第三の目を開くための簡単な方法 ~サードアイ・チャクラの覚醒~
この記事は2021.5.17、8:10に更新しました。
更新内容:
新たな理解に伴い、冒頭の部分から順番に、記事を全面的に書き直しております。
現在のところ、『エネルギーセンターとしての〈チャクラ〉と〈丹田〉』までを書き直しました。
〈アウェアネス・サードアイ〉が開くことによる肉体的変化
(上段写真:ニサルガダッタ・マハラジ)
(中段写真:ラマナ・マハルシ)
(下段写真:木幡 等 Hitoshi Kowata )
私の考えでは、これらの人物において共通しているのは、3人とも《絶対意識の悟り》を実現しているということであります。
そして、《絶対意識の悟り》を実現するためには、〈第三の目〉が完全に開いている(活性化している)ことが絶対条件ですので、つまるところ、これら3人とも〈第三の目〉が完全に活性化しているということになります。
そこで、3人のお写真をご覧になられるとおわかりのように、〈第三の目〉が完全に活性化してきますと、眉間の1〜2センチ上の辺りがわずかながらにくぼんでくるように思われます。
それが〈その部分の骨か肉が凹んだことによるもの〉なのか、もしくは〈その周辺の骨か肉が盛り上がったことによるもの〉なのか、はたまた〈その両者の影響によるもの〉なのかは、現時点でははっきりといたしておりません。
さらに言うなら、三人とも〈眉間のシワの跡〉が、よくありがちな縦に2本の線ではなく、眉間のくぼみに沿った1本だけの線であるように見えるのが偶然なのか否かも興味深いところではあります。
しかも、懸命な読者の方ならすでにお気づきのように、
最上段のニサルガダッタ・マハラジはニグロイド系(黒色人種系)、
中段のラマナ・マハルシはコーカソイド系(白色人種系)、
最下段の私はモンゴロイド系(黄色人種系)、
と、それぞれが〈生物学的にも異なる骨格〉であるにも関わらず、〈額のくぼみ〉や〈眉間のシワの一本線〉というものが共通しているというのも興味深いことではあります。
とは言いましても、ライティングによる陰影の強弱がはっきりとしている場合にわかる程度のものでありますので、〈額のくぼみ〉ということについては、あまり重要視されなくとも構わないのではないかと私は思います。
あくまで、〈参考の一つ〉として申し上げたまでのことでありますので・・・
また、一般的に男性に比べて女性の方が肉付きが良く、ホルモンバランスの関係で肌質も異なりますので、女性の場合は、さらにわかりにくいかもしれません。
それに、そのような〈額のわずかなくぼみ〉とは、あくまでも〈第三の目の完全なる活性化〉による結果であります。
それゆえ、いくら〈第三の目の活性化〉と〈額のわずかなくぼみ〉との相関関係があるからといって、額に硬いものをぶつけて凹ませたところで、〈第三の目が活性化すること〉などは決してありませんので、賢明なる読者の方々は、どうかそのようなバカな真似はなさらないように・・・
つまり、一口に〈痩(や)せた〉といっても、〈ダイエットに成功した結果として、自ずと痩せてきたこと〉と〈ダイエットに失敗した結果、脂肪吸引などによって人工的に痩せさせたこと〉とでは〈因果関係がまったく異なるということ〉を忘れないでいてください。
〈アウェアネス・サードアイ〉と〈サイキック・サードアイ〉
アウェアネス・サードアイ | サイキック・サードアイ |
気づき(アウェアネス)の中枢 | サイキックビジョンの中枢 |
視交叉上核 | 松果体 |
先の写真に挙げた三人において覚醒している〈第三の目〉とは、《アウェアネス・サードアイ》の方であります。
気づき(アウェアネス)を司る《アウェアネス・サードアイ》の覚醒は、〈悟り〉や〈自己としての進化〉においてとても深い関係があります。
裏を返せば、《アウェアネス・サードアイ》は〈自己としての進化に応じて活性化してくる〉と言うこともできます。
一方、世間一般の人々が言うところの〈第三の目〉、すなわち、霊感的なものとか遠隔透視能力などといった〈いわゆる超能力的なもの〉を司る《サイキック・サードアイ》については、自己としての進化に関わらず、もともと覚醒している人がいます。
しかし、《サイキック・サードアイ》は〈気づき(アウェアネス)〉や〈自己としての進化〉とは一切関係がありません。
ですので、《サイキック・サードアイ》だけがもともと発達している人たちは、〈知性によって考える〉ということよりも、〈直感的なビジョンに頼りがちになっている〉からなのか、《混沌としての自己》にありがちな、知性が未発達である人が多いように見受けられます。
そして同時に、子供の頃から〈サイキック・サードアイ(松果体)の機能だけに頼り続けて生きてきたこと〉によって、〈アウェアネス・サードアイ(視交叉上核)の活性化の機会を逃してきた〉ことの影響もあるのかもしれません。
それゆえ、《サイキック・サードアイ》だけがもともと発達している人たちは、とても無意識的でありますので、《アウェアネス・サードアイ》が目覚めている人、すなわち極めて意識が明晰な人と比べると、〈自己としての進化における存在レベル〉が両極端であるのみならず、見た目においても、コミュニケーション能力においても、正反対のような印象を与えることとなります。
〈気づきの窓〉としての〈第三の目〉
普通の人々における〈第三の目〉
〈サードアイチャクラ〉や〈アージュナーチャクラ〉や〈上丹田〉とも称される〈第三の目〉とは、普通の人々においては〈知性の機能中枢〉、言い換えるなら《知性としてのあなた》の〈気づきの窓〉のようなものであります。
ですから、その自覚の有無に関わらず、実は〈知性としてのあなた〉は〈そこ〉から〈思考:考えたこと〉や〈感情:感じたこと〉などを〈観察〉しているのです。
《知性としてのあなた》による気づき
気づきの対象物 ← 知性
《自己意識の悟り》を実現した人における〈第三の目〉
《自己意識の悟り》を実現した人においての〈第三の目〉とは〈自己意識の機能中枢〉、言い換えるなら《自己意識としてのあなた》の〈気づきの窓〉のようなものへと進化的変容を遂げています。
そして、《知性としてのあなた》による気づきとの違いは、《自己意識としてのあなた》による気づきは、《知性としてのあなた》の動きさえをも気づきの対象物としているということです。
《知性としてのあなた》による気づき
気づきの対象物 ← 知性
《自己意識としてのあなた》による気づき
気づきの対象物 ← 知性 ← 自己意識
よって、〈自己意識としてのあなた〉は〈そこ〉から〈思考:考えたこと〉や〈感情:感じたこと〉などを〈観照〉することができるのみならず、客観的に〈自分のこと〉をも他人のように眺めることができるのです。
そのようなことから、〈第三の目〉とは〈内なる観照者としての目〉として表現されることもあります。
また、そのように〈自分のことをも他人のように眺めること〉は〈メタ認知〉とも呼ばれています。
なぜなら、〈自己意識としての自己による認知〉のほうが〈知性としての自己による認知〉よりも〈高次の(=メタ)認知〉であるからであります。
さらには、常時、努力せずとも《自己意識としての自己》そのものに気づいていることができるのです。
〈気づきの窓〉としての〈第三の目〉の場所とは
※. この記事では、これ以降、〈気づきの窓としての第三の目〉のことのみを〈第三の目〉と呼ぶことといたします。
《意識の引き戻し》という技法
〈第三の目の正しい場所〉とは、直立姿勢において、〈外なる目〉である〈眼球〉から、意識を真後ろに向けて引き戻していった時に行き止まるところです。
つまり、あなたの視線の先にある〈視点〉、言い換えるなら、あなたの視線の先にある〈注意の焦点〉を、眼球を通過して、さらに後ろへ向けて引き戻していくような感じです。
この技法を《意識の引き戻し》と呼ぶことといたします。
そして、そのような、
《第三の目》すなわち〈意識の引き戻しによる行き止まり〉となるその場所は、論理的に考えても、解剖図における位置と照らし合わせた感覚的にみても、おそらく視床下部内の《視交叉上核(しこうさじょうかく)》なのではないかと思われます。
ですが、〈実践的な探求〉においては、〈解剖学的に見て、第三の目が脳内におけるどの部位に相当するのか〉については、あまり重要なことではないと私は考えております。
その理由は、一般的に言われるように〈第三の目〉が〈松果体〉であろうと、私が言うように実際は〈視交叉上核〉であろうと、特定の部位を想定して活性化させようとすると、間違った場所を活性化させてしまう確率が極めて高いので、そのことによって問題が生じる可能性も大いにあるからです。
絶対にやってはいけない〈危険な取り組み方〉
たとえば、かりに〈第三の目〉そのものが〈松果体〉であったとしましょう。
そこで、「ならば、松果体に留意し続けよう!」とあなたが思ったところで、「あなたが留意しているポイントが、〈視交叉上核〉や〈扁桃体〉ではなく、間違いなく〈松果体〉である」という保証はどこにもありません。
さらには、あなたが〈松果体〉を活性化させるつもりで〈松果体〉に留意していたつもりが、実際に留意していたのは、不安や恐怖などを感じた時に活性化する〈扁桃体〉であった、もしくは、その留意の範囲が〈扁桃体〉にまで及んでいたとしましょう。
ならば、そのような〈結果的に間違ってしまった留意〉の結果、〈あなたの不安や恐怖が増幅してしまう〉ということにもなりかねません。
つまり、間違った〈第三の目の活性化のための取り組み〉によって、〈扁桃体のスイッチを押しっぱなし〉のような状態になってしまい、そのような〈扁桃体の誤作動〉によって、〈本来ならば存在していない恐怖や不安が生じてくる〉ことになりかねないですし、そうなっては明らかな〈心の病〉であります。
それでは、せっかくの〈自己の目覚めのための取り組み〉が〈自己の眠り(妄想)や心の病のための取り組み〉になってしまうという、まさに本末転倒であります。
私の過去の生徒におきましても、私の忠告に反して、そのように〈脳内における特定の部位にこだわって留意していた者〉は、頭脳も明晰で、極めて常識的な人間であったのですが、次第に頭がおかしくなってきて、私や他の生徒に対しての発言においても攻撃的な態度まで見せるようになってきたのみならず、挙句の果てには、問わず語りで私の指導に対しての指導までしてくるようになってきたので、最終的には破門せざるを得ませんでした。
もちろん、彼の場合においては〈脳内における特定の部位にこだわって留意していたこと〉と〈どんどん、おかしくなってきたこと〉との因果関係がどの程度のものであるのかは確かめようがありませんし、当然のことながら〈潜在的に抱えていた彼の問題〉もあるのでしょうから、〈鶏が先か卵が先か〉はわかりませんが・・・
しかし、いずれにせよ、脳内における特定の部位にこだわって留意していた彼が、数ヶ月の間にまるで別人であるかのように、常識知らずの攻撃的な人間になっていったことだけは事実なのであります。
つまり、彼の場合も〈恐怖や不安に関係の深い扁桃体のスイッチが入ってしまった〉という可能性も大いにあり得るのです。
なぜなら、本来、〈怒り〉とは〈不安や恐怖に対する防御として発動される攻撃的な感情〉でもあるからです。
自分一人では〈取り返しのつかない事態〉になることも・・・
さらに、そのような〈間違った取り組み〉を長期間にわたって続けていれば、〈四六時中、扁桃体のスイッチが入りっぱなし〉の状態にまでなってしまう危険性もあるでしょう。
そのようなことになれば、〈日常的に、理由なき不安や恐怖が絶え間なくつきまとうこと〉にもなりかねません。
このようなことは〈都会生活では起こりがちなこと〉ではありますが、それはまた別の機会にしたしましょう・・・
つまり、正しい場所への留意なら〈第三の目の活性化〉となりますが、もしも間違った場所への留意をしていたのなら、それは〈何のリターンもない投資〉、場合によっては〈別の部分が活性化してしまう〉ことによって〈もはや返済不能な莫大な借金〉にまでなるかもしれません。
〈再現性〉の重要さについて
以上のような理由からだけでも、〈眼球〉から、意識を真後ろに向けて引き戻していった時に行き止まるところに留意すること、すなわち《意識の引き戻し》の方が確実なのであります。
つまり、
〈第三の目の活性化のための取り組みを独力のみで行う〉のであれば、〈解剖学的な部位にこだわって取り組む〉のではなく、〈意識の引き戻しという技法を用いること〉の方が再現性が高く、間違いがないのです。
たとえば、野球においての「ホームランを狙うなら、球は上から打つべきか下から打つべきか?」論争をご存知でしょうか?
優秀なホームランバッター本人は上からボールを叩いているつもりであっても、物理的にバットの軌道は真っすぐではなく孤を描くがゆえに、現実的にバットがボールを捉える際には、バットが下から上に向かって動いるのです。
それを、連続写真などで解析して、「ホームランを打つには、バットがボールに当たる際に、バットが下から出ていなければならない」からといって、上から叩くことよりも下からすくい上げることを意識してしまうと、結果的にはホームランが打てないスイングになってしまうのです。
ですから、優秀なホームランバッターであるほど、〈主観的な感覚〉としては上から叩くことを強く意識しているわけなのであります。
なぜなら、そのようにして打つ方が、ホームランを打つにおいての再現性が圧倒的に高いという事実があるからです。
このように、〈実際の行為〉と〈主観的な感覚〉との間にはズレが生じることは珍しくはないのです。
試しに今、目を瞑って、人差し指だけを伸ばした右腕を前にまっすぐに伸ばし、その人差し指の先が自分の鼻の先端にくっつくように動かしていってみてください。
きちんと鼻の先端にふれることができたでしょうか?
または、鏡の前で、目を瞑って、両腕をきっちりと水平に伸ばしてから、目を開けて「本当に水平になっているか」を確認してみてください。
〈それなりのズレが生じていた〉のではないでしょうか?
ですから、〈ホームランを打つ〉ためには、上から叩くことを心がけるように、
〈間違いなく第三の目を活性化する〉ためには、意識の引き戻しを心がける方が、圧倒的に再現性が高い
ということなのです。
それに、もしかりに、ラマナ・マハルシが「私の(主観的)感覚からすると、第三の目は松果体である」と言っていたとしましょう。
しかし、ラマナ・マハルシも〈主観的感覚と客観的現実とのズレ〉によって、実際は間違っている可能性も大いにあるのです。
ならば、〈主観的感覚と客観的現実とのズレ〉によって、〈実践する側の間違いの可能性が高いこと〉のみならず、〈教える側の間違いの可能性も高いこと〉までもが加わってきます。
私ならば、そのような〈分の悪いギャンブル〉には絶対に手は出しません。
つまり、以上のようなことも踏まえて、
一握りの〈超一流〉となれるような〈本当に賢い人〉というのは、〈主観的感覚と客観的現実とのズレ〉をも考慮したうえで取り組んでいる
というわけであります。
だからこそ、彼らは、
永きにわたって〈高いレベルでの安定した結果を出し続けること〉ができる
というわけなのです。
それに、〈解剖学的な部位の名称にこだわること〉と〈科学的であるということ〉とは、本質的には全く関係のないことなのです。
なぜなら、
真の意味で〈科学的である〉ということは〈再現性がある〉ということ
でもあるからです。
むしろ、〈名称を知っていること〉と〈科学的であること〉との違いがわからないということは、たとえ〈偏差値エリート〉ではあっても、〈知識〉は豊富で〈知性〉が低い、つまり〈本当はバカのエセインテリ〉、すなわち〈タチの悪いバカ〉なので、君子は〈近寄るべからず〉なのであります。
裏を返せば、どれだけ論理的に正しいように思えても、そこに〈再現性〉がなければ、それはただの〈机上の空論〉でしかありません。
それに、あなたの目的は〈第三の目についてを解剖学的見地から説明する学者になること〉ではなく、危険なく、間違いなく、確実に、〈第三の目を活性化すること〉なのでしょうから・・・
〈脳の研究〉ではなく〈悟りの探求の実践〉においては、〈正しい部位の名称を知ること〉よりも〈正しい結果を出すこと〉の方が、はるかに重要なのではなかろうか・・・
アウェアネスセンター〜〈第三の目の活性化〉のよる〈脳内におけるエネルギー体〉
アートマン(真我)の顕現は脳にある。
『不滅の意識 ~ラマナ・マハルシとの会話~』
P70、7行目~
アートマン(真我)・・・《自己意識としての自己》のこと。
ちなみに、ブラフマンとは《絶対意識としての自己》のこと。
顕現・・・はっきりと姿が現れること。はっきりとした形であらわれること。
あなたが注意深く脳から意識を通って気づきへと観察していくと、二元性の感覚が続くことを見いだす。
『アイ・アム・ザット 私は在る~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~』
P427、上段の最後から2行目~
ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジ、彼らは〈第三の目〉という言葉くらいは知っているはずなのに、あえて〈第三の目〉という言葉を使わずに、〈脳〉と言っています。
さすがに、これは翻訳の際における意訳などではなく、そのままの直訳であるでしょう。
つまり、ここで彼らが、脳内における〈第三の目〉という狭い範囲の場所をピンポイントで示唆しているのではなく、もっと広い範囲を示す〈脳〉という言葉を使っているのは、もちろん偶然ではありません。
それも、稀なる境地である《絶対意識の悟り》を実現している二人もそろって。
同様に私も〈第三の目〉と〈脳全体に位置するアウェアネスセンター〉とをきちんと区別して、基本的には《アウェアネスセンター》いう言葉を使っています。
なぜなら、
〈第三の目〉とは、努力なく恒常的に、それそのものをピンポイントで感じ取れるようなものではない
からです。
なぜ、〈第三の目〉そのものを努力なく恒常的にピンポイントで感じることができないかというと、〈第三の目〉そのものにはエネルギーがないからです。
もし、〈第三の目〉そのものにはエネルギーがあるのなら、誰もが普通に感じているはずです。
しかし、現実には、〈第三の目〉そのものにはエネルギーがないので、そこを見つけるのが困難であるからこそ、私は〈意識の引き戻し〉という技法を推奨しているわけではあるのです。
とはいえ、〈意識の引き戻し〉をしながらでは、通常の日常生活を送ることなどできないのです。
ですが、実のところは、
〈第三の目が正しく活性化すること〉によって、〈第三の目から脳全体に向けてエネルギーが放射される〉のです。
特に集中時には、額の方向に向かってエネルギーが放射されるので、〈第三の目は額にある〉と言われるようになったのでしょう・・・
そして、裏を返せば、
第三の目から脳全体に向けてエネルギーが放射されない場合は、〈第三の目が正しく活性化していない〉ということになります。
つまり、
〈第三の目の活性化によって生じた、脳内におけるエネルギー放射〉や〈継続的な第三の目の活性化によって生じた、エネルギーの結晶体〉、すなわち《アウェアネスセンター》が活性化することによって、努力なく恒常的に、エネルギー的にもはっきりと感じ取ることができるようになる
のです。
ここで、ラマナ・マハルシは「自己意識の顕現が〈脳〉にある」とはっきり言っていますので、それは〈第三の目が活性化したことによって生じた結果としての額のくぼみ〉のことではありません。
また、翻訳の関係もあるかも知れませんが、〈顕現〉とは〈はっきりとした形であらわれること〉でありますので、〈心の窓としての第三の目〉のことでもないように思えます。
なぜなら、〈第三の目〉とは、〈はっきりと姿が現れてくるようなもの〉ではなく、〈いつでもそこにあるもの〉だからです。
さらに言うなら、〈第三の目〉とは、それそのものをピンポイントで感じ取れるようなものでもありません。
なぜなら、〈第三の目〉そのものにはエネルギーがないからです。
〈第三の目〉そのものにはエネルギーがあるのなら、人類全てが感じているはずです。
実のところは、〈第三の目が活性化したこと〉によって〈第三の目からエネルギーが放射される〉のです。
特に集中時には、額の方向に向かって・・・
なので、〈第三の目の活性化によって生じた、脳内におけるエネルギー放射〉や〈継続的な第三の目の活性化によって生じた、エネルギーの結晶体〉、すなわち〈アウェアネスセンター〉ならエネルギー的にはっきりと感じ取ることができるのです。
また、ラマナ・マハルシは別の書物で、自身の悟りの始まりについてを以下のように語っています。
「はじめのうちは、何かの病気による発熱かと思った。だがそれは心地よい熱だとわかったので、そのままにしておいたのだ。」
引用:『ラマナ・マハルシの伝記~賢者の軌跡~』アーサー・オズボーン著 / P17 最後から二行目~最終行
「最初は〈発熱〉かと思ったが、〈心地よい熱〉であった」
「人間にとって〈エネルギー〉は〈熱〉として感じられる」ので、これは明らかに〈心の窓としての第三の目〉のことではなく、〈第三の目の活性化によって生じた、脳内におけるエネルギー放射〉や〈継続的な第三の目の活性化によって生じた、エネルギーの結晶体〉、すなわち〈アウェアネスセンターの活性化によって生じた感覚〉についてを語っているように思われます。
ニサルガダッタ・マハラジやOSHOなども、「普通の人間が悟ると、脳が爆発するとか、脳が耐えられない」みたいなことを言っていたと思いますが、これなどは明らかにアウェアネスセンターのエネルギーのことでしょう。(もちろん、クンダリーニ操作などをしない限りは、その人に耐えられるだけのエネルギーしか生じませんので、心配することはありませんが・・・)
よって、ラマナ・マハルシが〈真我の顕現〉として語っているものとは、〈第三の目〉が活性化したことによって頭部内に生じた〈エネルギー体〉、および〈第三の目〉が活性化したことによって頭部内に生じた〈エネルギーの結晶体〉である〈アウェアネスセンター〉のことを示唆していると考えるべきなのではないかと、私は思うわけであります。
エネルギーセンターとしての〈チャクラ〉と〈丹田〉
上記のことを踏まえて、さらにもう一歩踏み込んで、
ヨガで言うところの〈チャクラ〉や、道教で言うところの〈丹田〉というものを、エネルギーセンター(エネルギー中枢)として定義するならば、ピンポイントでの〈第三の目〉ではなく、頭部全体に広がる結晶化されたエネルギーである〈アウェアネスセンター〉こそが〈第6チャクラ〉であり〈上丹田〉である
ということになります。
このように理解すれば、頭部に位置する〈第6チャクラ〉や〈上丹田〉というものが〈脳全体のサイズの円形で描かれている〉ということも納得できるのではないでしょうか。
このことは〈実践的な探求〉においての〈極めて重要なポイント〉でもありますので、知的理解においても、感覚的把握においても、〈第三の目〉と〈アウェアネスセンター〉との区別をしっかりとつけておく必要があります。
「第三の目の覚醒」によって起こる変化
このような〈心の窓〉としての〈第三の目〉が活性化した人、すなわち〈第三の目〉が開いた人には、どのような変化が起きるのでしょうか?
精神面に起こる変化
- 自己を意識しやすくなる。
- 集中力が高まる。
- 集中力の持続時間が長くなる。
- 内的環境である自分の心の動きに対しての「気づきの精度・範囲・強度」が向上する。
- 外的環境に対しての「気づきの精度・範囲・強度」が向上する。
- いわゆる「無意識的な状態」となってしまうことが減り、自然と「意識的な状態」でいることがをできるようになる。
- 自分が思考や想念の中にいるのではなく、それらが自分の外部を漂うものであるという事実を認識するようになる。
- 思考や想念に巻き込まれにくくなる。
- 感情に巻き込まれても、そのことに冷静に気づいている自分を保つことができる。
- つまり「自分の中心を見失う」ことがなく、常に「ぶれない安定した自分でいること」ができるようになる。
- 眠気の影響を受けにくくなる=眠気に対して強くなる。
- お酒などの酔いの影響を受けにくくなる=アルコールの影響に対して強くなる。
肉体面に起こる変化
- キリリと引き締まった知性的でスマートな顔つきになる。
- 自己に堅固な中心が存在し始めるようになることにより、存在感が増す。
第三の目が開いているかどうかの検証
- あなたは「思考(想念)」と「あなた自身/あなたそのもの」とを同一視していませんか?
- 胸部に「感受性としてのあなた(の中心感覚)」が感じられるように、頭部(脳の位置)に「知性としてのあなた(の認知活動の中心感覚)」を(普段の生活において)感じていますか?
- あなたは思考(想念)に巻き込まれた時、自らの意志によって「思考(想念)」と「あなた自身」とを切り離すことができますか?
- 頭部(脳の位置)において「微細(振動数の高い)なバイブレーション(振動)」が常在していますか?
第三の目の覚醒や留意に取り組む前に
〈網膜〉から、意識を真後ろに向けて引き戻していった時に行き止まるところ
そのような意味においての〈第三の目〉に留意する、あるいは留意し続けるということは、あなたにとっては馴染みのない行為であり、脳にそれなりの負荷がかかります。
心理学的にも、人間は認知という活動において強い負荷がかかり続けると「自我消耗」という状態になり、認知力やセルフ・コントロールが低下すると言われています。
ですから、栄養はしっかりと摂っておきましょう。
第三の目の覚醒に取り組む前のウォーミングアップ
第三の目を目覚めさせ、さらに活性化させていくためには、知性としてのあなたの働きが必要となります。
それなりの注意や集中も要します。
ですから、第三の目の目覚めのワークへの取り組み前のウォーミングアップとして、あなたの自己意識および気づき・知性・注意・集中を活性化させるための取り組みを用意しました。
このウォーミングアップの文章は、読み飛ばされても結構です。
ですが、もし後に紹介します「第三の目を目覚めさせるための簡単で効果的な方法」を行っても、第三の目の覚醒の自覚が困難だった方は、このウォーミングアップをされてから、再度トライされてみると良いかもしれません。
それでは、始めます。
遊び心で楽しみながらやりましょう。
準備の取り組み1
以下の文字を、漢字で読み上げてください。
赤 青 白 黒 黄 緑 茶
簡単ですね。
準備の取り組み2
それでは以下の文字を、漢字ではなく塗られた色で読み上げてみてください。
赤 青 白 黒 黄 緑 茶
自動的・受動的思考の働きでは手に負えないので、意識的・能動的思考を稼働させなければならなくなるわけです。
つまり意識的・能動的思考の活動への要請により、「知性としてのあなた」の積極的な参加が必要となったわけです。
「自己意識としてのあなた」が、意識的に知性を使わなければならないと言い換えることもできます。
そうなると、気づきや注意や集中にも負荷がかかるので、それらの機能が活性化されるわけです。
それでは先の取り組み2を、5回くらい繰り返してみましょう。
どうですか?
頭部におけるエネルギーが活性化してきた感じがありますか?
それでは、早速、実践へと移りましょう。
第三の目を開くための簡単で効果的な方法
第三の目を開くための方法その1:注意の引き戻し~自己への留意~
「第三の目を開く」ための簡単で効果的な方法として、注意の引き戻しという技法を用います。
あなたの中心から矢を射るかのように外側の対象物へと向かって真っすぐに飛び出して行く注意を、その発生源である自己へと引き戻すのです。
※くれぐれも自己責任で行ってください。
※睡眠前に行うと寝つきが悪くなる場合がありますので、夜遅くにはしない方が良いです。
- 部屋を静かにして目を閉じます。(楽な姿勢で座っているのがいいでしょう。おすすめは正座ですが足が痛くなるようなら自分の楽な姿勢で良いです。)
- 「心のスクリーン」に映し出させる暗闇を見つめます。(思考やイメージが沸き起こってきてもかまいません。その時はその思考やイメージを見つめてください)
そこには暗闇(又は思考やイメージ[以下:省略])と、その暗闇に注意を向けて見ている「知性としてのあなた[以下あなた]」がいるのですが、両者があまりにも近くにあるため一塊のもののように感じられるかもしれません。
そこで暗闇とあなたとを分離します。
実際の所、暗闇はあなたの前にあるのですが、あまりにも近すぎて、そうは感じられないかもしれません。
心のスクリーン(暗闇)の場所は動かないですから、あなたの注意(気づき)を後ろに引き戻すのです。
スクリーン←――――――――――――――――あなた
スクリーン ←―――――――――――あなた
スクリーン ←――――あなた
スクリーン ・あなた
今はおそらく肉体における目、つまり眼球の辺りにあなたの存在を感じているかと思います。
それよりも更に
後ろ(内側)に行こうとしてみてください。
スクリーン →あなた
頭蓋骨の内側に潜り込むように。
ならば、
下の画像の中心を見つめてください。
その中心を目でしっかりと捉えてください。そして、あなたの目を通して頭の中心部にまで取り込んでみてください。
それが難しいならば、画像の中心部をしばらくじっと見続けてみてください。
しっかりと気合いを込めて・・・
睨(にら)みつけでもするかのような気持ちで・・・
何か変化を感じませんか?
それならば、
上の画像のことは忘れて、(頭が痛くならない程度の強さで)視線を上に向けてください。
頭頂部を見つめるようなイメージです。
もちろん目は閉じたままです。
そして、
頭頂部を見つめるような視線のまま、頭蓋骨の内側に潜り込もうとしてください。
脳に何か微細なバイブレーション(振動)のような感覚を感じませんか?
眉間の数センチ内側あたり、又は脳全体が痺(しび)れているような感覚。
最初は微かにしか感じられません。
繊細になってください。
何も感じませんか?
ならばエネルギーワークとしての呼吸法も組み合わせます。
(空気とは、人間が常に補給し続けなければ生きていけないほどの強力なエネルギーであり、インドではプラーナと呼ばれます。
ちなみに意識もエネルギーです。
あなたが意識を眉間の内側に向けるということも、そこにエネルギーを供給することとなります。)
- まず息をできるだけ吐き出してください
- そして鼻から頭蓋骨の内側へ向けてたっぷり吸いこんでください
- そして吸いこんだ息を吐きださずに、頭蓋骨骨の内側でキープ(保持)していてください
- (苦しくなる手前で)息を吐き出します。
それでは
頭頂部を見つめるような視線のまま、頭蓋骨の内側に潜り込もうとしながら、同時に1~4までの呼吸法を行ってみてください。
息を保持している時が最もバイブレーション(振動)が強くなっている時ですので、バイブレーション(振動)を感じ取るチャンスです。
息を吐き出しては保持を10回くらい繰り返してみてください。
脳に何か微細なバイブレーション(振動)のような感覚を感じませんか?
眉間の数センチ内側あたり、又は脳全体がジリジリと小刻みに痺(しび)れているような。
電動の髭剃り機を使っている時に手の平に感じるよりも小刻みな振動です。(女性の方にはわかりにくい例えで、すみません。)
人によっては、額の表面がむずむずしているように感じることもあるでしょう。
ですが、むずむずしているように感じるのは、あなたの意識が額の表面に向いているからです。
額の表面ではなく、もっと内側の頭蓋骨内に意識を向けるのが大切なポイントです。
何も感じませんか?
いかがですか?
第三の目を開くための方法その2:眉間への集中
先程の「第三の目を開くための方法その1」は、自己意識に働きかけることによって第三の目の覚醒を促すというものでしたが、こちらの「第三の目を開くための方法その2」では、第三の目に働きかけることによって自己の目覚めを促すというアプローチをとります。
目を瞑って眉間の位置を見つめます。
眼圧が上がるほど強く見つめると、頭が痛くなってくることがありますので決して力まずに。
眉間の位置を見つめて、その正しい位置にピントが合うと、両目がロックされて動きにくくなるような感覚が生じてきます。
そのような正しい位置が見つかるまで、位置の微調整を続けてみてください。
いかがですか?
両目がロックされて釘づけにされてしまったかのような感覚がわかりましたか?
そこが「ピントの合った正しいポジション」です。
そこに留まりながら、「第三の目を開くための方法その1:注意の引き戻し~自己への留意~」で紹介した呼吸法などといったエネルギー・ワークと組み合わせて、頭部の振動の感覚を強化させていってください。
そのまま瞑想をされてみるのも良いでしょう。
普段の瞑想との違いが実感できることと思います。
その他の方法
その他の方法としましては「ア」と発声しながらやってみてもいいかもしれません。
「ア」の音のバイブレーション(振動)は頭部に共鳴します。
「エ」の音は口の辺りで共鳴します。
「イ」の音は喉の辺りに共鳴します。
「オ」の音は胸部で共鳴します。
「ウ」の音は腹部で共鳴します。
実際に同じキー(音の高さ)で「ア」「エ」「イ」「オ」「ウ」と発声してみると、「オ」の時が一番強く振動していることが身体の内部感覚として感じられます。
わかりにくい方は、胸に手を当てて、「ア」「エ」「イ」「オ」「ウ」と発声してみると良いでしょう。
この「母音を使った技法」は、ヨーガの様々なチャクラの開発にも役立てることができます。
「自分一人で行うのは難しい・・・」という方には
うまくいかなくても、落ち込む必要はありません。
それでも難しいという方は、第三の目の覚醒からクラウン・チャクラの覚醒においてまで、これまでに多大な成果を上げてきた「ヘッドセンターの直接伝達」をお受けになられるのも良いかと思います。
「ヘッドセンターの直接伝達」時に、何もせずただくつろいでいるだけで、第三の目の覚醒を実現しておられる生徒様がたくさんいらっしゃいます。
以下に、これまで開催されてきた「ノーコンタクトでの直接伝達:参加者の声」を掲載いたしております。
ご自分で取り組んでも、うまくいかずに何年も過ごされているようでありましたら、是非一度、ご参加されてみてください。
第三の目を定着させるための簡単で効果的な方法
ひとたび第三の目/サードアイ・チャクラが目覚めたら、つまりその脳のバイブレーション(振動)を感じ取ることができるようになったら、次は第三の目/サードアイ・チャクラが常時存在するようになるよう、先の脳のバイブレーション(振動)の感覚を日常生活においても維持できるように努めます。
つまり日常生活において第三の目/サードアイ・チャクラに注意を向けた時に、そのバイブレーション(振動)がなくなっている、もしくは弱まっていると感じた時には、上記の気づきの引き戻しのやり方の中で、あなたにとって最も効果的であった方法を使って、ただちに第三の目/サードアイ・チャクラ(脳のバイブレーション(振動))を強化してください。
日常の雑事に気をとられることで第三の目の存在を忘れてしまわないように、家中のいたるところに「第三の目/サードアイ・チャクラ」などと書いたポスト・イットを貼っておくと良いでしょう。
外にいることが多い人なら、掌(手のひら)にマジックで書いておくとか、ハッカ油など刺激のあるものを眉間の位置に塗っておく、などというのも一つの方法です。
とにかく第三の目が「なくなる→目覚めさせる」「弱まる→強化する」の繰り返しによって、第三の目(脳のバイブレーション(振動))の感覚を、一日中途切れさせることなく維持することができれば、数日で確立(定着)するはずです。
(ちなみに私は万が一のために、いちおう1週間続けました。)
要は先に紹介した注意の引き戻しと、あなたにとって最も効果的であった技法の組み合わせを、1週間ばかり「徹底的にやる」ということです。
私の場合は、
- 注意の引き戻しと、鼻から空気を脳に送り込んで10秒くらい維持する。
- それを3~5回続けて行う。
これを「弱まったかな?」と思う時に行うだけでした。
そして第三の目が開いてきたなと感じたら、しばらくは「第三の目の強化の技法」を使わずに過ごしてみてください。
それでも第三の目(脳のバイブレーション(振動))が絶えず継続しているようでしたら、注意・集中のエネルギーが結晶化していること、つまり第三の目が完全に開いて定着しているということです。
第三の目が開いたら
あとは純粋意識を目覚めさせて、待ちに待った聖なる次元へとあなたが進化・拡大・移行するだけです。
第三の目だけが目覚めて、聖なるものが目覚めていない状態というのは、苦しみにおいてもより気づきが強くなりますから、主観的には今までより苦しい状態にかんじることもあります。
ですから第三の目は純粋意識と同時に目覚めさせていくことが理想的です。
「純粋意識の目覚め」は、「悟ったマスターに直接伝達してもらうこと」が迅速で確実な最上の方法であることは、ラマナ・マハルシやプンジャジ、ガンガジなどの発言からもお分かりになるかと思います。
第三の目の覚醒や定着が容易なタイプと困難なタイプ
私たち人間が生きていくためには命の息吹であるライフエナジー(生命エネルギー)が必要不可欠です。
そして、悟りのために必須となる「エネルギー的進化」のためには、さらなる余剰エネルギーをも必要とします。
つまり、ライフエナジーを、毎日の生活のために使い切ってしまうのではなく、その余剰エネルギーを用いて、より高次のエネルギーへと変容させていくわけです。
また、生命エネルギーが弱い方、加齢とともにエネルギーが落ちてきた方は、ヘッドセンターの活性化に必要なエネルギーを有していない場合があります。
ですが、毎日の仕事でエネルギーを消耗し切っていては、「進化や変容のための余剰エネルギーを確保しておくこと」などできません。
そして皮肉なことに、成長期の子供たちにはライフエネルギーが満ち溢れていますが、魂の成長期にあるはずの探求者においては、年齢とともにライフエナジーが不足してきている、というのが現状のようです。
ここにも「悟りが極めて困難であること」の大きな要因があるのです。
そのような方のために「ライフエナジーの直接伝達」をご用意しております。
「ヘッドセンターの直接伝達」を「ライフエナジーの直接伝達」とあわせてお受けになられると、よりその効果を実感していただけるかと思います。
また、胸部にあるハート・チャクラにブロックのある方は、頭部にある第三の目までエネルギーが流れていきません。
そのような場合は、まずは「愛としての心の伝達」をお受けになられることでハートを浄化してブロックを取り除くことで、エネルギーが頭部の第三の目へと流れ込んでいくようになります。
第三の目とは、「注意や集中の中枢」でもあるということは、もうお分かりだと思います。
第三の目とは、「注意や集中のエネルギーが結晶化したもの」と言うこともできます。
ですから男性的エネルギーである注意や集中のエネルギーが弱いタイプに人は、その目ざめや確立が困難ではあります。
おっとりとした女性的な方とかです。
しかし「おっとりタイプ」の方は、逆に「聖なるものの目覚め」は容易になりますので、お気を落とさずに。
どちらが優れているとか劣っているとかではありません。
一方、物凄い注意や集中を要する職業の一つに、F1レーサーというものがあります。
歴代の超一流のF1レーサーの顔写真を見ていただければ、彼らの顔に共通したものに気づくはずです。
そうです。
「両目の間の幅」が比較的狭い人たちなのです。
広めの人は思い当たりません。
わかりましたか?
私がわずか数日で第三の目を結晶化(定着)できた真相が・・・
悟りに至る過程も物理に基づいています。
何も神秘的なものなどありません。
優れたマスターとは、こちらの次元のエネルギーだけでなく、高次の次元や高次のエネルギーにもアクセスできるために、その能力が神秘的に見えてしまうだけのことです。
話を戻しますが、「両目の間の幅」は「骨盤の幅」とも連動しているようなので、体型的にも表れているはずです。
骨盤が狭い人は食べ過ぎても、横に太りません。
腹が前にせり出すだけ、そのようなタイプの人達です。
ですから、おそらく「両目の間の幅」が比較的広い人たちは、第三の目の目覚めや定着に、それなりの困難を感じるのではないでしょうか?
定期的に瞑想を続けていくことによって、気づきの強化や拡大に取り組まれると良いでしょう。
正しい瞑想によって、低位のエネルギーを上位のセンターへと上昇させていってください。
第三の目の定着が困難な場合とは
第三の目が目覚めると、その高周波の振動により、今までにない負荷が脳にかかることとなります。
例えば、10キロの鉄アレイを持ちあげること。
これが第三の目の目覚めだとしましょう。
筋力の弱い人には、持ちあげられません。
つまり目覚めさせることさえできません。
筋力が強い人なら、軽々と持ち上げることができます。
一日中、持ちあげたままいることだって平気です。
つまり確立(定着)も簡単です。
それなりに筋力のある人なら、なんとか持ちあげることはできるでしょう。
しかし時間が経過すると、筋肉が悲鳴を上げて、その維持が困難となります。
つまり確立(定着)が困難となります。
それと同じ現象が、脳において起きているわけです。
そこでは筋力ではなく、「注意力・集中力という精神的な筋力」において。
日常生活において通常行われているような「自動的・受動的思考」ではなく、「意識的・能動的思考」を強いるような難しい本などを長時間読み続けていても平気な人、つまり「注意力・集中力という精神的な筋力」が鍛えられている人なら、脳がすでに高周波の振動に慣れていますから、特に負荷として感じることもないでしょう。
第三の目を開くことができない場合
繰り返しますが、第三の目は自己意識の中枢ではありますが、自己意識そのものではありません。
自己意識はあるレベルにおける自己の主体であるため、その目覚めまでには長い期間を要する人たちもいますが、第三の目は自己意識としてのあなたが用いるツール(道具)でしかありません。
ですから、その目ざめや安定化も簡単なのです。
ですから3か月間くらい取り組んでみて、それでも第三の目を目覚めさせることや安定化させることができない人は、1年取り組んでもできませんし、1年取り組んでもできない人は、10年取り組んでもできないでしょう。
おそらく、ピントがずれているのだと思います。
ですから第三の目みたいなものに、10年もだらだらと取り組む続けるようなことはやめましょう。
趣味でやるにはかまいませんが、真の探究においては、そんなのんびりとしたことをしているわけにはいきません。
3ヶ月間、上記の第三の目のワークにそれなりに集中して取り組んでみて、目覚めさせることや安定化させることができなかった場合、正しい指導者に師事して直接伝達などによって伝授してもらうか、第三の目というツールは後回しにして、自己意識や純粋意識といった本質的なものの目覚めに取り組みましょう。
第三の目を目覚めさせることに10年間取り組み続けても何も感じることできなかった人が、「私とのセッションにおいて簡単に目覚めさせることができた」というのには、「第三の目/サードアイ・チャクラのバイブレーション(振動)のエネルギー」を私が直接伝達していることに大きな要因があるからです。
ですから、「第三の目が明晰かつ堅固に目覚めている人」に「第三の目の直接伝達をしてもらう」ということも、一つの選択肢です。
同じ第三の目が目覚めている人でも、その目覚めのエネルギーが強い人から行ってもらう方が、更におすすめです。
具体的に言えば、「細やかなことにもよく気がつく、目力が強い人」つまり「おっとり系の真逆タイプの人」なので、その人の写真などを見れば雰囲気でわかるはずです。
「意識としての心の伝達」ならば、遠隔でも第三の目の直接伝達は可能です。
個人セッションよりもリーズナブルな料金で「ヘッドセンターの直接伝達」をお受けになることができます。
信頼できそうなスピリチュアル教師をみつけたら、「(あなたは)第三の目/サードアイ・チャクラの直接伝達ができますか?」と、まずはメールで問い合わせてみると良いでしょう。
私の個人セッションでの「第三の目/サードアイ・チャクラの直接伝達」について、参考までに話してみます。
第三の目の目覚めに10年くらい取り組んでも目覚めさせることさえできなかったお客様が、私のセッションを受け始めてから、第三の目/サードアイ・チャクラがふと目覚めて、気がついたら確立(定着)していたということがありました。
しかも当時の私は、第三の目を邪魔なものとみなしていたので、その人には第三の目/サードアイ・チャクラのワークさえしていなかったのです。
その後に少し考え方が変わり、第三の目のワークもしておこうということになって、そのお客様がどうやら第三の目が継続しているようだということを知ったのです。
ただ私が体験しているような「頭の中で炎が燃え上がっている」というような強烈なもの(なので上の画像です)ではなく、とても「かすかな感覚」のようでした。
そのお客様の第三の目のワークのセッションの休憩で、私が部屋を離れて、そのあと戻ってくると、お客様は「木幡さんがさっき休憩に行かれてから、脳のバイブレーション(振動)が弱まったんですけど、部屋に入って来られて、また強くなってきました。」と仰っていました。
そのように、私は注意力が良くも悪くも(長所は短所)元来とても強いようなので、数日で確立することができたのでしょう。
(私はその程度のものだと思っていたのですが、10年やってもできない人がざらにいるという事実を知って、私の方がレアなケースなのだと後に知りました。)
私は今まで第三の目の目覚めのワークと直接伝達(スカイプでの遠隔も含む)においても、失敗したことは一度もありません。
機会があったら、私のセッションを受けてみると良いでしょう。
第三の目の目覚めのワークと直接伝達でしたら、1時間のセッションでも十分だと思います。
また直接伝達でも目覚めない人にとっては、第三の目は必要ないと思います。
どういうことかといいますと、第三の目とは「悟りという向こう岸」まで泳いで渡るための浮輪です。
つまり道具に過ぎません。
「悟りという向こう岸」まで渡るための「純粋意識という舟」を用意してくれる師を見つけることができれば、浮輪のことなどで悩む必要もないのではないかと思います。
それと、第三の目というツールが本当に必要となるのは、意識の根源への引き込みが起きてから、すなわち聖なる次元の最も深い所、悟りの手前の段階に至ってからかもしれません。
ですが、そこまでの段階で満足される方がほとんどだと思います。
一般的に、多くの魂は「無」よりも「在ること」を好むものですから。
「その人にとっての充足感」はそれぞれであるため、「その人にとっての最終的なゴール」は様々であるということです。
ですからそのような場合は、第三の目に煩(わずら)わされて遠回りするよりも、先に〈魂としてのあなたとのつながり〉に焦点を合わせる方が賢明だと思います。
第三の目の直接伝達
直接伝達をしてもらうことが手っ取り早いですし、さらにきちんと詳細に検証してもらうなら、ただの想い過ごしや勘違いという意味での間違いもありません。
「ヘッドセンターの直接伝達」には、アウェアネス・サードアイとしての〈第三の目〉を覚醒させるためのエネルギー伝達も含まれております。
もっと理解を深めたい!
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