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自己意識

未熟な魂と苦しみ~自己実現に至るまでの苦悩と探究~

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賢い人、つまり真に知性的である人というものは、「人間としての自分が愚かであること」を知っている。

厳密に言うなら、「知性自己同一化することによって思考や想念に巻き込まれている自分の救いようのない愚かさ」や「人間知性による認識の許容範囲の限界というもの」を知っている。

 

正気な人というものは、「自分をも含めた人間というものが正気でないこと」を知っている。

厳密に言うなら、「人間といえども、外部からの刺激のみならず、内部から発生する想念や衝動などといった刺激などに対して反応し続けるだけの哀れな存在であり、そのような形で恒久的に宇宙の力によってコントロールされ続けていること」それゆえ「正気でいさせてはもらえないということ」を知っている。

上の画像は、何の写真ですか?

羊ですか?

それとも、私たち人間の象徴的な姿ですか?

 

絶え間ない自己観察や長期的な瞑想などによって、長年に渡り自己の内面と向き合ってきた人なら、このような「人間の救いようのなさ」は自明のことであり、私が話すまでもありません。

真なる自己として目覚めようとしている未熟な魂」は、これらのことを誰から教わるわけでもなく、気づいています。

しかし、これらのことが何のことやらさっぱりわからないのであるならば、せめて日常的な「自己観察」が必要でしょう。

「内面の観察」からで、かまいません。

「数時間の瞑想」は、さらにその闇の部分をクローズアップして映し出してくれます。

 

そのような探究の準備のための段階(ステージ)におられる方なら、グルジェフやOSHO(ラジニーシ)やクリシュナムルティの本などから学ぶことも多いでしょう。

この段階(ステージ)においてという条件付きでなら、アジズ(アナディ)の本でも良いでしょう。

 

それに、そもそも自己探究や霊的探求とは、そのような救いようのない自分のことを身に染みて理解することから始まる自己救済のはずなんだけどね・・・

そのようなことに気づけてしまうことが人間と動物との違いであり、人間だけに与えられたある種の希望であり、人間特有の苦しみの原因であり・・・

 

そこから本当の意味での探究が始まるんじゃないですかね。

1. すでに、このような問題を解決した人は幸せである。

2. いまだ、このような問題に気がつかない人も、また違った意味ではあるが幸せである。

3. この問題の渦中にある人だけが、苦しみを味わうこととなる。

なぜならこの問題は、「人間としてのあなたの生存」に関わるものではないのだから。

自己意識(自己・自我)としてのあなたの在り方」に関わるものである。

別の言い方をするなら、「魂としてのあなたの安らぎ」に関わるものである。

毎日の生活で精一杯の人からすれば、贅沢な悩みでもあります。

 

だからほんの少数の人間しか、このような問題には直面しない。

なぜなら人類の大半は、自己意識、つまり真正なる意味における自我を有してなどいないからである。

「自我(自己)としての己そのもの」を自覚していないのだから・・・

つまり、「自己としての己が眠っていること」にすら気づいていないのだから・・・

 

そのような人々は、スピリチュアル(霊的)なものに興味を持っても、その目的は「目覚め」ではなく「引き寄せの法則」などに引き寄せられていくでしょう。

スピリチュアル(精神的)な働きかけによって、物質的に豊かになることを追い求めて・・・

そのような物質的レベルでの充足もまた、広い意味においての自己実現におけるプロセスの一部ではありますから、それはそれで良いのです。

 

あなたが幸運にも、「自然の一部としての己に潜(ひそ)む無知と狂気」や「人間であることの愚かさ」を自覚しているような、少しは賢くて正気な人間であるならば、

あなたはこの問題に、どうけりをつける?

いずれにせよ、私たちは柵の中に閉じ込められた羊なのである。

思考や想念というエサに釣られて、自ら囚(とら)われの身となった羊の群れ・・・

 

あなたが知性と自己同一化するがゆえに、本来は「自他とのコミュニケーションの道具」であるはずの思考や想念、それらがご馳走(ごちそう)に見えてしまって手放せないのである。

 

食いしん坊、万歳!

 

1. 完成された魂は、自分が何者であるのか、つまり自分は羊ではないことを知っている。

2. 魂が眠りこけている者は、柵の中で送る羊としての生活に疑問すら生じない。

3. 真なる自己として目覚めようとしている未熟な魂の者だけが、柵の中に閉じ込められた羊として生きることに苦しむこととなるのである。

 

そもそも、あなたとはなのであろうか・・・

それとも・・・

 

あなたは毎朝、目を覚ました途端に、エサを求めて柵の中へと自ら入り込むことで、羊としての生活を余儀なくされている。

 

そして、

私にできる仕事とは、「羊」を助けることでなく、「あなた」を助けることである。

 

この意味を、よ~く考えてごらん・・・

 

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