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断片的な走り書き14~修練と明け渡し~

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この記事は2019.11.10、8:45に更新いたしました。

記事に加筆修正をいたしました。

断片的な走り書き14~修練と明け渡し~

地区予選にも勝てないで、どうやって金メダルが取れるというんだい?

 

意識としてのあなたの進化のためには、避(さ)けて通ることのできない修練を、

1. 言われなくとも、やり続けてきた人

2. 言われたら、やる人

3. 言われても、やろうともしない人。

このことは、その人の意識レベルをも反映している。

 

人生とは、意識としてのあなたにとっては、終わりなき進化のプロセスだ。

ならば、転んでも良いじゃないか。

転んでも転んでも、それでも歩き続けようとすることが大切だと思うよ。

 

悟りのための修練においては、意図的に自身に負荷をかけ、その内部に火を起こすことによってエネルギー状態を高め続けていくことが狙いなのである。

それゆえ、

できるか、どうかは重要じゃない。

やるか、やらないかが重要なんだ。

そうして、あなたそのものが強くなっていくのだ。

 

修練においては、

日課のようにできることを続けていても、火が生じない。

困難に感じられることに取り組むことによって火が生じることにこそ意味があるのだ。

それが修練における秘訣なのだ。

 

だから、

習慣で行う朝晩2時間ずつの瞑想程度では、あなたそのものが変容しないのだ。

ならば、火を生み出す行為を日常生活の中に持ち込む方が、はるかに効率がいい。

 

どんなに素晴らしい修練を知っていても、それを実行しなければ意味がない。

 

私の前半生は、日常生活の全てが修練であった。

 

それなりに磨かれたダイヤモンドを手にしている人、つまり「そのまま何もせずに、後はただ明け渡すだけで良い人」というのは、きわめて稀(まれ)だ。

 

ダイヤモンドの原石は、何度も磨かなければ、ただの石ころに見えてしまうので、ほとんどの探求者はすぐに投げ捨ててしまう・・・

そして、磨く必要のない安っぽいガラス玉に飛びついていく。

ゆえに、キラキラしたガラス玉を売りつけているスピリチュアル教師たちは大人気なのだ。

このことは、まさに今の日本の探求者の意識レベルを、そのまま反映している。

 

ガラス玉は磨き続けていても、すり減っていくだけである。

 

たとえて言うなら、

宝石商である私の面前で、自身のガラス玉のコレクションを並べて自慢し始める「おかしな人たち」がいる。

君は何がしたいんだ・・・?(笑)

「それは、ダイヤモンドではなくガラス玉だよっ。」

逆上されても面倒なので、私は、その言葉を飲み込む・・・

彼らにとっては、信じたいこと(ガラス玉)だけが、彼らにとっての真実(ダイヤモンド)なのである。

 

悟りのための修練とは、たくさんのガラス玉を集めることではなく、あなたというたった一つのダイヤモンドの原石を磨き続けることである。

 

明け渡しとは、ガラス玉のコレクションを手放していくことで、最後にただ一つだけ残った本物のダイヤモンドを見つけていくプロセスである。

そのためには、何がガラス玉なのかについての理解、ガラス玉の性質を見極める知性や感性も必要となる。

 

もっと理解を深めたい・・・

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