劇の台本、または、その形式で書かれた文芸作品)『ゴドーを待ちながら』では、誰も会ったことのない〈ゴドー〉という人物がいつか来ることを信じて待ち続けていた二人の主人公のもとに、最後まで〈ゴドー〉なる人物が現れることはありませんでした。
しかも、その物語の中では〈ゴドー〉という人物が本当に存在していたのかどうかですら、明らかにはされておりません。
そんな実在するのかさえもわからないゴドーなる人物が、いつか来ることを待ちわびていた主人公の二人。
物語の途中、〈ゴドーの使者〉と名乗る少年がやってきて、「今日は来ないが、明日は来る」というゴドーからの伝言なるものを受け取りもしていたのですが、ついに〈ゴドー〉はやって来ませんでした・・・
そんな、なんとも救いようのない話ではありますが、それは〈サトリ〉なるものによる救いを求めて、〈サトリ〉が来る日を待ちわびている人たちの〈人生という物語〉にも似ているような気がしませんか?
さらには、〈ゴドー/Godot 〉と〈ゴッド/God=神〉の綴(つづ)りが似ているというのも、いささか気にはなるのです。
とはいえ、物語の中でなら、そのような話を楽しむこともできましょうが、どうか、かけがえのない〈あなたの人生という物語〉までもが、待ち続けていても来るはずのない『サトリを待ちながら』終わってしまうことになりませんように・・・
「ゴドーは本当にいるのか?」「サトリとは本当に来るのか?」
「〈ゴドー〉や〈サトリ〉が実在するのか否か?」を説明する前に、まずは以下の表をご覧になってください。
《自己の環境的側面》からた分類
爬虫類 | 哺乳類 | 人類 |
本能 | 感情
本能 |
思考
感情 本能 |
《自己の機能的側面》からみた分類
爬虫類 | 哺乳類 | 人類 |
知覚 | 感受性
知覚 |
知性
感受性 知覚 |
上記の表からもおわかりのように、〈私たち人間〉と〈その他の生き物〉たちとの本質的な違いとは、〈思考能力の有無〉すなわち〈知性の有無〉であります。
ですから、虫でもなく獣でもない私たち人間は、ぜひとも〈人間らしさの象徴〉でもあるというべき《知性》を使って、〈サトリ〉を待ち続けることよりも前に、まずは「(何もせずに待っているだけで)向こうからやってくるような〈サトリ〉なんてものが本当にあるのだろうか?」を考えてみてはどうでしょうか・・・
そして、ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちや、その信奉者たちが言うところの《そのままでの〈サトリ〉なるもの》と正しいプロセスを経ていくことでしか至ることのできない《真の意味での〈悟り〉》とが同じものであるのかどうかを考えてみてください。
さらには、あなたの想像している〈サトリ〉なるものと真の意味での〈悟り〉とが同じなのかも様々な角度から検証してみてください。
そうしなければ、「あなたが拾ってきた子猫が、実はトラの赤ん坊であったので、大きくなったら噛み殺された・・・」、そんなバカな話はないにしても、〈思い込み〉とは〈トラ〉よりも大きな口であなたを飲み込む、恐ろしいものなのかもしれません・・・
結論を言いますと、
〈悟り〉のための正しい取り組みを行うことによって〈悟り〉へと至ることはできますが、それをせずして〈サトリ〉も〈悟り〉もやってくる来ることはありません。
〈悟り〉とは何なのか?
なぜなら、
悟りとは《個としての意識の進化》すなわち《自己の進化》によるものであるため、〈(二足歩行や言語の習得などといったような)人類という種としての集団的進化〉のように自然に起こるものではない
からです。
つまり、
悟りとは《自己の進化》によるものなのです。
だからこそ、
〈悟り〉のためには〈個人レベルでのそれなりの修練〉が必要となる
わけですし、
誰もが悟れるわけでなく、個人差も極めて大きい
というわけなのです。
共同幻想としての〈サトリ〉
幻想
〈現実にはないこと〉をあるかのように心に思い描くこと。
また、そのような想念。
共同幻想
複数の人間の間で共有されている《幻想》。
〈サトリ〉と〈サンタクロース〉
クリスマスシーズンになると、街中(まちなか)ではサンタクロースの格好をしている人をよく見かけます。
ですが、その中に本物のサンタクロースがいるはずもないことくらいは、子供たちでもわかっていることでしょう。
ですから、その〈サンタクロース〉が本物のサンタクロースではないことを怒る人など一人もいません。
なぜなら、子供たちでさえも「それが虚構(作りごと)による共同幻想であるということ」を暗黙知的には理解しているからなのです。
そのように、〈本物のサンタクロース〉などは実在していないということ、つまり、〈サンタクロース〉とは《すべての人間の間で共有されている幻想》でしかないのと同様、ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちや、その信奉者たちが言うところの〈サトリ〉なるものも実在しているのかさえ定かではありません。
たとえ、〈サトリの使者〉と名乗るノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちや、その信奉者たちの頭の中(幻想)では存在しているにせよ・・・
私のみならず、それなりに知性の発達した探求者方もお気づきのように、ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちの多くや、その信奉者たちが言うところの〈サトリ〉なるものとは、実在なき〈サンタクロース〉のようなものなのです。
言い換えるなら、
ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちの多くや、その信奉者たちが言うところの〈サトリ〉なるものとは《共同幻想》なのです。
しかも、皮肉なことに、ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちの多くや、その信奉者たちが言うところの〈サトリ〉なるものは《歪んだ共同幻想》をも引き起こしてしまったのです。
つまり、「それが虚構による共同幻想であるということ」に気がついていない人たちがいるということです。
それは、(売っている本人も子猫だと信じ込んでいるのでしょうが、)トラの赤ん坊を子猫として販売してしまったために、本当はそれが「獰猛なトラの赤ん坊」であるということも知らずに、「可愛い子猫」だと信じて肌身はなさず可愛がっている人たちがいるのと同じような現象なのです。
もうすでにおわかりのように、ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)系教師たちの多くや、その信奉者たちが言うところの〈サトリ〉とは〈ミッキーマウス〉なのです。
ディズニーランドで〈本物のミッキーマウス〉を探している大人などはいないように、〈虚構〉と〈事実〉との見分け、〈幻想〉と〈現実〉との見極めがつく人々は、そのようなメルヘンチックな被り物の〈サトリ〉と本物の〈悟り〉とを混同することなどはないはずなのです。
そういう意味では、あまりにも過激過ぎる陰謀論なんかも《共同幻想》と言えるでしょう。
だから、ごく一部の人たちの間でしか共有することができないのです。
そして、何よりも悲しいことに、そのような
ノンデュアリティ(ネオ・アドヴァイタ)的なメルヘンとしての〈サトリ〉とは本物の〈悟り〉ではないことをわかっていながらも、あたかもそれが本物の〈悟り〉であるかのように見せかけて商売しているような確信犯たち同士は、意図的に《共犯幻想》としてのネットワークを作り上げているのかもしれません。
だからこそ、〈それ〉がトラの赤ん坊であることを知りながらも、子猫として販売し続けている者たちが「グル」になっているのです。
※. 一般的に〈グル〉という言葉は〈悪事を企てる仲間〉のことを意味するが、私の嫌いなスピリチュアル業界では〈霊性指導者〉すなわち〈スピリチュアル教師〉という意味で使われることもあるので、ダブル・ミーニングとして、その二つの意味をかけ合わせている。
〈思い込み〉による〈自己の眠り〉
上記のことからもおわかりのように、
(その自覚の有無に関わらず、)〈思い込み〉とは〈幻想〉なのであります。
とはいえ、「それが赤ん坊の時には〈トラと猫との見分け〉がつきにくい」、そんな人もいるかもしれません。
しかし、丁寧に調べていけばわかるはずなのです。
だから、私は「考えてみてごらん」「検証してみてごらん」とお願いしていたのです。
手遅れになって、〈サトリ〉という〈トラ〉にあなたが「パクリ」とやられないうちに・・・
しかし、それでも〈《悟り》と《サトリ》の違い〉や〈《本物》と《被り物》の違い〉がわからないのであれば、「〈ゴドー〉や〈サトリ〉を信じて待ち続ける」などといった、分の悪いギャンブルには手を出さない方が身のためです。
つまり、〈分の悪いギャンブル〉よりも〈悟りへと確実につながる人間としての健全な成長〉のために取り組んだ方がいい。
それをやり終えたのなら、〈悟りへと直結する霊性/魂としての成長〉のためにも取り組むといい。
しかし、何事においても、〈トラに噛まれる被害〉よりも〈思い込み(幻想)に取り憑かれる被害〉の方が格段に高くつくということを忘れてはなりません。
なぜなら、あなたが〈思い込み〉に取り憑かれたならば、あなたの周りのいるかもしれない〈幻想に惑わされることのない常識的な人たち〉はどんどん去っていくこととなるでしょう。
それとも、すでに・・・
すでにおわかりのように、〈思い込み〉とは、肉体における怪我とは違い、〈個としての意識(自己)〉すなわち〈魂〉までもを〈幻想〉という名の〈深い眠り〉に飲み込んでしまうものなのです・・・
この記事へのコメントはありません。