お久しぶりでございます。
くだらない私事で恐縮ではございますが、幸か不幸か不幸か幸か(私にとっては過去の出来事に対するそんな価値判断はどうでも良いが)、先月(2021年5月)は〈(多忙ゆえのストレスによる)呼吸困難の発作の悪化〉と〈(多忙による疲れにより、運転中に意識を失い街路樹に激突という)即死もあり得たほどの自動車事故〉に見舞われました(衝突してしまった木にも怪我をさせてしまい申し訳なかったですし、私にとっても呼吸困難で苦しいのや事故による怪我で痛いのはできれば避けたいです)。
運転中に意識を完全に失ったとはいえ、よく晴れた朝で、見晴らしのいい直線道路であったにも関わらず、自ら道路脇の街路樹に向かっていったのみならず、さらにアクセルを踏み込んで、最低でも時速80キロ以上のスピードで激突したようですから、そのような文脈からすれば無意識というものにその罪をなすりつけた自殺行為であったようにも思えます(私にとって、死とは忌避すべきものではありませんが)。
よって、その現場には交通課の警官らのみならず、救急車、さらには消防車までもが駆けつけるほどの状況でありました。
当然のことながら車は廃車となりましたが、奇跡的にというべきか、まるで漫画さながらの不死身とでもいうように、怪我の方は(エアーバックとの接触による)手首の切り傷程度で済みました。
さらに、その数日後には(すでに予約済みであった)3日間の特別セッションなどと慌ただしい日々を送っていたため、それらも無事に終え、それ以降は静かに過ごしておりました(ノーコンタクトセッションでの直接伝達は無我の領域のものなので、私にとってはこれほど労力を要さないものはありません)。
そのような穏やかな日々の中で、意図的に〈無我〉への比重を強めていくことによって(以下の記事からもおわかりであるように、それは内的な死である)、呼吸困難の発作も徐々に収まりつつあり、事故による怪我も治ってまいりました。
そして、今回の一連の出来事から〈私にとってのいちばん大切なこと〉が何であるのかを改めて確認した次第であります。
〈人間としての学び〉には終わりというものがありませんので、私とて、転んでもただで起きるわけにはいきません。
それに、この度のような大事故がなければ、私の呼吸困難はさらに悪化して、取り返しのつかない状態になっていたと思います。
それゆえ、仕事の量を減らしてもらっておりましたので、最近は記事の更新もできなかったということであり、そのための言い訳とさせていただきます。
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