今夜は語っちゃうよ!
この記事は、以下の「F. J. 様からいただいたご感想」をもとに構成している。
つまり、F. J. 様への返信なわけだが、読者のお役に立つこともあるかと思い、このような記事という形をとった次第でござる。
しかし、今は常に恩寵を感じている。
F. J.
それにより、むしろ自身の身体と心をまるで他人のようにいたわることができる。
身体や心が求めるなら、やってあげようと素直に思える。
木幡:泣けてくるね〜。
涙が出そうになるよ。
その距離感ならば愛なんだよね。
しかし、これは「真我との接触状態」に伴う「高次での内面と外面との分離」ができていないと、ただの快楽主義や甘やかしになってしまいがち。
「高次での内面と外面との分離」とは、「『肉体/精神の次元』と『それらに先立つ次元』との分離」ということやね。
そして「あなたという意識」は随意に、そのどちらに軸足を置くこともできる。
だから、この境地においては「身体や心でさえも外側であるという感覚」になってくるわけだ。
ゆえに「自身の身体と心をまるで他人のようにいたわることができる」というわけ。
これは知的に理解できても体験しなければわからない。
わからないというか、そのような気持ちがわき起こってこない。
身体も心も外なんや。
「自他という区分においては、すべてが他になれば、すべてが自になるのと同じこと」なんだ。(はい、これ名言です!(笑))
これで、俺がタバコを吹かし続けている理由というのがわかったかい?(笑)
家にいる猫がマンマを食べたい言うなら、マンマを与えるでしょ?
ちなみに俺がいつもひっきりなしに吹かしているタバコは自然なタバコ、つまり無農薬で無添加のものだ。
自然にできる葉っぱなんだ。
そして、タバコとは漢字では「煙草」と書くが、国字では「莨」と書くんだぜ。
日本では本来、良い草と書いてタバコと読むんだ。
本物のタ◯コにおいてはね。
そこをあまり突っ込むと面倒なので、これくらいにしておくが・・・
それにタバコとは吸うものではなく吹かすものだよ。
話をもとに戻すが、この境地においては、己の心身でさえもが他人レベルにまで分離しているわけなんだから。
マハラジがタバコ吸ったり肉食ったりしていたのも、そういうこっちゃろ?
「自己制御のステージ」は、とうに超えているわけだよ。
そんなもんは、ガキの頃から当たり前のこととして厳格にやってきたわけだ。
もっと細かいことを言うなら、「身体や心が求めるなら、やってあげようと素直に思える。」という文章の「素直に」というところね。
「どっちが得だ?」「こうあって欲しい!」みたいに作為がないところが良いんだよね。
そこに愛を感じる。(続く)
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