現実の全体性~本当のあなたを知るため、人を愛するために必要なこと~
この記事は2019.9.13、13:22に更新いたしました。
更新内容:記事に加筆修正をいたしました。
どうか、ご自分に問いかけてみてください・・・
「あなたが言うところの現実」とは、「あなたがこだわっている全体の一部分」でしかないのじゃないだろうか・・・
それはまるで、無限に広がる星空を前にしながらも、望遠鏡越しに一つの星だけを切り取って眺めているかのようなことになってしまっているのではないのだろうか・・・
人は、全ての想いを言葉にするわけではありません。
また、全ての想いを言葉にできるわけでもありません。
そのことを踏まえて、聴いてください。
あなたは目の前にいる相手が発した言葉に込められた、その人の心にも耳を傾けることが本当にできていますか?
あなたは相手に向き合っているつもりでいながらも実際のところは、相手の表情や言動などから生じる印象に由来する連想的な思考、そのような思考によって喚起(かんき)された感情など、すなわちあなたの意識内に自動的にわき起こってきた想念ばかりに囚(とら)われているのではないですか?
自身の想念を見つめること、それ自体は悪いことではない。
場合によっては必要ですらある。
それも現実の一部なのだから。
しかし、自身の想念だけしか見えていないということ、それはあなたの人生における深刻な問題の種となる。
なぜなら、自身の想念などという、本当の現実のごく小さな一部分しか見えていないということは、本当の現実がほとんど見えていないということと同じことなのですから。
もしもあなたが自分との和解を果たしたいのなら、さらには他者との人間関係においても、本当の人間関係を築いていきたいのなら、自身の想念だけを現実の全てと思い違いしてはいけない。
ましてや、自身の想念だけが現実だなどと相手に押し付けてはならない。
あなたが現実の全体性を見失うと、あなたは(本当の)世界の一部分しか見えなくなる。
あなたが現実の全体性を見失うと、あなたは(本当の)相手の一部分しか見えなくなる。
あなたが現実の全体性を見失うと、あなたは(本当の)あなたの一部分しか見えなくなる。
あなたが望遠鏡を外して、横を向けば、そこにはあなたを見守っている誰かがいるかもしれない・・・
地上には美しき自然、広大な夜空には、たくさんの星たちがいる・・・
それが現実の全体性、すなわちあるがままの現実だ。
なにも私は、そんなに難しいことを言っているわけではない。
赤ん坊や動物たちは、このことを生まれながらに知っている。
しかし私たち人間の大人は、想念に囚(とら)われ過ぎて生きてきたために、この当たり前のことを忘れてしまったのだ。
望遠鏡を握(にぎ)りしめ、一つの星にしか過ぎない想念ばかりを見つめ続けてきたために、広大な夜空全体の美しさを見ることができなくなってしまったのだ。
私たちの想念なんてものは、砂浜の中の砂の一粒にしか過ぎないのだから・・・
だから、時には望遠鏡を外(はず)してみなさい・・・
想念だけを眺め続けることをやめてごらんなさい・・・
そうすれば、幼き頃に感じていた、このことを思い出すだろう。
簡単なことだ。
あなたにその覚悟があるのなら・・・
心あるがゆえに苦しんでいるあなたへ
想念だけではなくあなたをも愛しなさい・・・
想念だけではなく人をも愛しなさい・・・
そうすればあなたは必ず幸せになれる。
不幸といえども想念の一部にしか過ぎないのだから・・・
心ある人間として生きていきたいあなたへ
「想念よりも人を愛したい・・・」
「想念よりも命あるもの、心あるものを愛したい・・・」
それが本当の人間の心というものだ。
あなたに押し付ける気はないが、
今でも私はそう思っている。
もっと理解を深めたい・・・
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