「未来志向のあなた」の心とその在り方~「期待をする」という意識状態~
この記事は2019.4/14、19:07に更新しました。
更新内容:記事に加筆修正をいたしました。
期待をしている意識状態とは、「現在のあなた」が頭の中で描いている「未来のあなた」の幸せを夢見ている意識状態のことです。
もう少し詳しく言いますと、
期待をしている意識状態とは、「現在のあなた」が頭の中で描いている(妄想している)「未来のあなた(妄想のあなた)」の幸せを夢見ている(妄想している)意識状態のことです。
※ 妄想・・・もうそう
つまり、はっきり言いますと、
期待をしている意識状態とは、「現在のあなた」が妄想している「妄想のあなた」の幸せを妄想しているという、完全なる妄想状態のことです。
ですが、それ自体は悪いことではありません。
人によっては、楽しい時間ですらあるかもしれません。
それは、そのような期待に基づく「自然発生的な想念」や「あなたが描き出した想念」に巻き込まれた結果、つまりあなたがそれらと自己同一化したことによる現象であります。
しかし、未来に対する不安や恐怖や心配などは、そのような期待に基づいて「未来志向となってしまったあなた」の意識状態からも生じるのです。
未来に対する期待があるからこそ、「期待していた物事が実現しなかったら、どうしよう・・・」
未来志向になってしまっているからこそ、「期待外れの過酷な未来がやってきたら、どうしよう・・・」
ゆえに「なんとかしなければ!!」という想念に巻き込まれて、あなたの心や在り方がざわめき立ってしまうわけです。
繰り返しますが、自分の未来に対して意識的に配慮すること自体は、悪いことではありません。
場合によっては、必要なことでさえあります。
問題は、
未来志向に由来する想念に、あなたが無意識的または意志に反して巻き込まれていること、すなわち想念との自己同一化が、あなたに「不必要な苦しみ」をもたらしている
ということなのであります。
以上の理由だけからでもおわかりのように、
期待をする心(想念)に巻き込まれて、「未来志向となってしまったあなたの心」は、静かになることなどありません。
期待をするという在り方によって、「未来志向となってしまったあなたそのもの=未来志向となってしまった自己意識としてのあなた」は、ただ静かに在ることなどできません。
ならば、あなたは「内なる永遠(とわ)の安らぎ」と一つになるどころか、落ち着くことさえできません。
ですから未来志向となってしまったあなたは、「今・ここ」という場所にしか存在しえない「永遠(とわ)の安らぎ」というあなたの本質を見逃し続けてしまうこととなるのです。
「期待をする」という夢見心地の意識状態は、「期待をするあなたの心」と「期待をするというあなたそのものの在り方」によって生じます。
ですが、真なる自己の目覚めが進んでいけば、どれだけ期待をする心(想念)が生じ続けていても、あなたそのものが期待をしていなければ、つまり未来志向に陥(おちい)ることなく、あなたそのものが静かであることさえできれば、あなたは安らぎ続けていることができます。
そのような本来の自然な意識状態が不動のものとなれば、それを目覚めの完結という意味においての悟りと呼んでもいいでしょう。
過去志向になっている時のあなた | 「今・ここ」という場所にいるあなた | 未来志向になっている時のあなた |
過去にこだわっている | 現在に生きている | 未来を夢見ている |
記憶に由来する「想念の世界」に住んでいる | 想念の入り込めない「あるがままの世界」にいる | 期待に由来する「想念の世界」に住んでいる |
突き詰めて言いますと、
あなたが想念に無意識的または意志に反して巻き込まれていること、すなわち想念との自己同一化が、あなたに「不必要な苦しみ」をもたらしているのです。
しかし同時に、そのような「不必要な苦しみ」こそが、あなたに目覚めをも促してくれているのであります。
そして「不必要な苦しみ」の体験の数々によって芽生える理解こそが、悟り(真我の実現)への確固たる決意をもたらしてくれるのであります。
以上のことを踏まえて、「真なる自己への明け渡し」や「ノーコンタクトでの直接伝達」に取り組まれると、真なる自己の目覚めがさらに加速していくことでしょう。
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