「言うこと」と「書くこと」
僕は、自身が直接伝達した目覚めの進展を妨げさせないために、「言葉による伝達」も行います。
僕はセッションにおいては、(誤解なく確実に理解してもらうために)「個人的なアドバイスとして言うこと」はいっぱいあるけど、サイトで「不特定多数向けの一般論として書くこと」なんて、実際のところはそんなにたくさんはないんだ。
どういうことかと言うと、
● 聖なるものを目覚めさせるには、セッションにおいて直接伝達をすれば済む。
だから、それについて一般論として書くことと言えば、
これまでの直接伝達における高い実績を紹介する記事を書くか、
「独りで取り組むなら、地道に瞑想でもしなさい。」
くらいしかないわけだ。
● 聖なるものの目覚めの進展に関して言えば、セッションにおいてなら、その人の生活スタイルに合った具体的なアドバイスができる。
それについて一般論として書くことと言えば、
「ただ、そこに留まっていなさい。」
くらいしかしか言えないわけだ。
● 会員専用記事も、一般向けの記事というよりは、主に私の生徒が読者となっているわけだから、読者を具体的に想定して書ける。
自己意識の目覚めに関しては、書くことは山ほどあるけど、人それぞれ知性や感受性や良心の問題など個人差があり過ぎるでしょ。
「そこのところはグルジェフが丁寧に語っているから、それでも読んでくれ。」という感じなのです。
それに自己意識が目覚めていない人は、そもそも僕のサイトに関心を示さないだろうし・・・
〈続く〉
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