断片的な走り書き8~本能に由来する感受性~
この記事は2019.4/12、10:16に更新しました。
更新内容:新たな文章を追加と、記事全般の推敲をいたしました。
~知性活動に依存し過ぎた現代人たち~
本能に由来する感受性とは、個人的または集合的な行動原理に由来する知性に先立つ、自動的かつ普遍的な機能である。
まずは本能に由来する感受性があってこその知性活動なのだ。
いわゆる文明社会が成立する以前には、本能に由来する感受性なしに命を守ることなどできなかったのである。
この世界においては、原則として、己の命を守ることが生き物にとっては最優先とされる。
それゆえ、本能に由来する感受性は誰もが生まれながらに持っているものだが、知性は生まれた後に発達させてゆくものなのである。
当然のことながら、種としての進化の順序においても同様である。
ゆえに、
「本能に由来する感受性」が置き去りにされた知性活動に基づく言葉や考えなど、命を育むことさえもできない、ただの戯言(たわごと)でしかない。
だから、
他人が発する言葉の意味だけでなく、その言葉の響きにも耳を傾けなさい。
ならば個人的な行動原理に由来する知性だけでなく、本能に由来する感受性も働く。
それゆえ、あなたはその言葉の真意に潜(ひそ)む切実な訴(うった)えや気持ちをも正しく汲(く)み取ることができるだろう。
つまり、
「本能に由来する感受性」なしに、真のコミュニケーション、すなわち多次元的なコミュニケーションは成立しない。
そして、
「本能に由来する感受性」が正常に機能していれば、そう簡単には騙(だま)されることもない。
さすれば当然のことながら、
「本能に由来する感受性」が正常に機能していれば、「出口のないスピリチュアル・ワーク」や「幼稚な指導者」などに、はまり込むこともない。
賢明であられる読者様方でしたら、もうおわかりのことでしょう・・・
本能に由来する感受性なしに生き生きとしたあるがままの世界を観ること、すなわち真のマインドフルネスなど、できるはすがない。
なぜなら、本能に由来する感受性こそが個体としてのあなたの意識の土台なのだから・・・
最後に、
「本能に由来する感受性」に基づく知性活動ができること。
それこそが、本当の知性なのであります。
そこが人間と動物との違いであります。
しかし現在の人類が私陥(おちい)っている
「本能に由来する感受性」から切り離された知性活動に依存している意識状態とは、「生き物」から「おしゃべりな鉱物」への退化のようなものに思えて仕方ありません。
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