思考からの解放~思考との距離をとること~
この記事は2020.3.29、17:07に掲載いたしました。
参加者からのコメント
今回の伝達の日の日中に、仕事で感情を強く揺さぶられる出来事があり、自分の正しさを証明しようとする思考が繰り返し起きるといったエゴの暴走が、わかっていても止められませんでした。
そのため、今だに思考、感情の奴隷であり、想念の回し車からはそう簡単には降りられないのだということを痛感しました。
「自分の正しさを証明しようとする思考」、そのような「自己正当化の衝動」に由来する思考が繰り返し起きてくるのは、「仕事で感情を強く揺さぶられた出来事」に対する心(思考や感情)の反応の癖(くせ)のようなものであります。
意図的思考ではなく、そのような心の反応としての思考、すなわち受動的思考は、(癖になっているということも含め、)自然発生的な連想に由来する思考という意味において、自然現象でありますので、そのような思考と自己同一化しなければ、問題にはなりません。
ですが、特に日常生活においては、そのような受動的思考との非自己同一化や連想との非自己同一化は、そう簡単ではありません。
あなたが感情レベルでも巻き込まれている時には、なおさらです。
そうなると、あなたは感情レベルにおいて巻き込まれてしまったその不快な感覚を排除しようと躍起になります。
そのような、不快からの回避の衝動に由来する行為が、さらにあなたを感情と自己同一化させます。
あなたが肉体精神の一部である感情と自己同一化すれば、あなたは同時に肉体精神の一部である思考とも自己同一化してしまいます。
これはセットです。
ですから思考との非自己同一化のためには、あなたが思考のみならず感情をも含めた肉体精神と距離をとることが必要になります。
そこで、「あなた」はヘッドセンターを生み出し、そこに留まることにより、思考や感情をも含めた「肉体精神」との間にわずかながらも距離を生み出します。
それは、ほんのわずかながらの距離ではありますが、その距離における0と1の違いは大きいのです。
距離が100から101に増えた時は、あまり変わったという実感はないかもしれません。
ですが、0と1の違いは大きいのです。
それは、ほんの少しばかりでも、距離が「あるか」「ないか」の大きな違いなのです。
なぜならそれは、自己としての目覚めの始まりにおける大きな一歩だからなのです。
もっと理解を深めたい。
参照記事
5月期の受付を開始いたしております。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。