断片的な走り書き11
この記事は2020.2.14、2:55に更新いたしました。
更新内容:記事を推敲いたしました。
思考や感情や感覚などといった「客体(対象物)としての心」というものは、内外の変化に応じて動き回るもの、そういうものなのです。
そのようにコロコロ動き回る「心」を落ち着かせようとするから、あなたは失敗するのです。
本質的に落ち着きのない「心」を静止させようとするから、「あなた」はますます苛(いら)立つばかりなのです。
もう、おわかりですね?
「主体としての心とでも言うべきあなた(気づきとしてのあなた)」が落ち着けばよいのです。
どんなに「心」が激しく動いていても「あなた」だけは動じない。
客体(対象物)としての「心」とは、「あなた」が散歩に連れ出している時の「犬」のようなものです。
それは動き回るものです。
なのにあなたは、
「犬をじっとさせておくことができない!」
「犬を思い通りにコントロールできない!」
という理由から、自分の無力感を感じ、ますます自己嫌悪に陥(おちい)っていくのです。
それは人間の無知に由来する傲慢(ごうまん)というものです。
心とは、どういうものなのか?
あなたが正しい知識を身につけていれば、無知ゆえに不必要に苦しむことはないのです。
どんなに「心」が動いていても、「あなた」が静かにしていればよい。
古き良き日本人的表現で言い換えるなら、
「客体(対象物)としての心(思考・感情・感覚)」を完全に静止させることはできないが、「主体としての心(内なる自己としてのあなた)」を静止させることはできる。
もちろん、そのためには内なる自己としてのあなたが確固として存在していなければならないのだが・・・
客体(対象物)としての心(思考・感情・感覚)が完全に静止するのは死の時です。
夢見のない熟睡時も、主体としての心(内なる自己としてのあなた)にとっては、ひと時の死なのです。
夢見のない熟睡時は、主体としての心(内なる自己としてのあなた)は一時的に死んでいるが、客体(対象物)としての心(思考・感情・感覚)は生きている。
睡眠時に夢を見るのは、一時的に内なる自己としてのあなたがぼんやりと目を覚ますからである。
私だって心(思考・感情・感覚)を見ないことはできますが、自然発生的な心(思考・感情・感覚)を制止させることはできません。
あなたの自覚のあるなしに関わらず、心とは潜在意識の層でも動いているのです。
ですから眠りの最中に夢を見るわけですよね。
あなたの心の深い層では、潜在意識的または無意識的な心(思考・感情・感覚)が常に働いているからこそ、たとえあなたがどんなに深い熟睡状態にある時でも、身の危険が迫るとあなたはすぐに目を覚ますことができるのです。
意識的な思考や感情や感覚、潜在意識的または無意識的な思考や感情や感覚、それらの橋渡しとしての自然発生的な思考や感情や感覚・・・
心とは、かくも広大なスペースなのです。
そのような広大な心によって、良くも悪くも、人間としてのあなたは支えられているのです。
つまり、あなたが生きていく以上、心は静止させるべきではありません。
もっと理解を深めたい・・・
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