
断片的な走り書き25
はじめに
当サイトの読者様には、悟りに関する記事という性質上、比較的にご年輩の方も多く、さらに最近ではスマートフォンで閲覧される方が多いようですので、文章の文字サイズを大きくしてみました。
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心の重さ
「思い」は「重い」。
なのに、私たちは「思い(想念)で心を埋め尽くしてしまう」がゆえに疲弊する。
心の重さ2
私にとっては「純粋意識」でさえも重荷なんだ。
なぜなら、純粋意識でさえも「微細なエネルギーレベルでの揺らぎ」は生じるものだからである。
その上、肉体を有している以上は「外部への反射的な気づきに伴う揺らぎ」というのもあるからね。
繊細さと鈍感さ
繊細な心は軽く、鈍感な心は重い。
繊細さと鈍感さ2
気づかなければ傷つかない。
よって、神はその人が耐えられるだけの繊細さしか与えてはくれない。
だから、私は探究者に「強くなれ!」と言い続けてきたのだ。
繊細さと鈍感さ3
真我を実現した魂は、気づきの範囲が広く、なおかつ気づきの精度も高い。
その上、(真我との統合によって)さらに心が繊細になっているがゆえに傷つきやすくもなってくる。
繊細さと鈍感さ4
(無自覚的であるとはいえ、)真我/純粋意識を体現している存在である赤ちゃんは、気づきが外部へと強く向かった途端、泣きじゃくり始めるよね。
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