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自己意識

「観照者としてのあなた」を目覚めさせるためには・・・

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この記事は2019.10.17、4:16に更新しました。

更新内容:記事に加筆をいたしました。

 

観照者としてのあなたを目覚めさせるためには、思考と感情と本能においてのバランスの整った発達が不可欠である。

しかし、そのような人はほとんどいない。

 

「本能」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配された者・・・

「感情」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配された者・・・

「思考」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配された者・・・

 

もし人が、自身の「本能」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配されているのならば、その人はもはや人間ですらなく、肉体をまとった本能でしかないのである。

もし人が、自身の「感情」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配されているのならば、その人はもはや人間ですらなく、肉体をまとった感情でしかないのである。

もし人が、自身の「思考」に由来する「思考や感情や欲求」だけに支配されているのならば、その人はもはや人間ですらなく、肉体をまとった思考でしかないのである。

 

彼らは、人間の姿をした妖怪(ようかい)なのだ。

そして彼らは一見(いっけん)、人間の姿をしているからこそ妖怪なのだ。

 

そのような妖怪は、自身の本能(または思考、または感情)に由来する想念(思い・想い)に憑(と)りつかれている。

ゆえに彼らは、輝きのない濁(にご)った虚(うつ)ろな目をしている。

 

しかし、妖怪はどこにでもいる。

朝の満員電車の中にも、夜明けのバーの中にも・・・

 

あなたの周りにもいるだろう。

普段は人間らしく振る舞っているあなた身近な人たちでさえも、一定量のお酒が入りでもすると、たちまちその正体を現すだろう・・・

 

そのような、想念に乗っ取られたゾンビ、それこそが妖怪なのだ。

彼らの関心事はといえば、それはただ想念に酔う快、すなわち快楽なのだ。

 

彼らが酔うのに、アルコールは必要ない。

たった一滴の想念(思い・想い)を注ぐだけでいい。

そのたった一滴の想念(思い・想い)が、彼らの衝動を駆り立てる。

 

そして悲しいことに、彼らは自身が妖怪だということには気がついていない・・・

なぜなら、妖怪は自己観察などできないからだ。

酔う快(快楽)を見出すことのできない自己観察など、決してしようとすら思わないだろう。

自己観察をする主体となる自己意識としてのあなたが眠っているのだから。

 

そう、すべては自己意識としてのあなたの眠り、すなわち思考・感情・本能との自己同一化が原因なのだ。

そのような偏った自己同一化思考と感情と本能においてのバランスを崩(くず)していく。

そして、ますます眠り(酔う快)が深くなる。

 

しかし真の人間とは、「思考と感情と本能」の正しいバランスによって統合されている。

さらに言うなら、内なる自己としてあなたが、その思考や感情や本能の働きさえをも絶え間なく冷静に見守り続けているのである。

 

ゆえに、その厳しい自己観察によって、自身が酔いかけた瞬間、即座に気づく。

内なる自己(私)が妖怪(酔う快)になる前に気づく。

 

だが、現実においてはどうだろう?

あなたの周りの人々を見回してみるといい。

 

答えは、はっきりしている。

肉体をまとった本能肉体をまとった感情肉体をまとった思考たちの群れで溢(あふ)れかえっているのではないか?

 

あなたは、そのような周りの人たちと明らかに異なっているのだろうか?

 

あなたは、彼らのとてつもなく深い眠りに気がついているのだろうか?

 

そうような肉体をまとった本能(でしかない存在)が、一体どのようにして目覚めることができるというのだろうか・・・

そうような肉体をまとった感情(でしかない存在)が、一体どのようにして目覚めることができるというのだろうか・・・

そうような肉体をまとった思考(でしかない存在)が、一体どのようにして目覚めることができるというのだろうか・・・

 

「本能」はどれだけ制御されても本能でしかなく、「感情」はどれだけ繊細になっても感情でしかなく、「思考」はどれだけ精密になっても思考でしかないのだ。

そこに、その使い手となる自己意識としてのあなたがいないのだ。

 

ゆえに、ほぼ全ての探究者たちに、真なる自己目覚めはおろか、内なる自己目覚めさえも起きないのである。

つまり、直接伝達時は別として、それ以外の時においては、自己意識としてのあなたではなく、思考や感情や本能と自己同一化し続けているあなた純粋意識との接触を、肉体/精神の次元において感じているだけなのである。

 

ゆえに、ほぼ全ての探究者たちにとって、一定期間に渡る継続的な瞑想が絶対的に不可欠なのである。

そして、正しい瞑想には自己観察も含まれていなければならないのである。

そうして自己意識としてのあなたを目覚めさせていかねばならない。

 

ゆえに、これからの私は、その時々での目的に見合った様々な正しい瞑想というものを提唱かつ推奨せざるを得なくなってしまったのである。

 

私は本当の人間に出会いたい。

自己意識としてのあなたと話がしたいのだ。

 

自己意識を目覚めさせるには・・・

ヘッドセンターの直接伝達(遠隔)

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