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意識

高位センターと低位センター

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当サイトにおける記事として、一部公開されている「ノーコンタクト・セッション:参加者の声」に対しての「言葉による伝達」は、コメントをしてくださった当人様(だけ)に向けられたもの、という体裁をとっておりますが、それは全ての読者に向けられたものであります。

言い換えるなら、いただいたコメントからインスピレーションを得ることによって、(コメントをしてくださった当人様をも含めた)読者様のために書き綴(つづ)られたものであります。

それゆえ、コメントをしてくださった当人様に対する「言葉による伝達」としては、そぐわない部分が生じてくる場合もございますので、ご理解のほど、よろしくお願いいたします

「高次のハートの直接伝達 2020.11.01」

O. S. 様 / 50代 / 男性 / 神奈川県 / 2020年1月より連続参加

木幡さん

昨夜の高次のハートの直接伝達、ありがとうございました。

今月もよろしくお願いします。

伝達時間前から座って受け取らさせていただきました。

前部ヘッドセンターと後部ヘッドセンターが一体になったエネルギー状態が胸の方にまで広がり、胸、首、頭部が一体になった感じがしております。

ありがとうございました。

 

木幡 等 Hitoshi Kowataの言葉による伝達

>前部ヘッドセンターと後部ヘッドセンターが一体になったエネルギー状態が胸の方にまで広がり、胸、首、頭部が一体になった感じがしております。

とても重要なコメントだと思います。

これは私の経験則に基づく感想であり、まだ研究中であり、明確な理論化までには至っておりませんが、エネルギー的な観点からいたしますと、ヘッドセンター、喉(のど)のセンター、ハートセンター、これら高位のセンター全体の活性化は、とても重要なことだと思います。

言い換えるなら、ヘッドセンターがそれなりに活性化していても、その後の変容の過程において行き詰ってしまう人たちというのは、喉(のど)のセンターやハートセンターが不活性な状態の方が多いように思えるからです。

 

感情の領域を司るハートセンターの活性化については、みなさまも直感的に重要であるとお感じでしょう。

これは「上丹田(頭部)・中丹田(胸部)・下丹田(腹部)」といったように、道教における丹田(たんでん)の中丹田に相当するものでもあります。

 

しかし、喉(のど)のセンターはそれほど重要視されているようには思えません。

私の直感的には、むしろ、過小評価されているように思います。

実際のところ、私の直接伝達をお受けになられて「喉にエネルギーを感じた」「喉が開いた感じがする」「声が通るようになった」「人前で話すことが苦手ではなくなった」「歌を歌うことが好きなった」など、様々なご意見もいただいております。

喉における感覚や運動神経が人一倍優れている私自身がそうでありますし、統計的に見ても、それらは、ただの思い込みや偶然のようには思えません。

また、音楽を愛することのみならず、歌が上手だった聖者のエピソードも少なくありません。

お探しになられれば、以下の「ノーコンタクト・セッション:お客様の声」の中にも、様々なご感想がございます。

「ノーコンタクト・セッション:お客様の声」

 

横隔膜(おうかくまく)を境に隔(へだ)てられた「低位センター(第一チャクラから第三チャクラまで)」と「高位センター(第四チャクラから第七チャクラまで)」

 

「高位センター」全体が未完成だと、「低位センター」のエネルギー活動に由来する本能的な衝動や欲求などに巻き込まれやすくなるからなのかもしれません。

「ヘッドセンター」という一人のリーダーは優れていても(活性化していても)、「高位センター」というチームの力が弱ければ、(進化的に考えても)ベテランチームである「低位センター」のチーム力には敵(かな)わない、とでも言うべきでしょうか。

 

また、高位センターと比べて、低位センターは膨大な潜在意識(無意識)の領域とより密接につながっている、と考えられます。

そう考えれば、潜在意識に対して、顕在意識とは氷山の一角に過ぎない、とたとえられるように、高位センターチームには、よほどのチーム力がなければ、多勢に無勢のようなものであります。

 

そのような次第で、今後は「『低位センター』と『高位センター』のエネルギーバランス」、このような観点からの研究もしていこうと思います。

もちろん、私が言うところの研究とは、外側の知識に頼ること、すなわち、「既存の書物に書かれていることに基づいて思考作業をするだけ」というようなことではなく、内側の知識に頼ること、すなわち、「自身の内側から生じてくる理解を見つめ続ける」ということであります。

なぜなら、「プロの作ったレシピから作る」ということは、(修業の過程においては、それなりに意味のあるプロセスである、とはいえ、)素人の発想であり、劣化版コピーバンドの歌にしかならないからです。

「自身の経験や感覚に基づいて作った料理が、新たなレシピを生んでいく」

それがプロの態度なのではないでしょうか。

 

七つのセンター

高位センター低位センター

 

第三の目(サードアイ・チャクラ)やハート・チャクラなどといった特定のセンター(チャクラ)にこだわり過ぎて、「木を見て森を見ず」になってはいけません。

 

悟りをゴールとする自己探求の対象となる「人間存在」という森は、極めて広大なのです・・・

 

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