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自己意識

直接伝達後の「身体の声」は「魂の声」を反映している。

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この記事は2021.1.18、8:05に更新しました。

更新内容:用語の変更に伴い、記事を推敲いたしました。

「ヘッドセンターの直接伝達 2020.05.19」後のコメント

I. H. 様 / 40代 / 男性 / 栃木県 / 2020年2月より連続参加

師匠

ありがとうございました。

今回、また気持ちを新たにして、ヘッドセンターへの集中が途切れないよう意識して臨(のぞ)みました。

直接伝達が始まると、今までにないヘッドセンターへの深い集中状態を経験することができたと思います。

 

翌朝、目が覚めると整体を受けた後の揉(も)み返しのように全身に気怠(けだる)さを感じました。

本日は一日中、ほんわかしてました。

(今日はなんか、うまく文章がまとまりません。)

 

昨日掲載された『断片的な走り書き18』の【勉強としての読書において】を読み、読書について考えました。

探求の上でたくさんの本を読んできました。

今読み返して、より深い意味に気がついて感動するものもあれば、あまり意味がなかったものもあります(笑)

言語から空や無我を体験しようと「龍樹(りゅうじゅ)の中論」を読んだり、時間の非実在を知的に理解すれば少しは悟れるのではないかと、現代物理学、量子力学に挑戦してみたりと・・・

その他、いろいろと挑戦して敗れてきました。

いずれにせよ探求が「ただの知識レベルや想念としてのもの」であったり、「人間(行為者や思考者)としての私が、いずれ何か悟りみたいなものを獲得するという期待」の上にあった時期の読書は、永遠の牢獄(ろうごく)に閉じ込められているようなものだったかもしれません。

 

ただ、そんな時期でもニサルガダッタ・マハラジの対話集は、全編が詩のように美しくて愛に溢れていてハートにしみます。

私をいつも狭い場所から連れ出してくれました。

また読み返してみようと思います。

 

次回も事前に気合いを入れすぎてしまうと微細な感覚が感じにくくなるので、そのあたりを注意しつつ、また師への帰依(きえ)の気持ちをより高めつつ臨(のぞ)みたいと思います。

宜しくお願いいたします。

 

木幡 等 Hitoshi Kowataの言葉による伝達

>翌朝、目が覚めると整体を受けた後の揉(も)み返しのように全身に気怠(けだる)さを感じました

>本日は一日中、ほんわかしてました

>(今日はなんか、うまく文章がまとまりません。)

 

今がチャンスだ。

これまで過剰であった思考活動が静まりつつある。

つまり、思考者(いわゆるエゴ)としてのあなたが落ちつつあるのだ。

あなたが揺るぎなき観照者へと進化的変容を遂げていくためには、思考者(いわゆるエゴ)としてのあなたに縛られていてはいけない。

それは、思考との自己同一化すなわち自己意識としての眠りを意味するからだ。

 

人間存在における進化の段階

行為者 思考者 観照者
パーソナリティー いわゆるエゴ 自己意識/真我 純粋意識
行動との自己同一化 思考との自己同一化 気づきとの自己同一化 純粋意識との自己同一化
動物的存在 人間的存在 意識的存在 霊的存在

 

上の表からもわかるように、いわゆるエゴを落とすためには、思考にとらわれていてはいけないのだ。

そうなってしまうと、この次元において、魂としてのあなたはくつろぐことができない。

それゆえ、あなたは苦しむこととなる。

本来は自由なはずの魂が、思考の檻(おり)の中に閉じ込められているのだから・・・

 

だが今のあなたは、「今日はなんか、うまく文章がまとまりません。」と言っている。

これまでの私の経験からも、それは、これまで過剰であった思考活動が静まりつつあることを意味していると私は観る。

 

これは進化・変容のためのチャンスなのだ。

それゆえ今は(必要最低限のこと以外は)何もせずに、くつろいでいなさい。

 

直接伝達後の身体が、そのように要求しているのだ。

 

もう一度言おう。

直接伝達後の身体が、あなたに要求しているのだ。

 

そして、これはとても大切なことだが、

直接伝達後の「身体の声」は「魂の声」を反映している。

 

それこそが、高次のサポートである恩寵の働きであると言ってもいい。

 

そのことがわかるかい?

その静かで繊細なハートで、内なる耳を澄ましてみてごらん・・・

 

これまで何度も「思考を手放そう!」としてきたが、自力ではうまくいかなかったのではないかね?

 

しかし、今はそうではない。

今のあなたにおいては、思考を手放す努力すらいらない

実際のところ、自力で思考を手放すことなどできないのだ。

できれば、誰も苦労などしない。

 

なのに今は思考の方から落ちていく。

それこそが直接伝達によって生じる恩寵の働きの素晴らしさだ。

そこに努力はいらない・・・

 

直接伝達後の身体が、「魂の声のこだま(反響)」となって「あなた」に呼びかけているのだ。

 

だから今は(必要最低限のこと以外は)何もせず、ただその要求に明け渡していなさい

 

このせっかくの機会にあなたが(本を読むことも含め)考え始めてしまうと、あなたはまたもや想念の次元へと引き戻されてしまう。

 

あなたは想念の牢獄(ろうごく)に閉じ込められたままでいいのかい?

行為者(パーソナリティー=行動型生物)思考者(いわゆるエゴ=思考型生物)として、そこで永遠にさまよい続けるつもりなのかい?

 

そうじゃない。

違うだろう・・・?

 

たしかに魂としてのマハラジそのものは素敵だが、直接伝達後の今の状態のあなたにとっては、マハラジの本、すなわちマハラジの言葉といえども、それらは美しい想念にしか過ぎない。

 

どんなに美しいものであれ、言葉は言葉でしかない。

どんなに崇高(すうこう)なものであれ、想念は想念でしかない。

 

いや、むしろそれらの言葉(想念)が美しく崇高(すうこう)であればあるほど、探求者はそこから離れることができないものなのだ。

 

マハラジから贈られたプレゼント

たしかに、それはそれで素晴らしい。

しかし、すべての探求者が、その箱(言葉)の中味(内なる静けさ)に触れることもなく、その箱(言葉)の美しさだけに酔いしれている。

 

ラマナ・マハルシから贈られた言葉の花束

すべての探求者が、その花束(言葉)に込められた想い(内なる静けさ)を受けとることもなく、その花束(言葉)の見た目や香りの美しさだけに酔いしれている。

 

わかるよね・・・?

 

あなたを愛する人があなたに贈る花束は、あなたへの想いを伝えるための道具に過ぎない。

 

ゆえに直接伝達後の今のあなたのような状態においては、花束(言葉)に酔いしれること(想念とのたわむれ)、すなわち不必要な思考活動は(先のような意味において)「直接伝達後の目覚めの進展自己の変容」においては有害とさえなり得る。

 

だから今は(必要最低限のこと以外は)何もせずに静かにしていなさい・・・

 

マハラジの想いは、あなたの外側ではなく、あなたの内側、すなわち思考(言葉)の彼方のその箱の中にあるのだから・・・

 

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  1. I. H. / 40代 / 男性 / 栃木県 / 2020年2月より連続参加

    師匠

    ありがとうございます。

    あやうくまた元の想念の世界にとどまってしまうところでした。
    たしかに想念はどこまでいっても想念でしかないです。
    今は身体の望むこと、魂の望むことに従います。

    「また読み返してみようと思います。」と書いたものの、今は直接伝達の強い影響下にあって、実際にはほとんど読書は不可能なことに気がつきました。

    何日かは仕事を最低限に済まして休もうと思います。
    今日は頭が働かないので、簡単なデスクワークすらおぼつかない感じです。

    普段はもっと忙しくて、そうも言っていられないのですが、今はなんかうまい感じに仕事に暇があります。
    きっとこれも恩寵ですね。

    ありがとうございました。