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自己意識

「私」と私

自己意識

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この記事は2018年6月19日、20:36に更新しました。

6/19更新内容:文章の細かい修正やわずかな加筆を行いました。

 

「魂としての私」「人間としての私」には、本質的には何の関係もない。

言い換えるなら、

真なる自己としての私」「肉体/精神としての私」には、本質的には何の関係もない。

 

この事実は、読者の皆さんにも、いつか訪れるかもしれない高次の目覚めが進んでいくにつれ、いずれ明らかになっていくことなので、その時には、ここで私が言っていることを理解していただけることと思います。

 

つまり肉体/精神とはあなた専用の車のようなものでね。

私たちが暮らしている現象世界に出かける時に必要とするただの乗り物でね。

現象世界に繰り出すことや車に夢中な人は、車という乗り物と「私」を自己同一視しているから、車の見栄えやグレードを上げることに夢中になっていて、「私と車とは、本質的に関係がない。」という自明の事実に気がつかないんだろうけどね・・・

 

車(肉体/精神)が「あなた」なのではなく、運転席(頭部)に乗り込んでいるのが「自己意識としてのあなた」だということ。

 

自己意識が目覚め、更には真なる自己目覚めが進んでくると、「肉体/精神としての私(木幡等/車)」は外には出かけていても、「真なる自己としての私」は現象世界に繰り出すことはあまりないから、「肉体/精神としての私(木幡等/車)」がどう見られようと「私」とは関係のないことがわかっているので、車には無関心になっていくわけです。

そうやって「肉体/精神としての私(木幡等/車)」には無関心になっていくから、真なる自己目覚めが進展し続けていくとも言える。

 

つまり真なる自己としての私」は、基本的に車には乗らないわけですよ。

「強度の注意や集中を必要とする時」や「特別な時」など以外は・・・

他人から見れば、「私」が乗っているように見えてもね・・・

 

駐車場に止めっぱなしの車のようなものですよ。

 

そんな止めっぱなしの車なんて、「私」とは本質的には関係ないものですよ。

 

そのような次第でありまして、メンテナンスを怠り続けた私の車はこの有様です。

 

 

男一匹、木幡 等・・・

これじゃあ、買い手もつきまへん・・・

一生、独り身まっしぐら・・・

みなさん、目覚めもほどほどに・・・

 

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