断片的な走り書き5
この記事は2018.11.30、19:30に更新しました。
更新内容:新たな文章を追加しました。
悟りのために修行やスピリチュアル・ワークなんていらない。
もしもあなたが幸運にも心ある人間、真の人間であるならば、これまでの人生体験の全てが修練の場となってきたはずなのだから・・・
自らが『目覚めた存在』であると自称しているスピリチュアル教師や宗教指導者といった愚かな精神異常者たち・・・
関わるべからず、関わるべからず・・・
気迫というものは、声に出しちゃダメなんだ。
声を張り上げて歌い上げちゃいけないんだ。
それは、胸の内に秘しておくべきものだ。
弱い格闘家ほど、気合いの声を出したがる。
エネルギーも漏(も)れてしまう。
「そこ」じゃないよ。
『私』は、いつも「ここ」にいる。
あなたは、聖なるものを受けとめるという、ある種の受容的な開いた在り方において、積極的でなければなりません。
真なる自己の目覚めの進展が後退へと切り替わった時、
言い換えるなら、
進化という意味における自己意識の上昇が下降へと切り替わっていても、あなたはそのことに気がつかない。
気がつけない。
なぜなら『あなた』は現実には下降しながらも、上昇し続けているという夢を見続けているのだから・・・
自分に対して成長や変化などを期待したり要求したりするのも、ある種の暴力です。
あるがままの自然な姿を否定して、「そのままのお前(自分)では許せない!」「お前(自分)は変われ!」と突き付けているのですから。
今あるがままのあなたを、そのままに全面的に受け入れてあげてください。
それも、また愛です。
本来の純粋な『私』は、思考活動など必要としません。
肉体も必要としません。
この顕現の世界での幸せすら必要としていません。
『エゴ』はそれらを必要とします。
『エゴ』を否定する必要はありませんが、『私』が主人でなく『エゴ』が出しゃばれば、何をやっても最終的にはうまくいきません。
最後には、虚(むな)しさだけが残ります。
『エゴ』に支配されたあなた、『エゴ』が主人の時のあなたは、決して満たされることがない惨(みじ)めな物乞(ものこ)いに成り下がってしまうからです。
毎晩、あなたは熟睡中には完全に消え去っています。
そのような意味であなたは、毎日、死んでいます。
その時のあなたは、心地良い体験や幸せなども求めていません。
それらを必要とさえしていません。
そのように毎日、親しんでいる状態であるにもかかわらず、なにを怯(おび)える必要があるのですか?
ですが真の人間らしい本当の愛を学ぶためには悟りが必要となります。
そのための悟りなのかもしれません。
肉体/精神としての私たちは、誰もが認めるほどの主役にはなれません。
いつの時代においても、主役は愛であり、肉体/精神としての私たちとは、その愛の交流のための窓のようなもの・・・
私たち人間も、そのように在りたいものです。
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