瞑想の方法(やり方)~「内なる静寂」を目覚めさせる~

以下の記事は、私が4年くらい前に旧サイトにおいて掲載したものです。

現在の私の理解と比べるとかなり劣りますし、用語やその定義も現在のものとは異なります。

ですが、瞑想を学びたいという人達にとってはとても好評であった記事でしたので、ここに掲載しておきます。

時は教えとして書いていたわけでありません。

誰かの役に立てばよい思って、自身が学んだことをシェアするつもりでサイトを運営しておりました。

ですから、過去の私の修行日記のようなものとして読まれた方が良いでしょう。

当時の私の瞑想に対する狂気にも似た執念のようなものが感じられ、なんだか可愛いというか可笑しいです。

今となっては、私でない他人が書いたようにしか思えません。

過去の自分が書いた文章であることを思うと、とてもお恥ずかしい幼稚な内容ですので、少しづつ推敲していきたいと思います。

 

 

瞑想とは、目を閉じて深く静かに考えることと辞書にはありますが、瞑想(広義のメディテーション)とは、ヨガ(ヨーガ)のエッセンスであるディヤーナがその由来となります。

ディヤーナを中国語で音写したものが禅那(ぜんな)、略して禅となり、ヨガにおけるサマーディも禅では三昧(さんまい)と音写されています。

禅は道教の影響を多分に受けてはいるものの、座禅のルーツもヨガのディヤーナにあると言えます。

ヨガとは、神すなわち森羅万象の根源である一なるものとのとのつながり、合一を目的としたものです。

ゆえにディヤーナ(瞑想・座禅)は、自己としてのあなたを目覚めさせ、その自己の根源である一なるものとの合一を果たすための効果的な手段とされてきました。

一なるものとは森羅万象の母胎であります。

ですから厳密に言いますと、一なるものとのつながりをもたない存在(物質も含む)などあるはずがありません。

 

ならば、なぜ瞑想が必要なのでしょうか。

瞑想には、どのような意味があるのでしょうか?

 

それは、あなたに一なるものとの融合をもたらしてくれることです。

その入り口となる「内なる静寂」を意識的に感じとれるとようになるということであります。

内なる静寂を認識するための同調から、内なる静寂に注意の焦点を合わせ続ける留意という段階を経てゆけば、その静かで穏やかなエネルギーに包まれたような心地よい感覚は、瞑想中のみならず日常生活においても失われることがありません。

これが本当の瞑想の果実であります。

広義の瞑想には、精神の安定や集中力の向上などを目的としたものもありますが、内なる静寂とのつながりを認識することを目的とした正しい瞑想を行えば、求めずとも精神の安定や集中力の向上、心の浄化や癒しなどといった副次的な効果も自然についてくるといえます。

 

広義の瞑想の一般的な方法としては、対象への一点集中というものがあります。

これは醒めた意識(気づき)の目覚めへの準備または間接的な方法と言えます。

 

他にも、醒めた意識(気づき)の目覚めや安定化のために瞑想を用いることもあります。

これらは、内なる静寂とのつながりを認識することを目的とした本当の瞑想のための準備段階として考えられると良いでしょう。

そのようなわけで、ここからは内なる静寂とのつながりを認識することを目的とした瞑想の方法について述べていきたいと思います。

 

内なる静寂は、常在するものです。

そこでわたしたちは常在するものを見つけることから始めなければなりません。

それは常に在るということですから、注意がその他のものへ逸れている日常はさておき、注意をそれに向けている瞑想時においては、毎回常に認識できるものであるはずです。

言い換えるなら、常在するものは1回限りの瞑想で確かめることはできないものといえます。

2回、3回と何度行っても常に認識できるものがあるということで、はじめて「これだ!」と確信できるものとなります。

また瞑想の回数を重ねることによって、わたしたちは内的世界に慣れ親しんでゆき、より繊細になってゆくため、5回目には認識できなかったものが6回目には感じとれるようになるかもしれません。

 

留意によって内なる静寂に焦点を合わせていればいるほど、それとのつながりが深まり、より強く感じとることができるようになります。

ですから瞑想の回数や時間が多ければ多いほど、それを見つける可能性は高まり、見つけた後の確信は強くなります。

量より質が大切であることは当然ですが、何事においても質を高めるためには量をこなすことによって培われてきた経験が必要となります。

しかし1分間の瞑想を100回行うよりは、1時間の瞑想を1回行う方がより効果的であるのも事実です。

このように(正しい方法で)瞑想の回数を重ねること、そして瞑想の時間を適度に長くすることは、内なる静寂とつながるために最も大切な条件であるとわたしは考えています。

瞑想の回数や時間を重ねても快適であるということ。

そのためにも心地よい身体の必要性をご提案しておりますが、それと同時に大切なことは瞑想時の座位すなわち姿勢となります。

 

瞑想の回数や時間を重ねても快適な座位であるということ。

例え心地よい身体であっても、瞑想時に脚の痛みや身体の凝りなどの不快感を感じてしまうような座位であれば、あなたの注意はたちまちそれらへと向かうために、内なる静寂を感じとるどころではなくなってしまいます。

それでは無駄に時間と労力を浪費することとなってしまいます。

 

自分にとって快適な座位を見つけること。

それは瞑想中に姿勢を変更する必要のない座位。

それによって、あなたの注意の焦点を内なる静寂に絞り込むことができるようになります。

 

わたしも自分にとって快適な座位を見つけるまでには、試行錯誤を重ねてきました。

一番苦心したのが座位でした。

修行時代の私の座位を参考までに述べますと、まずは座禅用のクッションである坐蒲の上、前半分あたりお尻を乗せます。

坐蒲には臨済宗で使われている長方形のものや薄い座布団を二つに折り曲げたものや、曹洞宗で使われている円形のものなどがあります。

わたしは円形のものが座り心地がよいので、そちらを使っています。

5年以上前に円中堂というところからインターネットで購入したものですが、毎日使っていても今だに破れる気配がないほど丈夫なので重宝しております。

 

座る時は適度に腰を入れます。

骨盤を前傾させて腰を反らすような、お腹を出すような、お尻を後ろへ突き出すような感じで、上体を前に倒してから自然に戻すと良いでしょう。

このようにして出来上がった座位においては、骨盤が少し前傾になることで適度に腰も入っているので、改めて腰を入れようとする意識はいりません。

胸も適度に開きますので、胸を開こうとする意識も必要もありません。

 

座位が決まった後の、身体の力みは厳禁です。

瞑想中の身体の力みは、身体の凝りや痛みを誘発しますし、心の力みともなります。

心地よい座位は、自動的に心をも瞑想に適した状態に導いてくれます。厚みのある坐蒲を使えば、自然とそのような姿勢が維持されます。

このような座り方であれば、長時間座っていても首が凝りませんし、胸も自ずと程よく開きます。

わたしは自分に程よく腰が入るように坐蒲の厚みを増すため、坐蒲に入れる綿であるパンヤをネット通販で購入して継ぎ足しました。

敷物には二つに折り曲げた敷布団を使います。臨済宗の禅堂で行われていたやり方です。

厚い坐蒲の上に座ると膝に重みがかかるのですが、敷布団一枚でなく二重にしてあれば膝の痛みもありません。

坐蒲を使われる方は、敷物が座布団では膝がはみ出してしまうのでお勧めできません。半跏趺坐(はんかふざ)で座ります。

長時間座っていても快適であるならば、結跏趺坐(けっかふざ)でも良いと思います。身体のバランスが崩れることを防ぐために、座るたびに脚は左右逆に組み換えます。

瞑想中であっても、一時間を超えたあたりで脚が痛くなれば組み換えることもあります。

脚が痛くなれば、意識が痛みに集中するので無駄な時間を過ごすこととなるからです。

わたしは身体が柔らかい方なのでこのようにしてますが、30分位で脚が痛くなる人はそこで組み換えた方が良いでしょう。

しかし5分や10分程度で脚が痛くなるという方は、ストレッチなどをなさるか、イスなどに座ってなさるとよいでしょう。

わたしが一日に10時間位、留意に専心していた時期は、脚が痛くなれば何度も組み換え、腰が痛くなれば坐蒲をはずし、首が痛くなれば仰向けに寝たり、ソファーに座ったりと、その時々に合った快適さを求めて工夫をしていました。

 

それでは内なる静寂を感じとるために大切だと思われる条件を挙げてみたいと思います。

内なる静寂への同調を妨げることのない静かで落ち着いた外的環境があるということ。心地よい身体を含め、回数や時間を重ねても気が散ることのない快適な座位であるということ。

このような眠りを誘いかねないような静かで快適な状態においても、しっかりと意識を保てるよう、醒めた意識(気づき)があるということ、または意識的な状態を保持できるということ。これらが土台となります。

呼吸は意識せず、自然にまかせてください。

呼吸法は補助的なものとして用いられても良いでしょう。

最初の数分間に行うものとしては、心を同調に適した状態にするための呼吸法や、醒めた意識(気づき)を強めるため呼吸法などがあります。

途中で行うものとしては、気が散ってしまった場合に心を落ち着かせるための呼吸法や、意識が朦朧としてきた時などに醒めた意識(気づき)を強めるための呼吸法などが効果的かもしれません。

その時々の状態に合わせて、工夫をされると良いでしょう。

あなたの熱意と様々な工夫により、あなたの注意が他へ逸れることなく、静かにしていることができるならば、あなたは必ず内なる静寂を感じとることができます。

 

関連記事

 

関連記事

  1. 自己憐憫

  2. 「沈黙による直接伝達」を封印します

  3. 直接伝達

  4. 演技

  5. 未熟なカメラマン

  6. 身体的アプローチによって真なる自己の目覚めを誘起・維持・再現させるとい…

  7. 断片的な走り書き5

  8. 「純粋意識」との接触の過程【2018会員専用記事】

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

天使の集い

作曲・編曲・演奏・打ち込み:木幡 等

おすすめの記事




人気のある記事:BEST3



言葉による伝達 ノーコンタクト・セッション
  1. 2019.11.13

    自己意識