1. HOME
  2. 意識
  3. セッション後に訪れる『目覚めの直接伝達の影響』について
意識

セッション後に訪れる『目覚めの直接伝達の影響』について

意識

223

この記事は2018年5月21日、18:00に更新しました。

更新内容:11文目以降の文章に、加筆をしました。

 

以下は、最近のお客様や生徒さんの「セッションの後日談」を伺ったことなどから、私の思うところです。

私のセッションを受ける前に、お読みになっておかれると、お役に立つかと思います。

 

誘導つきの直接伝達の時は、その場で目覚めが生じるので、私がその状態の詳細な確認もできますし、より目覚めの促進に適した意識状態へと導くことができます。

ですが最近は基本的には、誘導つきの直接伝達は封印しているものですから、私とのセッションを終えてから、目覚めの状態が急激に起こるというケースが目立ちます。

 

なぜセッション中ではなく、セッション後に、目覚めの兆候が表れるのかと言いますと、セッション中にお客様は対話によって思考や私に集中しています。

初めて話すことによる緊張や、コミュニケーションを円滑に行うための緊張感なども大なり小なりあるわけです。

 

誘導つきの時は、言葉を失くし沈黙をベースとした状態の中で、なるべく寛いでいただいて、聖なるもの(広義における真我)との接触に気づきやすい状況を作ることだけに配慮しています。

 

以下にご紹介するのが、最近のお客様や生徒さんとのセッションやコンタクトの後に送られてきたメールなどによる、状態の変化についてです。

 

「セッションを終えて寛いでいたら、強烈な倦怠感のようなものがやってきて、急に眠くなってきて眠りました。(数日後の)今も眠い状態が続いています。」という方。

「セッションを終えて翌日になってから、強烈だが心地良い眠気のようなものがやってきて、その状態が2週間くらい続いた」という方など・・・

 

参照:セッションの感想(JTさん/32歳/男性/東京都在住/電話でのセッション電話での対話・第一回目)

参照:『覚醒の炎』/著者:プンジャジ/38p/15行目~

 

最近のセッション後の傾向は、意識を保つのが困難になるほどの、とても強い眠さのようなものを体験されるということです。

季節的な影響として、寒さから暖かさへという気候の変化によって、締まっていた心身が緩んでいく過程との関係もあるのでしょう。

 

眠さのようなものがあるという感覚そのものは、目覚めの本質ではありませんが、聖なるものの目覚め(広義における真我の目覚め)の過程における『一なるもの(狭義の真我)からの引き込み』の時期においては、その副次的な作用として現れることがしばしばあります。

 

ですから『聖なるもの(広義における真我)の根源である一なるもの(狭義の真我)からの引き込み』の時期において、気づきが弱い人は、それを眠さとして解釈してしまうこともあるでしょう。

気づきが弱くない人でも、疲れている時や、癒しや浄化が必要とされている時などは、倦怠感や眠さとして認識されることもあります。

 

そして最も大切なことですが、『聖なるもの(広義における真我)そのもの』への自覚がない人、『聖なるもの(広義における真我)そのもの』に対する気づきがない人や、それらの自覚や気づきが弱い人は、聖なるもの(広義における真我)の感覚が強まっていることよりも、眠さやだるさが強まっていることの方に、注意が向いてしまうことでしょう。

そのような人は、眠さやだるさ=『聖なるもの(広義における真我)の目覚め』という認識になってしまいますので、聖なるもの(広義における真我)の感覚は変わらずに続いていても、眠さやだるさが消えていくと、目覚めが終わってしまったと解釈してしまうこととなります。

ですから聖なるもの(広義における真我)そのもののやその感覚というものを、セッションにおいてきちんと理解・認識しておくことが、とても大事なのです。

 

そのような引き込みによって、自身の注意や気づき一なるもの(狭義の真我)だけに引きつけられて、自身を取り巻く外的環境に対する気づきが弱くなるのです。

つまり、自身を取り巻く外的環境に対するそれらに対する興味を失っていくのです。

その結果が、「悟り無執着ということにもつながっていくわけです。

[参照/『覚醒の炎』/著者:プンジャジ/350p/13行目~]

 

気づきの弱い人ならば、引き込まれるたびに、眠りによって意識を失うこともあるでしょう。

朦朧(もうろう)とした状態になるかもしれません。

 

プンジャジなども、一なるもの(狭義の真我)からの引き込みのことを「(真我への)没入状態」と称して、そのことによって「道路を歩いていた時に、没入状態に陥って車にはねられたことがある」などと語っています。

[引用/『覚醒の炎』/著者:プンジャジ/322p~]

 

長年の蓄積された心身の疲れが残っている人なら、最初はまさに強烈な眠さとして体験されることでしょう。

都会で暮らす現代人なら、尚更です。

 

目覚めの状態に慣れてくれば、通常の睡眠不足に由来する眠さとの違いが分かるようになりますが・・・

 

そもそもこの引き込みの源である一なるもの(狭義の真我)とは、非顕現であります。

つまり通常、私たちが夢見のない熟睡状態の時にそれであるものです。

 

ニサルガダッタ・マハラジとの出合いによって覚醒したラメッシ・バルセカールなどは、その対話集『誰が構うもんか?!』において、以下のように悟りというものを定義しています。

「探求の目的は何でしょうか?霊的探求は、熟睡の中にある平和を求め、それを目覚めている時にも得ることです。」

[引用/『誰が構うもんか?!』/著者:ラメッシ・バルセカール/179p]

 

『誰が構うもんか?!』は、すでに廃盤のようですので、興味のある方は、以下の本でもお読みください。

 

『意識は語る―ラメッシ・バルセカールとの対話』

 

つまり、ある観点からすれば、

悟りとは、熟睡状態にありながらも意識を保っていること

と言えます。

 

ですから

意識を保ちながら目覚めの状態を経過することは、目覚めの過程を促進させます。

 

そして

目覚めの状態で眠ることは、癒しや浄化の過程を促進させます。

 

続く

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。