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自己意識

思考者

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この記事は2020.9.8、13:25に更新いたしました。

更新内容:図を推敲いたしました。

人間存在における進化の段階

 

行為者(パーソナリティ)

思考者(いわゆるエゴ

観照者(いわゆる真我

魂(究極の真我

 

この図においては、上から下に行けば行くほど、自己においてはシンプルな在り方へとなっていく。

 

思考者とは

思考者とは、思考と自己同一化した魂が、行為者としての私の全体(思考、感情、肉体)を管理している意識状態にある人のことである。

それはまるで、「社員(肉体、感情)たちを、社長(思考)が率いている会社のようなもの」である。

 

社長

思考

社員

思考、感情、肉体

 

よって、思考者行為者と比較すると、以下のように表現することができるだろう。

 

行為者

それぞれの社員(思考、感情、肉体)たちが好き勝手にやっている会社(人)

社員(思考、感情、肉体)たちをまとめる社長がいないため、それぞれの社員(思考、感情、肉体)たちは好き勝手にやり放題、優れたリーダーのいない、まとまりのない会社(人)のようなもの。

 

思考者

それぞれの社員(思考、感情、肉体)たちが同じ目標を共有して、一人の社長(思考)からの指示によって統率されている会社(人)

一人の社長(思考)によって、それぞれの社員たち(思考、感情、肉体)がある程度は統率されている(限度はあるが)、つまり行為者と比べると、それなりのまとまりのある会社(人)であると言える。

 

それぞれの社員たちが好き勝手にやっている会社(行為者)それぞれの社員たちが同じ目標を共有して、一人の社長からの指示によって統率されている会社(思考者)とでは、たとえ社員(思考、感情、肉体)のレベルは同じであっても、後者の方が優れた業績を上げるだろうということは、想像に難くないよね。

もちろん、社長(思考)が有能であれば、という条件付きだけどね・・・(笑)

 

さらに言うなら、だからこそ、気分屋の社長(感情)はすぐさま解雇して、トップには頭のいい社長(思考)を任命すべきなのである。

 

このような観点から見ても、行為者よりも思考者の方が、より進化した人間存在であると言える。

なぜなら、不安定でまとまりのなかった自己が、よりシンプルにまとまってきているのだから・・・

(ヨガは”くびきをつける”が語源であると言われているし、仏は”ほどける”が語源という説もあるよね。)

 

人間存在においての進化の段階としては、思考者になってようやく(一般的に言われている意味ではなく)真の意味においての自我(エゴ)の目覚めのスタート地点に立ったようなものかな・・・

なぜなら、自我=エゴ=自己は、行為者から思考者へ、思考者から観照者(広義の真我へ、そこからさらに進化を遂げ、やがては魂(狭義の真我へと還(かえ)っていくのだから・・・

 

行為者

思考者

観照者(広義の真我

魂(狭義の真我

 

よって、行為者を経(へ)て思考者となった彼ら彼女らにとっては、思考活動が、その生においての内的な営みにおける中心的なものとなる。

 

だがやがて、思考をボスにしていては解決のできないものがたくさんあるということに気がつき始め、観照者への道を歩み始めていくのである・・・

 

仕事などから見た進化の段階

上記のことからお察しのように、職場などにおいていわゆる仕事ができる人というのは、思考者の段階にある人たちが多いだろうね。

そのデキのレベルは、知性の高さや思考者としての自己の統率レベルなどに比例していく。

思考者の段階にある彼ら彼女らは、その優れた思考活動や自己制御能力などによって、上司から期待された以上の仕事をやり遂げていくことだろう。

 

とはいえ、これらは、あくまで一般論としてのものだから、もちろん例外はあるんだよ。

その程度のものとして読んでみてね。

 

上司から言われたことを、何とかこなすことしかできない人たちというのは、行為者の段階にある人たちが多いんじゃないかな・・・

 

そして、それなりに優秀な社長さんなどは、大なり小なり観照者の段階にある人たちだろうね。

 

だから自己啓発や企業セミナーなどで、マインドフルネス瞑想が騒がれているわけだよね。

つまり、「瞑想によって知性と連動した気づきを高めていくこと観照者としての視点を養い、行為者の段階から思考者の段階へ、さらには観照者の段階と進化しなさい」ということなわけでありんすよ。

 

スポーツなどから見た進化の段階

それなりの記録を保ち続けることのできる人というのは、思考者の段階にある人たちが多いだろうね。

 

一時(いっとき)の良い時はすごかったけど、(ケガなどを除いて)その後はあまり活躍できなかった人というのは、(思考センターや感情センターよりも)動作センターが優勢行為者の段階にある人たちが多いんじゃないかな・・・

 

そして、ほんと一握りの超一流のアスリートには、観照者としての匂いを感じるけどね。

野球の落合博満さんやグレイシー柔術のヒクソン・グレイシーさんなどね・・・

だから彼らは、同業者で、なおかつ一流の方々からも「(彼は)次元が違う!」と称賛されるわけでしょ。

だって、思考者と観照者とでは、その視点においても自己制御のレベルにおいても「次元が違う」んだから・・・

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