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自己意識

悟りとは何なのか?~低次の自己から高次の自己へ~

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この記事は2020.5.21、21:38に更新たしました。

更新内容:記事を推敲いたしました。

自己の進化における3つのステージ

第一ステージ 第二ステージ 第三ステージ
行為者 思考者 観照者
パーソナリティー エゴ 真我
感受性としての私 知性としての私 気づきとしての私
楽器 演奏者 指揮者

 

行為者とは

本人の自覚の有無はさておき、あなたという存在が思考や感情や本能などに振り回されているだけの意識状態である。

つまり彼らは反応的でしかない存在なので、非自己、すなわち周りの人々や環境などにも振り回されてしまうこととなる。

 

人類の大多数を占める、いわゆる普通の人たちのことだ。

時には思考に巻き込まれ、また別の時には感情に巻き込まれ、また別の時には衝動に突き動かされる人たちの意識状態である。

 

つまり彼らは、何をやっても最終的にはうまくいかない。

彼らの人生における想いはこうだ。

「こんなはずじゃなかった・・・」

 

彼らは、まるで思考や感情や本能などに演奏されているだけの楽器のような存在である。

だから彼らは、何を演奏してもうまくいかない。

彼らのコンサートの後は、いつもこんな気分だ。

「こんな演奏のはずじゃなかった・・・」

 

なぜなら、彼らには意志などないからだ。

意識の連続性などないのだから・・・

連続性のある私などはいないのだから・・・

 

彼らにあるのは、気まぐれな思考や感情や衝動だけである。

それらの奴隷(どれい)の状態だ。

社会や職場においてもある種の奴隷だ。

 

「奴隷は嫌だ」と文句を言ったところで何も変わりはしないだろう。

周りに文句を言う暇があったら、思考者へと進化を遂げて、あなた自身が変わりなさい。

 

思考者とは

それは意識の中心としての内なる思考者のことだ。

自己の進化におけるこの第二ステージにおいては、自身の思考・感情・感覚・衝動などといった内的環境が、思考者としてのあなたによって連続的かつ全体的に自覚された意識状態にあらねばならない。

それは絶え間なく思考(考え)に巻き込まれ続けている意識状態とは、似て非なるものであることは言うまでもない。

当然のことながら、時には思考者となるが、また別の時には感情に乗っ取られたりと、そのようなことを繰り返しているのも、行為者の意識状態である。

 

つまり、この内なる思考者には、一人の思考者としての連続性がなければならない。

それゆえこの思考者という意識状態においては、自身の思考・感情・感覚・衝動などといった内的環境の動きの全てをコントロールすることはできないが、それらの表出を知性によって制御することはできていなければならない。

 

私が説明するまでもなく、気まぐれな思考や感情や衝動の表出を制御する力のある、このステージにある人たちというものは、それなりの社会的評価や高い信頼を得ていたり、なんらかの成功を収めていることは言うまでもない。

 

観照者とは

彼は指揮者として演奏者(知性)に働きかけることで、その楽器(感情や本能)の音色をも思い通りに操る存在だ。

(未完)🍊

 

もっと理解を深めたい

 

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