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ニサルガダッタ・マハラジの「私は在る(I AM)」という感覚について

アドヴァイタ

2209

ニサルガダッタ・マハラジ

彼が悟っていたことは間違いない。

その彼の教えの核となる「私は在る(I AM)」という感覚。

 

結論から言えば、

「私は在る(I AM)」とは、自己意識としてのあなたと、それを取り巻く常在的な内的環境のことである。

ということができます。

 

真なる自己が目覚めていない人にとっては、はたして自分が感じているものが「私は在る(I AM)」という感覚なのか否か、その検証はとても難しいことでしょう。

なぜなら、「私は在る(I AM)」という感覚は、その人の意識の進化の段階によって異なるからです。

だから当のニサルガダッタ・マハラジ本人も、その説明をするのが難しかったのでしょう。

「私は在る(I AM)」という感覚

「I AM=私は在る」という感覚。

それは自己意識の自覚に始まり、さらに高次の意識段階においては、自己意識の自覚の感覚を中心として、以下のものが付加され統合されていきます。

自己意識プラス前部ヘッドセンター(第三の目)ヘッドセンター純粋意識といった風に、その人の意識の進化の進展具合いに伴って、その実体は拡大されていくのです。

 

ゆえに、以下のように言うことができます。

「私は在る(I AM)」とは、自己意識としてのあなたと、それを取り巻く常在的な内的環境との統合体のことである。

 

それは、自己意識という根源的な知覚の機能としてのあなたと、それを取り巻く内的で常在的な環境としてのあなたとの統合体のことであるということもできます。

 

機能としてのあなた 環境としてのあなた
自己意識 前部ヘッドセンター(第三の目)ヘッドセンター純粋意識

 

意識の進化の段階によって異なる「私は在る(I AM)」の感覚

 

1.進化の段階:

自己意識の眠り=いわゆるエゴの意識状態

「私は在る」という感覚の実体:

私という想念・肉体感覚など

2.進化の段階:

自己意識の目覚め

「私は在る」という感覚の実体

自己意識

3.進化の段階:

ヘッドセンターの生起

「私は在る」という感覚の実体:

自己意識 + ヘッドセンター

4..進化の段階:

真なる自己の目覚め

「私は在る」という感覚の実体:

自己意識 + ヘッドセンター + 純粋意識

 

 

 私が行う直接伝達においては、第三の目を生起させることなく、覚醒状態 が生じる方も少なくありません。

大は小を兼ねるで、真なる自己目覚めの過程においては、覚醒状態があればもはや第三の目を必要としませんので、第三の目の生起は真なる自己目覚めにおいて必須のものではないと考えております。

 

自己意識の拡大

以上のような観点からすれば、

意識の進化、すなわち自己の目覚めとは、自己意識の拡大の過程である

ということができるわけであります。

 

上の写真をあなたの内的状態として例えるなら、太陽が意識の根源と一体の自己意識である。

その周りを取り囲む大気が純粋意識

ヘッドセンターが海。

始まりは一粒の種であった自己意識という「私は在る(I AM)」が、それらすべてを含めての「私は在る(I AM)」へと育っていくわけであります。

 

このような内的状態だけでは、まだ非顕現の根源である意識の根源からの引き込みが起きておらず、依然としてあなたは顕現の世界にいるわけではありますが、そのような内的状態においては、砂浜に転がる石ころのような想念は、もはや従来のような邪魔な存在ではなくなりつつあります。

 

以上のことからおわかりのように、ニサルガダッタ・マハラジといえども「私は在る(I AM)」というものを言語化するのは、とても難しかったのだと思うよ。

なぜなら、

完全なる「私は在る(I AM)」の開花、すなわち悟りという花といえども、そのすべては自己意識という一粒の種から成長していくものなのだから・・・

 

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