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一流の証は「抜け感」にあり!

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「長袖Tシャツ」「短パン」「サンダル」

なぜ、ドレスアイテムが一つもなく、すべてがカジュアルアイテムばかりなのに、なぜ「少年ぶったオッサン」にはならなかったのか?

師がかけた魔法の正体とは・・・

師がかけた魔法の正体とは

それは、カジュアルアイテムの中に「ドレス要素」を散りばめたことである。

師のかけた魔法1

まずは、黒のワントーンコーデで統一してあること。

冠婚葬祭の時のスーツの色を思い出してみて欲しい。

黒が基本だよね。

つまり、黒という色は、完全にドレス寄りの色なのだ。

言い換えるなら、同じ服を着るにしても、黒を選ぶとよりドレス寄りになるということだ。

そのことがわかっている師は、全体を黒系統の色で統一することによって、カジュアルアイテムをわずかにドレスアップした。

ドレスアイテムにカジュアルアイテムを差し込んでいくことで、カジュアルダウンさせていくという教科書的コーディネート術とは異なる発想だよね。

カジュアルアイテムにドレス要素を散りばめていくという、上級者の発想だよね。

ここでは「長袖Tシャツ」「短パン」「サンダル」というカジュアルアイテムに、黒というドレス要素を加えたというわけだ。

師のかけた魔法2

次に、短パンは革素材にも見えるような艶(つや)やかなコーテイングが施されているということ。

女性のドレスやドレスの代表であるタキシードなんかにしてもそうだけど、黒を艶(つや)やかに引き立てる素材の方がよりドレッシーになるのである。

これも、カジュアルアイテムにドレス要素を散りばめていくという、先と同じ発想だよね。

ここでは「短パン」というカジュアルアイテムに、艶(つや)やかな黒という、さらにドレッシーな要素を加えたというわけだ。

師のかけた魔法3

そして、とどめのサンダル。

その全体が、牛のハラコの艶(つや)やかな黒の毛で覆われているのである。

これも、先の短パンの時と同じ発想だよね。

ここでもさらに「サンダル」というカジュアルアイテムに、艶(つや)やかな黒という、さらにドレッシーな要素を加えたというわけだ。

さらに言うなら、このサンダルの全体が、牛のハラコの艶(つや)やかで柔らかな毛で覆われているということ。

勘の良い読者の方なら、すでにお気づきのことでしょう。

そう。

毛皮のコートなどは、まさに大人のラグジュアリー(贅沢なさま)なドレスアイテムです。

しかし、ラグジュアリー(贅沢なさま)が全面的に出てくると成金ファッションにも見えがちですので、私はそのような着こなしをすることは基本的にはありません。

ですが、サンダルにおいての毛皮の面積など、ほんのわずかなもの、そこだけのささやかなラグジュアリー(贅沢なさま)なのである。

しかし、いくらラグジュアリーとは言っても、Tシャツやパンツの全体が牛のハラコの毛で覆われてたら、気持ち悪いよね。

一見すると、ゴリラ並みに毛深い人にしか見えないだろうさ・・・(笑)

それじゃ、コントになってしまう。

過ぎたるは及ばざるごとし。

サンダルという表面積の小さな場所なら、嫌味でもなくちょうどいい。

それに、牛のハラコの毛で覆われたようなラグジュアリーサンダルを履いて自転車に乗っている少年なんて、まず見かけないよね(笑)

つまり、牛のハラコの毛があることによって、とても大人っぽいサンダルに仕上がっているのである。

これも、カジュアルアイテムにドレス要素を散りばめていくという、これまでと同じ発想だよね。

ここでは「サンダル」というカジュアルアイテムに、ハラコの毛の艶(つや)やかな黒と、それが醸し出すラグジュアリー(贅沢なさま)というドレス要素を加えたというわけだ。

また、短パンスタイルだと寂しくなりがちな足元に、あえてこのようなボリュームのあるサンダルを持ってくることで、シルエットにおいての全体のバランスもとっているのである。

魔法の完成

料理においては、たった3つの調味料を加えるだけでも、味は劇的に変わるものである。

ささやかなドレス要素の足し算にしか思えないかもしれないが、色や素材など様々な要素からドレスの要素を付け加えていくことで、料理などと同様に、ある種の相乗効果が生じてくるので、さりげない大人のムードの短パンスタイルが出来上がるのだ。

それは裏を返せば、若い子が真似をしようとしても絶対に似合わない大人のスタイルなのである。

大人が子供のスタイルを真似ると「若作りをしたオッサン」にしか見えないように、子供が大人のスタイルを真似すると「背伸びした子供」にしか見えないのである。

子供は子供、大人は大人の土俵で相撲をとる方が、見ている分には美しい・・・

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  • コメント ( 4 )

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  1. F. R.

    続きが気になります!

    悟りだけでなく、ファッションや音楽も学べるとは…。
    こだわりを持って深く探求するという妙味が人生を豊かにするのですね。
    これは悟りの道にも通じるのでしょうか。
    木幡先生のレベルではできませんが、自分にも取り入れられたらと思います。

    とはいえ、ファッションの師匠の技がすごいですね。
    細部にまで手を加えていながらも、それを感じさせないさり気なさとは…。
    一流の技の極みを感じます。
    それが分かる先生の感性もすごいですが。

    なので、木幡先生の大人スタイルのTシャツ短パン姿…どんな感じなのかもすごく気になります!

  2. I. H.

    木幡 様

    いつも興味深く読んでおります。

    今回のコーディネートとは別になりますが、ベレー帽、素敵ですね。

    ベレー帽って本当に難しい。
    日本人ではなかなかこうはキマらないです。

    ベレー帽のイメージ。

    ① ベレー帽の硬派でワイルドなイメージ → 軍隊、特殊部隊、傭兵、革命家

    ② ベレー帽の知的で内省的なイメージ → 芸術家、画家、哲学者 

    師は、① 無骨さ、豪快さ、を持ちつつも、かつ、② 知的な繊細さ を演出しています。
    ①、②のイメージを両立させていますね。

    これはきっと帽子だけに、ヘッドセンターの均衡理論を象徴的に示しているのでしょうか。
    考えすぎでしょうか…笑 
    いや本気でそう思ったりもします。

    例えば、ゴツイだけの人が付けると①のイメージで、ミリタリーベレー、軍人ぽくなりますし、
    線の細い人が被ると、②のイメージが拡大され、なよなよした繊細な感じになります。
    童顔な日本人ですと場合によっては幼稚園児のようにもなります。
    (もちろんベレーの種類にもよりますけど。)

    たぶん私が被ると、もうコントのようになってしまいます。
    大昔、ベレーを被ってたら手塚(治虫)先生かよ!と言われました笑

    また、師が「スピリチュアル教師的キメキメファッション」じゃなくて本当に良かったです。

    「抜け感」の続き、楽しみにしています。

  3. F. R.

    奥深い内容の記事をありがとうございます!
    ファッションについての軽快な話から、人としてのあり方まで考えさせられるものでした。

    大事な所は「真締め」にしておきながら、それ以外は「抜け感」「遊び」を出す…。
    技を極めていたり、人間として成熟しているからこそ出せる余裕なのでしょうね。

    怒られているのに愛を感じるとか、皮肉なんだけど愛を感じるなども芯に愛があるからこそなんですね。

    それは決め過ぎている時より、真の心がフワッと香るくらいが上品というところでしょうか。

    前の記事の「転調と転生の法則」にも通じるものがあるように思います。

    素晴らしい記事をありがとうございました!

    追申: 私はこの記事の写真もコーディネートの素晴らしさだけでなく、先生の熟成された人となりを感じられて良いと思いました。

  4. I. H.

    「抜け感」のご説明ありがとうございます。

    「均衡理論」の理解も深まりました。

    凡人には、<本当の意味>で、キメるのもなかなかむつかしく。
    私なんか、キメてないのに、ゆるく抜けてばかりの毎日です笑

    天才たちの仕事は、本物の集中あってこその、(恩寵によって訪れる)、本物のくつろぎ、そのバランスなのでしょうね。

    たぶん、晩年のピカソが子供のような線画に回帰(抜け感)したのも、天才的に精巧なデッサン力(キメ)が基礎にあり、時代とともに様々なスタイルの変遷があったからでしょうし。

    キヨシロー(忌野清志郎さん)も、おふざけをやっているように(抜け感)見せかけて、実は物凄いピッチが正確な(キメ)日本有数のボーカリストですものね。

    >キリストだって神殿で怒って大暴れしているんだ。

    イエス様、結構ハチャメチャにやりますよね笑
    怒りも哀しみもシンプルに作為なく自然に表現されていました。

    妥協なき態度、当時のユダヤ教の形骸化した部分に対してNO!と言う態度において、例えば音楽の方法論に置き換えると、もうほとんどパンクに近いです。

    けれども、時代に、個人に、霊的な揺さぶりをかけるって、時にそういうことですよね。
    師の霊的な目的は、「行為者、思考者としての」相手が、必ずしも予定調和で満足することではないですし。

    次の書き物も楽しみにしております。