なぜ、あなたは悟れないのか?〜〈実のなる木〉と〈実のつかない木〉〜
この記事は2021.6.21、19:15に更新をいたしました。
更新内容:記事に加筆をいたしました。
〈実のなる木〉と〈実のつかない木〉
何度も何度も歌詞カードを読みこんで暗記までしてみたところで、あなたがその曲のメロディーを知らなければ、あなたはいつまでたってもその曲を歌うことなどできやしない。
それくらいわかるよね。
ならば、「〈沈黙による教え〉とでも言うべき《直接伝達》が曲の生演奏だとするならば、〈書物に書かれた教え〉なんてものは、ただの歌詞カードにしか過ぎない」ということがわからないのだろうか・・・
〈焼き鳥〉を食った後の〈串〉みたいなもんだよ。
〈木〉はあっても、そこに〈実〉はない。
曲を聴いた後ならば、歌詞カードを見て歌うこともできるだろう。
上手いか下手かは別として・・・
一度でも〈実〉を食べたことがあるのならば・・・
真の教えとは〈実をならすこと〉だ。
真の教えとは〈まずは歌を聴かせてから、歌詞を教えること〉だ。
しかし、学者やインテリや探求歴の長い人たちは色んな曲の歌詞ならたくさん知っているのだが、肝心なメロディーの方はとんと知らないので歌うことなどできやしない。
奴らは歌うと下手さがバレてしまうので、ますます歌わなくなり、際限なく新曲の歌詞を収集し続けていく。
歌詞のインデックスや解釈ならば、今ではグーグルの検索エンジンで充分なのに・・・
〈映画のキャッチコピーを読むこと〉と〈映画を観ること〉とは違うだろ?
「あなたは、すでに〈それ〉なのです!」なんて、もはや〈歌〉でもなく、〈歌詞カード〉でさえもなく、〈プラカード〉である。
愚か者:「先生、〈クンダリーニ〉って歌、知ってますか?」
私:「知らないね〜。」
愚か者:「知らないんですか〜!?」
私:「興味がないからね・・・」
愚か者:「じゃあ、歌詞を読みますね!」
私:「そ・れ・は・歌・じ・ゃ・な・い!」
うんざりだ・・・
私は歌詞など知らないが、歌うことなら誰よりできる。
〈歌〉とは、なんぞや?
〈教え〉とは、なんぞや?
私と奴らとでは、もともと住んでる世界が違うのだ・・・
奴らは〈言語の世界〉に住んでいやがる。
しかし、歌とは〈母音によって響きわたる音〉の世界だ。
〈言語によって作り出される言葉〉の世界とは〈歌の世界〉ではなく〈おしゃべりの世界〉なのだ。
そして、悟りの教えとは《沈黙による以心伝心》の世界だ。
つまり、奴らの側の世界(言語にまみれた失楽園)ではなく、私の側の世界(言語に先立つエデンの園)なのだ。
ご愁傷さま。
どうか皆様も〈知恵の実〉を食べすぎないようにお気をつけあそばせ・・・
そして、くれぐれも「焼き鳥を食った後の串を、これ見よがしに他人に差し出すこと」などないように・・・
それは受け取る側にとっては、〈嬉しいプレゼント〉などでは決してなく〈吐き気を催すゴミ〉でしかないのだから・・・
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