意識の「目覚め」と「悟り」
この記事は2022年4月25日、19:33に更新しました。
更新内容:本記事を掲載し、さらに推敲いたしました。
意識の目覚め
(「意識の主体」が「(思考や感情などといった)意識の内容物」と同一化しているのではなく、)「意識の主体」が「意識の主体そのもの」に気づいている状態にあること、これを「意識の目覚め」と言う。
また、このような意味においての「目覚めた状態にある意識のこと」は「自己意識」や「(気づきの主体であるという意味においての)真我」などとも呼ばれている。
ゆえに、西洋のほとんどのスピリチュアル教師が言うところの「目覚め」とは、このようなレベルでの「意識の目覚め」のこと、言い換えるなら「自己意識の目覚め」のことである。
意識の眠り
私は先に、こう述べた。
「意識の主体」が「意識の主体そのもの」に気づいている状態にあること、これを「意識の目覚め」と言う。
これの裏を返せば、「意識の主体」が「意識の内容物」と同一化している状態にあるということは「意識の眠り」であるということが、おわかりいただけるのではなかろうか。
仏教において、それは「自己理解に対しての無知」という意味において「無知」と呼ばれる。
このような「意識の眠り」の状態においては「煩悩」がつきまとうこととなる。
「(思考や感情などといった)意識の内容物」と「意識の主体(としてのあなた)」とを切り離すことができないからである。
ゆえに「意識の内容物」と「意識の主体」との分離ができるようになるためには「意識の主体」が「意識の主体そのもの」に気づいている状態へと至らなければならない。
よって、意識の目覚めが「瞑想における最初の大目標」となる。
であるからこそ、禅やマインドフルネスなどをはじめとした、ほぼすべての瞑想は「意識の目覚め」のために設計されているのである。
意識の悟り
「意識の目覚めが努力なく恒久的な状態となること」これを「意識の悟り」とする。
それは「意識の目覚め」が日常的な常態となることであり、後戻りなき「意識の目覚め」であることをも意味している。
しかし、ここから「本当の意味での自己探求」すなわち「純粋意識の目覚めのための取り組み」が始まるのである。
意識の中枢
この「意識の機能センター」および「意識のエネルギーセンター」は「頭部に位置するヘッドセンター」である。
それは「意識の主体の窓」であり、やがては「純粋意識の次元へと入るための門」となる。
ゆえにヘッドセンターの覚醒は「第三の目」や「クラウンチャクラ」の覚醒をも含むこととなる。
頭部のエネルギーが「高次のエネルギー」へと変容することによって、ヘッドセンターは覚醒する。
すると、あなたは(思考や感情などといった)「低次のエネルギー」の影響を受けにくくなる。
つまり、ヘッドセンターが覚醒するだけでも「瞑想の質」は格段に上がることとなる。
意識の目覚めの段階
精神の目覚め
「(思考や感情などといった)意識の内容物」と同一化している意識
↓
意識の目覚め
「意識の主体そのもの」に気づいている意識
↓
意識の悟り
「意識の主体そのもの」として存在している意識
↓
純粋意識の目覚め
「純粋意識そのもの」に気づいている意識
↓
純粋意識の悟り
「純粋意識そのもの」として存在している意識
↓
絶対意識の悟り
「絶対意識そのもの」として存在(非存在)している意識(非意識)
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。