気づきと瞑想
「身体や心も私の一部には違いないが、その究極の主体である本当の私とは何なのだろう?」
この問いかけをしているのは、精神における知性の働きによるものです。
「知性としてのあなたによる問いかけ」と呼んでもいいかもしれません。
ですが知性は、この問いかけをすることができても、それに答えることはできません。
なぜなら、知性には本当の私を見つけることができないからです。
ゆえに私たちは思考を手放して、精神よりも更に内奥へと向かうしかないのです。
この過程において、「瞑想」とはその手段の一つであり、「気づき」とはそのための道具の一つに過ぎません。
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