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自己意識

乞食と名人

自己意識

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(たとえば、あなたが自給自足的な原始社会で暮らしていて、毎日の食料としての魚が必要である場合、)

本質的に重要なのは「誰かに魚を恵んでもらうこと」ではなく「自分で魚の釣り方を覚えること」なのではなかろうか。

しかし、大半の人たちはその逆のことをやってしまっている。

彼ら彼女らは「目先の欲(目の前の魚)」に囚われることによって、その供給者への依存的状態に苦しみ続けるだけではなく、「成長の機会(魚の釣り方を学ぶこと)」をも逃し続けている。

それは「堕落」なのではなかろうか・・・

そこは「地獄」なのではなかろうか・・・

「堕落のループの罠」に気づくのだ!

しかし、賢明な読者の方ならおわかりのように、

それ相応の自己観察なくして、自身が「堕落のループ」に陥っていることになど気がつくはずがない。

それなりの自己制御なくして「自分で魚を釣ること」などできやしない。

そして、

真の知性(すなわち能動的かつ主体的な知性)と繊細な感受性なくして「高次の自己観察自己制御」は起こり得ない

ということも忘れてはならない。

とはいえ、死の間際まで人生は続いていく。

あなたは「魚を乞(こ)うだけの乞食」のままでい続けるのか?

それとも「釣りの名人」を目指すのか?

しかし、努力は正しい方向に向けてこそ有益なものとなるということも忘れてはならない。

追伸:

私はクロマグロが大好物なのだニャ〜🐟

誰か送ってくださいな〜🎁

お願いします❗

お願いします❗❗

お願いしますっ❗❗❗

頼んまっせ〜🙇

「乞食の名人」より

まとめ:

あなたが運良く「魚釣りの名人」に出会うことができたのならば、「目の前の魚をねだる」のではなく「魚の釣り方を教えてもらう」こと。

※. しかし「間違えてはならない」のは、「魚の釣り方を教えてもらうということ」は「教えを乞(こ)うこと」すなわち結局は「乞食側」となるので、(弟子、友人、顧客など)それ相応の関係でなければ拒絶されるのがオチではあるが・・・

言い換えるなら「後に名人となった者といえども、他者からの学びの時期においては乞食にならざるを得なかった」ということだニャ〜😹

ならば、やはり「後に名人となった人」は「乞食としても名人であった人」なんじゃないの(笑)

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