以下の文章は、F. J. 様から事務局宛にメールで頂いた「ノーコンタクトセッション」と「個人セッション」のご感想を、ご本人様のご許可をいただいて掲載させていただいたものであります。
純粋意識の直接伝達/2025年11月期(初参加)
純粋意識の直接伝達 2025.11.06
初めてのノーコンタクトセッション。
「自分でも感じられるかしら?」と思っていたがすぐに杞憂だったと実感する。
普段のヘッドセンターが豆電球なら、こちらは蛍光灯。
焚き火で言うなら、頑張ってうちわで火を膨らませ萎んでの繰り返していたところに急激に空気が送り込まれ、何も手を掛けなくても勝手にどんどん燃え上がっていくような感覚。
頭が洗われてくような爽快感。
翌朝はなかなかないぐらいの爽快感で、頭がスッキリしている。
ヘッドセンターの感覚は、普段よりも柔らかく変質している印象。
純粋意識の直接伝達 2025.11.13
2回目のセッション。
やはり明らかな体感があり、今回は額が涼しくなるような流れを感じる。
血液の流れのようなものをうなじにも感じる。
1車線の狭い道路から、高速道路に変貌したような漠然としたイメージを思い浮かべながら。
その日は妙な悪夢を見た気がする。(内容は覚えていない…)
翌朝はやはり爽快感があり、身体も軽いように感じる。
ヘッドセンターは普段以上に捉え所のない感じだが、日課の瞑想はむしろヘッドセンターがサポートしてくれて何も自分でする必要のないような感覚があった。
純粋意識の直接伝達 2025.11.20
3回目のセッション。
この前にサイレンスセッションを受けたからか、ちょっと感じ方が変わっている。
ざーっと流れる感じはあるものの、その一つ一つが細かく優しく流れているような感覚。
同時に少し熱を伴った、心臓の鼓動のようなものを身体全体で感じている。
翌日は心も身体もいつも以上に清々しい感覚。
なんと表現したらいいか…
とても悲しいことがあったり、激しく感情的になった後、疲れ果てて眠った翌朝の妙なスッキリ感。
今までが表面上の爽快感だとしたら、今回はより深層部分まで含んだ爽快感のような。
表現は難しいものの、この3回目の翌日が一番何かが変わったような感覚があった。
純粋意識の直接伝達 2025.11.27
4回目のセッション
残念ながら職場のフットサル中にセッション。
フットサル中は残念ながらあまり体感はなかったが、終わった後の帰りの電車の中で一気に後れを取り戻すように流れがきた。
眠っているとも起きているとも言えないような感覚で、気づくと一瞬で電車を降りる時間になっていたのでタイムワープしたような感覚。
フットサル翌日は身体が疲れていることが多く、日課のトレーニングはお休みすることが多いのだが、この日は何の支障もなくトレーニングをこなすことができた。
心の状態やもっと微細な領域への働きかけが主要成分と勝手に思っていたが、肉体にもこんな作用もあるのかと素直に驚いた。
サイレンスセッション/オンライン:3時間/2025.11.14(第一回目)
セッション開始
木幡先生とのセッションが始まった瞬間からまったく壁がなかった。
初めてお会いした人と会話するときの緊張感や会話のぎこちなさは感じず、昔からの知り合いのようにスムーズに会話が流れていく。
とにかく先生からは圧倒的な自由を感じた。
聖者のように振る舞う必要がない人との会話は、軽妙でなんとも心地よかった。
しかし、セッション開始から「純粋意識の直接伝達」をもっと強烈にしたような、火照るような、やや熱っぽい感覚が常にある。
沈黙による直接伝達
その後、いよいよ「沈黙による直接伝達」の開始となる。
先生の目を見た瞬間、ガツンと何かが来た。
一瞬、先生の顔が父親の顔に見える。
全然似ていないので、そんなはずはないのに。
その瞬間、涙がすっと流れる。何の感情もなく、生理現象のように。
そのあとは奔流、滝のような流れを頭頂、うなじ、胸、お腹と感じる。
ただ、全て自分だとも感じる。
知らない何かではなく、懐かしい、知っている何かが流れていく。
流れているそれは統合された一つのものだが、それぞれが機能しているようにも感じる。
そのうち、手や脚がなくなる。
どうやって動かせばいいのかよくわからなくなる。
他人からみたら、危ない薬をやっている状態と認識されそうな恍惚状態。
でも、目を開けられる。会話もできる。
知っている感覚に思えるが、こんな状態自体は体験したことがない。
そこからさらに、穏やかだけどどっしりとした何かが怒涛のように流れ込んでくる。
口の動かし方、知性の使い方、会話の仕方がわからない…
ある程度の時間を置いて、その状態に浸りながら、先生と会話を始める。
会話をしながらも、ある種のサマーディの中に没入し続けている。
プンジャジの動画でまさにこのような状態になっている人を見たことがあったが、まさか自分がこの状態になるとは。
何だか自然に笑いがこみ上げてくる感覚。
上記の直接伝達を受けてからの時間の流れは、異常に速く感じていた。
意識は明瞭にもかかわらず、5分経ったかな?と思ったら、30分経過していた。
これもまたものすごく不思議で、今までにない感覚だった。
その日はかなり言語機能がぼやけていたので、至福を味わいながら早めに就寝。
翌日以降
サイレンスセッションを受ける前は、頭に何か結晶のようなものがある感覚、それをヘッドセンターと思っていた。
しかし、その質がずいぶん変化したように感じる。
もう少しふわっとした流動的なものになり、その流れにある種の心地よさがある。
それに名前を付けるなら、恩寵と呼びたくなるようなものである。
この状態で何気なく音楽を聴くと、急に胸にダイレクトにきて、涙が出てきた。
言葉が一切出せなくなってびっくりした。
ある種、心がむき出しのような状態なのかもしれない。(この状態は2-3日すると落ち着いてきた)
さらに何日か経過してから、頭の中でさーっと音が聞こえることに気づいた。
心地よい流れといい、この音の感覚といい、微細という言葉がしっくりくる。
セッションの時同様、日常でも会話をしながら恩寵を感じることが増えてきた。
セッションの経験(サイレンスセッション中に行った「会話を交えながらの直接伝達」での経験 ※)が役に立っている。
普段ならば、かなり動揺させられるような出来事に直面しても、ほとんど心を動かさずに対応できた時は明らかに何かが変わっていると実感した。
ふと、この心地よさは今まで当たり前のようにそばにあって、自分自身がこれを台無しにしていたんだろうなと思った。
今までは恩寵をつかむまで、何なら一般的な幸福をある程度我慢する、あるいは優先度を下げる必要があると思っていた。
例えば、音楽を楽しむよりは、瞑想をしなくちゃといった具合に。
しかし、今は常に恩寵を感じている。
それにより、むしろ自身の身体と心をまるで他人のようにいたわることができる。
身体や心が求めるなら、やってあげようと素直に思える。
ここに至って、ようやく自分はもう少し楽に自由に生きることができるだろうと感じ始めている。
この導きと恩寵へ、改めて感謝を申し上げます。
このセッションで受けた恩寵と喜びは今も続いており、本当にありがたいものと感じています。
※. 当方編集部による注釈












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