「真なる自己」と「人間としての自己」~切り離された二つの世界~
この記事は2018.9.4、21:47に更新しました。
更新内容:記事を推敲しました。
「自己意識」や「真なる自己」の永続的な目覚めへと導くために、私が働きかける二つの柱
このように理解を深めていくことも、とても重要なことでありますので、今日は皆さんに理解を深めていただくための基礎的な教材のようなものとしまして、以下のようにまとめてみました。
従来の私と本来の私
探究者にも様々なタイプやレベルの方がいらっしゃいますので、今回は直感的に把握できるようにあえて表にしてみました。
人間としての自己 | 真なる自己 | |
居住空間 | 肉体/精神の次元 | 聖なる次元 |
構成内容 | 自己意識 + 肉体/精神 | 自己意識 + 聖なるもの |
自己段階 | 個人としての自己 | 存在の根源としての自己 |
内容物 | 思考・想念・感情・感覚など | 聖なるもの:無心 |
意識状態1 | はじめに想念ありき | ただ我ありき |
意識状態2 | 我思うゆえに我あり | 我思わずとも我あり |
在り方 | 想念との攻防 | 自然な状態:無為:無心 |
獲得方法 | 自己観察・瞑想など | 恩寵・直接伝達 |
※ 高次の自己である真なる自己の意識内においては、その一部において低次の次元も含まれております。
以下はその解説となります。
目次
居住空間とは
自己意識としてのあなた(自己/あなた)が住んでいる意識内空間(次元)のこと。
すなわち環境としてのあなたのこと。
人間としての自己の居住次元:肉体/精神の次元
皆さんすでにお馴染みの肉体/精神の次元のことであります。
通常の思考・想念・感情・感覚等のみが知覚される世界であります。
真なる自己の居住次元:聖なる次元
忘れ去られた聖なるものに満ち溢れた永遠の安らぎの聖なる次元のことです。
しかし、ほとんどの人たちが、ごく幼き頃のように聖なるものを感じ取ることができなくなってしまいました。
その理由や原因につきましては、当サイトのその他の記事において幾度となく示唆いたしております。
詳細にお知りになりたい方は、セッション時にお尋(たず)ねください。
構成内容とは
人間としての自己の構成物:自己意識 + 肉体/精神
人間としての自己とは、【自己意識としてのあなた】と【肉体/精神としてのあなた】とによって構成されているということ。
真なる自己の構成物:自己意識+聖なるもの
真なる自己とは、【自己意識としてのあなた】と【聖なるもの】によって構成されているということ。
自己段階とは
人間としての自己の段階:個人としての自己
これは【自己意識に目覚めたあなた】のことです。
ですがこの目覚めの状態におきましては、依然として肉体/精神の次元だけに住んでおりますので、特定の個人としてのあなたといういわゆるエゴ意識に支配されたままであります。
人類のほとんどは真正なる意味での自己すらも所有していない、すなわち自己意識にすら目覚めていないのが現状であります。
それゆえに、ほとんどの探究者が個人としての自己を目覚めさせることから探究をスタートさせなければならないために、通常は自己観察や瞑想などといったいわゆるスピリチュアル・ワークなるものが必要とされているわけであります。
真なる自己の段階:存在の根源としての自己
【真なる自己として完全に目覚めたあなた】のことです。
自己の変容に伴い、自己というものに対する認識や理解等も変容しておりますので、いわゆるエゴイズムも従来のものよりはるかに拡大されています。
ですから、そのような意識状態としてあること、つまり悟りの意識状態というものを、多くの覚者たちは通常のエゴイズムの消滅として語ってきました。
内容物とは
自己意識としてのあなたが住んでいる世界を埋め尽くしている内容物のこと。
人間としての自己の内容物:思考・想念・感情・感覚など
みなさんにとってお馴染みのものですが、それらばかりだけであるというのは、時に苦しいものですね。
魂が窒息(ちっそく)してしまいます。
真なる自己の内容物:聖なるもの/無心
いつの日にか忘れ去られたものですが、それがなくては虚(むな)しいですね。
過去の私においては、そうでした。
はるか遠い昔のことのような気がしますが・・・
聖なるものとの接触。
これがなくては、無条件に安らぐことはできません。
なので瞑想や温泉やアロマテラピーなどといった外的なものに依存した安らぎを求めることとなってしまいます。
意識状態とは
人間としての自己の意識状態:はじめに想念ありき/我思うゆえに我あり
この意識状態においては、思うこと、つまり思考や想念や感情や感覚などがあってはじめて、それらを感じとっている自己意識というものが自覚されるわけです。
要は、自己意識としてのあなた(自己)が自覚される前に、思考や想念や感情や感覚などが必要とされる次元にあなたが住んでいるということです。
つまり、
人間としての自己とは、はじめに想念ありきの世界に住んでいるあなたのことです。
真なる自己の意識状態:ただ我ありき/我思わずとも我あり
この意識状態においては、思わずとも、つまり思考や想念や感情や感覚などがなくとも、聖なる次元にいる純粋な自己意識というものを自覚することができるわけであります。
つまり、
真なる自己とは、はじめから終わりまで我ありきの世界、すなわちただ存在の根源としての我だけがありきの世界にいるあなたということです。
ここでの我とは、当然のことながら低次の我のことなどではなく、真なる自己の実現よって直覚された存在の根源としての我(自己)のことであり、そのような純粋な自己だけが充満している意識だけがあるということが天上天下唯我独尊という言葉の本当の意味するところなのだと私は思います。
在り方とは
【自己意識としてのあなた】の在り方ということ。
人間としての自己の在り方:想念との攻防
【自己意識としてのあなた】が目覚めたとはいえ、聖なるものとの接触がない以上は、依然としてあなたは従来の肉体/精神の次元、つまり想念の世界に住んでいますので、想念に巻き込まれては引き離すといった従来の攻防を繰り返し続けることとなります。
真なる自己としての在り方:自然な状態/無為/無心
努力のない自然な状態でありながらも、自分から求めない限り想念はなく、ただ無心の空間だけが広がっておりますので、あなたは物事がただ起こるがままに任せて、内的には何もせずにただ安らいでいることができるようになります。
獲得方法とは
それらの自己を獲得するための、効果的で具体的な方法のこと。
人間としての自己の獲得方法:自己観察・瞑想など
自己観察や瞑想、注意の引き戻し、注意の分割など様々な方法があります。
真なる自己の獲得方法:恩寵・直接伝達など
つまり真なる自己に目覚めるということは、他力の次元に属することであり、自力でどうにかなる領域のことではないということです。
自力でできることというのは、真なる自己の目覚めを受けとり保持していくための準備でしかありません。
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