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断片的な走り書き22〜瞑想と悟り〜

格言集, 瞑想

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この記事は2021.12.13、20:21に更新しました。

更新内容:記事に加筆をいたしました。

マインドフルネス

くるった時計を眺めていても、正しい時間はわからない。

くるった時計ばかりが集まれば、間違った時間が正しいとされてしまう。

時間と時計

時計は時間そのものではない。

時計と歯車

時計の歯車は、全てが正しく連動していなければならない。

時計は時間を知っているが、歯車には時間がわからない。(「観照者と行為者/思考者」「単一の私と複数の私」)

「歯車には時間がわからない」ということさえも歯車にはわからない。(「無知の知」)

歯車は時計にはなれない。(「部分と全体」「複数の私と単一の私」)

《時計から飛び出した歯車》とは、もはや《時計》ではなく《ただの鉄の塊》にしか過ぎない。(「自己意識の眠り」)

《時計から飛び出した歯車》とは、《生きた時計》ではなく《死んだ鉄の塊》にしか過ぎない。

《気まぐれに動くもの》を歯車にしてはいけない。(「思考と知性との分離」「感情と感受性との分離」)

壊れた時計

《くるいの大きい時計》ほど、よく目立つ。(「自己意識の眠り」「混沌としての自己」)

《壊れた時計》は役に立たないにも関わらず、《壊れた時計》ほど、やかましいものである。(「自己意識による自己観察と自己制御」「混沌としての自己」)

保護中: 混沌としての自己【悟りのリストランテシリーズ4】【2021年度版 有料記事】

《壊れた時計》は役に立たないからこそ、自己主張をしなければならないのである。(「社会的動物としての個体保存の本能」)

「私」とは何なのか?

時計の《針》は動くが、《軸》や《基盤》は動かない。(「行為者/思考者」「観照者(自己意識)」「絶対意識」)

「瞑想」とは何なのか?〜初級編〜

時計の《針》ではなく《軸》か《基盤》を見つめていなさい。(「気づきの主体と対象との分離」「私は誰か?(ラマナ・マハルシ)」)

ラマナ・マハルシ

「瞑想」とは何なのか?〜上級編〜

(一定期間において、純粋意識との接触状態に明け渡し続け、)《時計》のことは忘れてしまいなさい・・・(「純粋意識への明け渡し」)

(一定期間において、絶対意識からの引き込みに明け渡し続け、)《時間》のことも忘れてしまいなさい・・・(「絶対意識への明け渡し」)

「悟り」とは何なのか?

さすれば《従来のあなた》さえもが消え去っていく・・・

ならば、そこに何が残っていようとも、何も残っていなくとも、もはやそれを気にする《あなた》はいない。(「自己意識と絶対意識との融合」)

それが悟りだ。(「絶対無」「自然発生的想念の完全消滅」「あらゆる自己同一化からの解放」)

『断片的な走り書き』

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