多次元的存在としての複数の「私」
この記事は2018年6月22日10:35に更新しました。
6/22更新内容:中盤あたりから加筆いたしました。
あなたにとって最も愛しい存在であるあなたを、肉体という不自由な檻(おり)の中に閉じ込めていてはならない。
想念うごめく窮屈な牢獄(ろうごく)のような従来の心の中に閉じ込めていてはいけない。
あなたは実際のところ、それらの中にはいないのだから・・・
心や身体を認識しているあなたは、本当は心や身体の外にいるからこそ、それらを認識できるわけでね。
ここで言うところの「あなた」とは、もちろん「自己意識としてのあなた」のことだよ。
「思考や想念(としてのあなた)」や「肉体(としてのあなた)」のことではないからね・・・
「思考や想念してのあなた」・・・思考や想念と自己同一化/自己同一視している「(自己意識としての)あなた」
「肉体としてのあなた」・・・肉体と自己同一化/自己同一視している「(自己意識としての)あなた」
「思考(としてのあなた)」を眺めているのは「知性としてのあなた」であり、
「感情(としてのあなた)」を感じているのは「感受性としてのあなた)」だと言うこともできる。
そしていつの日にか、恩寵の介入によって聖なるものが訪れた時には、「真なる自己としてのあなた」の目覚めがようやく始める。
「想念(としてのあなた)」「肉体(としてのあなた)」「知性(としてのあなた)」「感受性(としてのあなた)」・・・
「異なる次元に存在する複数のあなた」と共存しながらね・・・
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