心と身体
この記事は2021.12.14、11:37に更新しました。
更新内容:記事に加筆をいたしました。
心と身体
はい、皆さんこんにちは。
「ヨークシャーテリアとの口喧嘩ならば負けたことがない!」
それだけが自慢の木幡 等でございます。
さてさて、さてさて、
生きた人間にとっての「心」と「身体」は同じものです。
その両者の本質は「エネルギー」だからです。
「純粋意識に由来するライフエナジーの戯れ」と言っても良いかもしれません。
しかし、私たちの知性を通して、生きた人間を眺めていると「心」と「身体」は異なったものに思えてくる。
それゆえ、
「抽象化された身体が心」であり、「具体化した心が身体」である。
このように言うことができるかもしれません。
「デジタル脳である左脳は世界を言語や記号によって抽象的に認識する」ので意識の中に「心」が現れ、「アナログ脳である右脳は世界を形によって具体的に認識する」ので意識の中に「体」が現れてくる。
よって、
「左脳優位で認識されたエネルギーの変化」は心の動きや変化として感じられ、「右脳優位で認識されたエネルギーの変化」は体の動きや変化として感じられる。
のかもしれない。
ですから、解剖学図に示された人体とは「生きた身体」ではなく「死んだ体」です。
すなわち、それは良くも悪くも、人間という存在を「命ある生命体」としてではなく「命なき物体」として扱っているものでもあります。
ゆえに、そこに「意識」や「心」や「生命/エネルギー」を見つけることはできません。
ですから、どうか皆様も解剖学図などによって「視覚化できるもの」ばかりにとらわれないで、「目には見えないもの」こそをもっと大切にしていただきたいと思うのです。
目には見えないもの
高次の自己探求とは「目には見えないもの」への探求であります。
「我とは何ぞや?」
やがては、ここにぶち当たるはずです。
そして実際のところ、
「あなたにとってのあなた」とは目に見えるものなのでしょうか?
しかし決して、その答えを外から得ようとはしないでください。
「他者からの視点による意見」や「思考」や「言語的知識」は役に立たないどころか邪魔になるからです。
「瞑想」とは、そのための方法の一つにしか過ぎません。
ですが、「ヨークシャーテリアとのケンカ」は、そのための方法ではありません。
ですから、
「ヨークシャーテリアとは仲良くしましょう!」
そんな想いを込め、読者であられるヨークシャーテリアの皆様のために、あえてこの記事を書かせていただきました。
なぜなら私は、人間よりもヨークシャーテリアの方が好きだからです。
誰かがヨークシャーテリアとケンカしていたら、私は迷わずヨークシャーテリアの味方につきます。
ですが、ヨークシャーテリアのための個人セッションは行っておりません。
ヒーリングなら遠隔でもいけますが、これまでワンちゃんからのお申込みはございません。
具合の良くないネコちゃんの飼い主様からのお申込みはございましたが・・・
人間よりも動物の方が、圧倒的に感受性が高いからね。
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