〈私とあなた〉と〈悟りと愛〉
この記事は2021.5.6、7:32に更新しました。
更新内容:
記事下のコメント欄にコメントをいただきました。
コメントへの返信としての『言葉による伝達』を掲載し、さらに加筆をいたしました。
〈生き物としての私の願い〉と〈人として私の願い〉
《私》の願いは、
物心共豊(ぶっしん・きょうほう)・・・物質的にも精神的にも、共に豊かであること
自他共幸(じた・きょうこう)・・・あなたもみんなも、共に幸せであること
のセットである。
《あなた》も、本当はそう願っているのではなかろうか・・・
〈物心共豊〉とは個体レベルでの、生き物としての本能に基づく普遍的な願いであり、〈自他共幸〉とはそれを種族レベルにまで広げていきたいという、より人間らしい良心に基づく普遍的な願いでもある。
しかし、肝心な基本となる〈自他共幸〉が抜け落ちていてはいけないので、現実的にこの問題を解決するのは簡単ではない。
それでも、少しずつでも、取り組んでいこうじゃないか!
〈できること〉から、始めていこうじゃないか!
だから、まずは《あなた》が幸せになることだ。
そして余力を確保できるようになったのなら、人の幸せのためのサポートもすれば良い。
そうすれば〈あなたの幸せをアップデートすること〉もできるはずだ・・・
しかし、
あなたが不幸のままで、他人を幸せにしようとしても、結果的には足を引っ張り合うことになるだけである
ということを忘れてはならないよ。
なぜなら、
人とは、あなたの心を映し出すの鏡のように反応するもの
であり、
真の優(やさ)しさとは、読んで字のごとく、人間として相手よりも優(すぐ)れている人にしか行うことのできないもの
だからである。
だからこそ、(他人に強要はしないが、)私は〈自身の成長〉を〈人としての義務〉として生きてきた。
それは〈悟りには関係のない話〉に聞こえるかもしれないけれど、〈愛には関係すること〉なのかもしれない。
自他共幸への願い、そのような普遍的良心に基づく〈愛〉こそが〈悟りよりも大切なこと〉なんじゃないだろうか・・・
自分のみならず「あなたをも幸せにしたい!」、そのような〈愛〉こそが〈次なる生命の種〉を育み、〈悟り〉をも育む《何か》となるのではなかろうか・・・
I love you
《I》 ♡ 《You》
〈自他ともに認めるイカレポンチ〉の私は、何度でも言うよ!
心の中では、いつもそう想っているよ・・・
肉体としての私が死んでも、この言葉に私が込めた《何か》だけは永遠に残っていくんだ。
《私》は《あなた》を愛しています・・・
《私》 ♡ 《あなた》
魂としての《あなた》と《私》は、その根底においては一つなのだから・・・
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