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自己意識

ハート

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この記事は2020年7月28日、21:38に更新いたしました。

更新内容:ささやかな推敲をいたしました。

ハートとは

私が言うところのハートとは、高次のハートのことである。

高次のハートとは、魂の次元においての感受性の中心のことである。

 

人間の次元においての感受性の中心が心(精神)であり、観照者の次元においての感受性の中心が気づきであるように・・・

 

それはラマナ・マハルシプンジャジが言うところの(真我の中心である)霊的なハート、すなわち本当の意味においてのスピリチュアル・ハートのことなのである。

 

あえて気づきという言葉を用いて語るとするならば、魂の次元においての気づきとでも言うべき最高次の気づき、それこそがハートである。

それは、ニサルガダッタ・マハラジが言うところの「純粋な気づき」に相当するものなのであるが、それも私と同様、「あえて気づきという言葉を用いて語るとするならば」いう意味での、マハラジの方便なのである。

 

行為者および思考者の次元 観照者の次元 魂の次元
通常の気づき 高次の気づき 高次の気づき=純粋な気づき

 

しかし、観照者の次元に先立つ魂の次元においては、観照者としての気づきさえも入り込めないので、探求者の理解における不要な混乱を避けるため、ハートに関することにおいては、あえて気づきという言葉を私は使いたくない。

 

ハートとは、心よりも繊細で、気づきよりも深遠なるもの・・・だから。

 

であるからして、巷のスピリチュアルセッションで行われているような、

「ハートを開きましょう!」

「そのために泣きましょう!笑いましょう!抱き合いましょう!」

などといった心(精神)の次元のハートとは本質的に異なります。

 

肉体的部位に対応するハートチャクラとも本質的に異なるものです。

 

行為者および思考者 観照者
感受性の中心 心=精神 気づき ハート
感受性の中枢 腹部・胸部・頭部 ヘッドセンター(頭部) ハート(非顕現)

 

魂の次元においての感受性の中心ハートであり、魂の次元の低位層において、優しく魂を包み込んでいる環境というものが純粋意識というわけです。

言い換えるなら、魂の次元においての感受性の中心がハートであり、魂の次元の低位層においての感受性の対象は純粋意識である、というわけです。

 

ですから、たとえ気づきの対象が純粋意識であっても、感受性の主体がハートではなく、感情や(人としての五感的な)感覚や心理的なものであるのなら、それは純粋意識との接触における、『魂の次元での接触』ではなく『肉体次元での接触』になるということです。

 

もちろん私は、一年以上にわたる意識の根源からの絶え間なき引き込み期を終えたことにより、純粋意識の次元をも超えておりますが・・・

なので、私は純粋意識との接触時における感覚というものを、もはや覚えておりません。

それゆえ、純粋意識の性質についての詳細な説明は苦手なのです・・・(笑)

 

感情センターという観点によるハート

人間の機能を司るセンター(中枢)という観点からいたしますと、胸部に位置するハートチャクラ通常の感情センターに相当します。

このような通常の感情センターであるハートチャクラは、通常の人間的なレベルでの愛や感情などの感受性に深く関わっています。

通常の人間的なレベルでの愛とは、人間愛、同胞への愛、親子愛、異性愛、友情的な愛などといった、広い意味での愛、どちらかと言えば個人的な感情に基づく愛のことであります。

 

それに対して、高次のハートは、高次の感情を司る高次感情センターであるということもできるでしょう。

高次のハートに由来する高次感情センターが機能し始めると、先のような個人的な愛や感情などをも超えた、イエス・キリストに象徴されるような愛、高次の慈悲とでも言うべき大悲などといった感情が目覚めてきます。

こうして、高次のハートが目覚めて高次感情センターが機能し始めると、個人的な感情をも超えた愛、すなわち神の眼差しをも兼ね備えたような普遍的な愛、そのような非個人的な愛に基づいた感情を通して人と接することもできるようになるでしょう。

 

ハートチャクラ 高次のハート
機能中枢の名称 感情センター 高次感情センター
位置する場所 胸部 非顕現
愛の種類 個人的な感情に基づく愛 非個人的な感情に基づく愛

 

注釈

※. 観照者において、感受性の中心気づきであるということは、普段から感受性の中心が心(精神)ではなく、気づきであるということだよ。

瞑想の最中だけ気づきが中心になっていることや、それなりの努力をして気づきを中心としていることとは違うからね。

つまり感受性の中心としての気づきというものが、断続的なものでなく連続性のあるものでなければならない。

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