「すること」から「ゆだねること」へ
聖なるものが目覚め始めたら、
つまり
聖なるものとのアクセスが可能になったら、
聖なるものとのリンクが見つかったなら、
「聖なるものにゆだねる時」である。
「すること/自力」から「聖なるものにゆだねること/他力」に切り替える時である。
なぜなら「すること/自力」は「知性としてのあなたが行うこと」であるために、あなたが何かを「すること/自力」によって、あなたを自己(自我)の次元に留まらせてしまうからである。
つまり、「知性(としてのあなた)」を手放して、「聖なるもの」にゆだねなければ聖なる次元へと移行できないということである。
参照:悟りに至るまでの地図
だから、聖なるものが目覚め始めたら、
もう修行やワークを「する」必要はない。
もう瞑想を「する」必要はない。
いや、「してはいけない。」
ママゴトから卒業する時なのだ。
聖なるものが目覚め始めたら、
聖なるものの膝元(ひざもと)で、後はゆっくりと至福の眠りに就きなさい。
もちろん意識は保ちながら・・・
「主体的な知性としてのあなた」が消えていく・・・
やがて、知性も感受性も、ただの道具でしかないことの理解が訪れる・・・
そして、あなたが気がついた時には、すべてが終わっている・・・
すべてだ・・・
全てだ・・・
その全てとは・・・
それは私の言葉からではなく、「あなた自身の体験」によって知りなさい。
追伸:
「すること/自力」から「聖なるものにゆだねること/他力」に切り替える時
この時期の見極めは、書物からの検証が難しいので、悟ったマスター(師)を見つけて確かめると良い。
しかし、それを見つけるのはもっと難しい・・・(笑)
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