愛と悟りは異なるものではない。

この記事は2020.6.3、20:18に更新たしました。

更新内容:愛と悟りは異なるものではないに加筆修正をいたしました。

この記事の目次

以下の3つのタイトルの文章は一続きに書き上げたものでありますので、より正確に理解するためには、上から順番にお読みになられることをおすすめいたします。

  1. 今夜は第一回目だね・・・
  2. 直接伝達とは愛の放射である
  3. 愛と悟りは異なるものではない

 

今夜は第一回目だね・・・

今夜は2020年6月期 ヘッドセンターの直接伝達の第1回目だね。

そして明後日の2020年6月期 純粋意識の直接伝達の第1回目へとつながっていく。

 

今回も初参加の方々が何人かいらっしゃいます。

「ちゃんと受けとることができるのだろうか・・・」などと、それなりに緊張や心配などされていることでしょう。

 

もちろん私は、私なりに精一杯の直接伝達を行います。

それを私は受けとっていただきたいし、初参加の方々はお受けとりになられたいとお思いのことでしょう。

 

直接伝達を受けとりたい!」という想いは、継続してお受けになられている参加者様も、初参加の方々も同じです。

もちろん私も同じです。

ですから伝達時間においては、私たちは同じ想いを共有している仲間です。

 

心の苦しみや不安からの解放、高次の自己の実現、悟り、等々・・・

名称は様々に異なれど、いわば私たちは同じ幸せを願う魂の家族のようなものではないでしょうか。

 

「どうか誰一人余すことなく、参加者すべてが直接伝達をお受けとりになることができますように・・・

そうして、よりお幸せになられることを・・・」

 

開始数分前にそのような愛を捧げてくださると、私は嬉しいです。

直接伝達とは愛の放射である

私にとっても、受け手である皆様方にとっても、

そこに愛がなければ、この直接伝達というものが、ただのエネルギー・ゲームに成り下がってしまうこととなるでしょう・・・

それでは心ある人間としてさえも成長することができない。

私は、それでは寂しいし、悲しいし、虚(むな)しい。

そんなことなら、私はこんなものはやめてしまった方がいい。

 

この直接伝達というものが、「私の方があなたより多く受けとった!」「私の方があなたより感度が高い!」などと他人と競い合うようなものになっては絶対にいけません。

これは勝ち負けを重要視するスポーツではないからです。

偏差値を重要視するテストでもないのです

(幸いなことに、ここには優しい人たちばかりいらっしゃるので、とても助けられております。ありがとうございます。)

 

 

もちろんスポーツやテストでは、競うことが前提のルールであるから、そこに問題はありません。

ですが、

他人との競争が重要視されるエゴイズム(未熟な自己愛)の世界においては、私は絶対的に優しい弱者の味方です。

他人との競争が重要視されるエゴイズム(未熟な自己愛)の世界には、魂や愛など存在しないからです。

 

競争ということで言うならば、私たちが戦う相手は、ここにいる仲間たちではありません。

自己探求という場において私たちが戦うべき相手とは、無闇に他人と競い合おうとする衝動や、「俺はお前よりもすごいぞ!」などといった想念たちなのですから。

簡単に言うならば、弱くて愚かな自分との戦いなのです。

 

私は、この直接伝達とは愛の放射であると本気で信じております。

このノーコンタクトセッション(ヘッドセンターの直接伝達純粋意識の直接伝達というものが、愛の交流の場でなければ意味がないと、私は本気で思っているのです。

 

「先生は、どうやって直接伝達をされているんですか?」

スピリチュアル関係の仕事をしている生徒たちのほとんどが、個人セッションでそれとなくこのことを聞いてきますが、私がどれだけ説明してもこのことを理解できるほどのハートの持ち主はこれまで一人もいませんでした。

きっと「私だけが知っている高次で複雑な秘密のテクニック(技術)がある」とでも想像していたのだろう・・・

 

それにそもそも、そのような質問をしてくる動機(心)自体が間違っているのだ。

直接伝達・・・それは(教師としてのあなたが)あなたのエゴイズム(未熟な自己愛)を満たすために使うものではない!」

なんて哀しいことなんだ・・・

 

直接伝達をする私は、生徒の進化や成長のための道具なのだ。

直接伝達をする私は、生徒に恩寵を届けるための装置なのだ。

 

「先生は、どうやって直接伝達をされているんですか?」

そのような問いに、私はいつもこう答える。

 

「なんとしてでも助けてあげたい!」

「彼ら(彼女ら)の痛みや苦しみが消え去るのなら、その痛みや苦しみを私が引き受けることになってもいい。」

「本気で、そう想ってやってるよ。」と・・・

 

「そういう想いを持てる人にしか、こういった能力は与えられないのじゃないかな・・・」

(「もちろん直接伝達そのものは、その想いさえをも超えたものではあるけれど・・・」)

 

彼ら(彼女ら)は、きれいごとを並べて、私から答えをはぐらかされたとでも思っているんだろう。

しかし違うんだ。

その答えはシンプル(大原則)であるがゆえに、彼ら(彼女ら)はそれを取り逃がすこととなるのだ。

 

しかし自身の痛みや苦しみから逃れたがっている彼ら(彼女ら)が、他人の痛みや苦しみを引き受けようと想うことなどできるはずがないのです。

だから、私が行っているレベルでの直接伝達は、他の誰にも真似することができないのだと思います。

 

これは何も私の自慢などではありません。

むしろ私は、こんなことばかり真剣に言っているので、本当に頭がおかしい人だと思われていることでしょう。

スピリチュアル関係の教師達からもそのように思われているのだから、世間一般の人たちから見れば、私は完全なイカレ〇ンチと思われていることでしょう。

 

ですが、私はそれでいいのです。

私は子供の頃から変わり者と思われながら、ずっとこのように生きてきたのですから・・・

ですからこれは自慢でも卑下でもなく、ただ私は、私とお会いしたことのない皆さんにも、私が言うところの良心や愛の大切さというものを知っておいて欲しいと願うからであります。

 

だから、もしあなたが悪夢にうなされて苦しんでいるのなら、私はあなたの悪夢を取り除くためのドリームキャッチャーの役目でもいいのだ。

 

直接伝達とは愛の放射です。

そして、

愛(愛の放射)とは、行為やテクニック(技術)ではないのです。

愛と悟りは異なるものではない

 

魂としての私たちは、愛によって生まれ、愛によって育まれているのです。

魂は愛だけを放射します。

魂は愛という言語でしか語りかけることができない。

魂そのもの同士のコミュニケーション、それは愛の交流でしかないと思うのです。

 

”自己探求”

それは、

人間としてのあなたから、魂としてのあなたへと続く進化と成長の旅路・・・

 

”輪廻転生(りんね・てんしょう)”

それは、

愛から生まれた魂としての私たちが、自らの意志によって魂の根源である愛へと還(かえ)っていく物語・・・

 

それこそが本当の悟りというものだ。

それゆえに私は「愛と悟りは異なるものではない」と言い続けているのだ。

 

 

人間としてのあなたが生まれた時、あなたはこう願ったことだろう。

「私は幸せになりたい」と・・・

 

魂としてのあなたが目覚めた時、あなたはこう願うことだろう。

「みんなを幸せにしてあげたい」と・・・

 

”あなたの幸せ”と”みんなの幸せ”

魂としてのあなたにとっては、どちらも同じことなんだ。

 

 

愛と悟りは異なるものではない。

悟りと祈りも異なるものではない。

 

私たち人間も、魂としての愛の交流ができるような、そんな存在でありたいものです。

そのようにして、人類すべてが一つの大きな家族となり、この地球が愛の交流の家となることを願っています。

 

「僕が守ってあげるからね・・・」

 

「僕が守っているからね・・・」

 

それでは今夜の直接伝達、よろしゅうおたのもうします。

 

もっと理解を深めたい・・・

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